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「有機・無農薬」を超えて─ 農産物の「安心」を伝えるために -Part2-:IPM普及について

食と農のウワサ

前号の特集においては、農薬メーカーの方々にお集まりいただき、レイチェル・カーソンが『沈黙の春』を著した1960年代より、農薬に関する技術がどのよう進歩し、現在どのような課題を抱えているのか。また、農薬を適正施用した農産物の「安心」を伝えるためには、農薬メーカー、農業経営者、流通販売者がどのような形で関わっていくべきかにについてお話し頂いた。更に岡山大学教授・中筋房夫氏には、IPM技術の基本的概念を中心にお書きいただいた。
今号においては、IPMという点に更に一歩踏み込んで、ノバルティスアグロ株式会社マーケティング本部の橋野洋二氏に、海外事例の紹介を含め、農薬メーカーとしてのIPMへの取り組みと問題点についてお書きいただき、また現場でのIPM普及に当たられている株式会社石黒製薬所の西野克志氏にその導入に当たっての課題についてお書きいただいた。前号で好評をいただいた座談会の後編も併せて掲載する。
web版『農業経営者』1999年10月1日 特集「『有機・無農薬』を超えて─農産物の『安心』を伝えるために -Part2-」から転載(一部再編集)
※情報等は、1999年のものです

IPM普及について

ここ数年、いくつかの天敵昆虫が日本で登録・販売されるようになり、生物的防除を取り入れたIPM・総合防除が注目を集めています。とりわけ消費者・流通からは安全性・環境問題の観点からその普及を強く望まれています。しかしながらこうしたIPM・総合防除は広く普及しているとは言えないのが実状です。要望が強まっているにもかかわらず、今ひとつ普及が進まないのはなぜか、農薬の普及・販売に携わる者として考えを述べたいと思います。

一つの大きな理由としては農薬登録制度の違いがあります。欧米では生物農薬(天敵昆虫・微生物)は作物ごとの登録は必要なく、いったん登録されればどんな作物でも使えます。一方日本では生物農薬も化学農薬と同様に作物ごとの登録が必要なため、使える生物農薬の数はかなり限られてしまいます。例えばスリップスはキュウリ・メロンに共通の害虫ですが、ククメリスカブリダニ(スリップスの天敵)がキュウリに登録されたとしても、すぐにメロンにも使えるわけではなく、作物登録が拡大されるまで待たなくてはなりません。

次に生物的防除を補完する化学農薬、すなわちIPMに不可欠な「天敵昆虫に影響を与えずに病害虫を防除する、選択性の高い化学合成農薬(IPM適合薬剤)」が十分に出揃っていないことが挙げられます。「IPM適合薬剤」は天敵昆虫導入前に害虫の密度を下げたり、突発的に発生した害虫を防除したり、生物的防除・耕種的防除で防除できない病害虫を防除するために必要です。しかしながら、天敵昆虫への影響を考慮して開発された薬剤は最近になってようやく製品化されてきたばかりで、天敵昆虫への影響が小さい既存の薬剤を合わせてもIPMで使える薬剤はそれほど多くはありません。例えば施設トマトでは昨年から今年にかけて登録されたコナジラミ対象のチェス、ハモグリバエ対象のトリガードなどを加えてようやくIPM・総合防除体系を組み立てることが可能になりましたが、他の多くの作物ではまだ薬剤が揃っていません。特にナス・ピーマンなどスリップスの被害が大きい作物ではアドマイヤー・モスピランなど天敵昆虫に影響が強い殺虫剤を使う以外に有効な防除方法がなく、IPM的な防除体系を組み立てることは困難です。つまり、作物ごとに発生する全ての病害虫に対して生物的防除(天敵昆虫・微生物)と化学農薬(あるいは耕種的防除)を矛盾なく組み合わせることができるよう、IPM適合薬剤が揃っていなければならないのです。

もう一つは生物的防除にかかるコストの問題です。特に天敵昆虫の価格は高く、一回の導入で10aあたり数万円コストがかかります(オンシツツヤコバチの場合、10aあたり約6000円、これを一週間おきに4回導入)。さらに導入のタイミングを間違えると効果が得られないこともあるなど使い方も難しいものがほとんどで、生産者にとってはリスクが大きい防除方法といえます。また、こうした資材を指導販売するJA・販売店にとっても高価な資材を販売して効果がなかった場合、生産者との間でトラブルになる恐れもあり、なかなか勧めにくいという側面もあります。

否定的なことばかりを挙げてきましたが、産地としてIPM防除体系を確立しつつある例もあります。愛知県東三河地区では1997年よりJA・普及センターの指導によりトマトのコナジラミ防除資材「ラノーテープ」を普及してきました。ラノーテープは黄色いテープに有効成分を塗り、色に誘引されてテープに触れたコナジラミ成虫の産下卵のふ化を阻害します。有効成分を環境中に放出することなくコナジラミの増殖を抑えるためIPMに特に適した防除資材(化学農薬)として注目を集めています。(ただし現在販売地区は愛知県・三重県など一部に限定されています。)特に豊橋市においてはJAの指導によりほぼ全ての施設トマトでラノーテープが設置され、コナジラミの防除に高い効果を上げています。ラノーテープの導入によりコナジラミ防除剤を中心とした殺虫剤の散布回数が大幅に減り、今秋の作付け分からは減農薬栽培による差別化販売にも取り組まれると伺っております。まさにIPMによる防除体系を産地全体として確立した初めての例ではないかと思います。豊橋市でこうした取り組みが成功した要因としては

(1)ラノーテープは導入が容易で効果が高い
(2)技術指導が適切に行われた
(3)チェス・トリガードなどIPM適合薬剤が使えるようになった

ことが考えられます。つまり豊橋でのIPM防除体系は生産者にとって「簡単で良く効く・コストは小さい・産地差別化になる」などあらゆる面から大きなメリットがあり、必然的に普及が進んだと言えます。JA・普及センターなど指導機関側には当初から「IPM・減農薬」が視野に入っていたと思うのですが、一部を除いてほとんどの生産者は「IPM・総合防除」を意識していたわけではなく、「効果の高い防除資材を導入したらたまたまIPMになった」のだと思います。

一般にIPM・総合防除による「減農薬」は消費者にとってのメリットです。消費者がそれを評価して高く買ってくれれば生産者にとってもメリットになります。しかし、無農薬・有機栽培で直販でもしていればともかく、現状の市場流通においては「IPM・減農薬」を実践したところでなかなか販売価格に反映されないのが実状です。生産者としては高価な防除資材を購入し、手間をかけて栽培しても特にメリットがないならわざわざIPM・減農薬栽培などに取り組むことはない、ということになってしまうのです(トマトでのラノーテープのように画期的な資材があれば別ですが)。IPM・減農薬への取り組みを促すためには生産者がこうした「投資・努力」をすればメリットがあるということをはっきり示すことが必要なのではないでしょうか。また、天敵昆虫類の価格が高いことはメーカー・販売会社の責任だと言われていますが、こうした生物的防除資材はただ注文を受けて納品するだけではなく、サンプルを提供して何度も試験・調査を行い、効果を見極めた上で販売する場合がほとんどです。こうした普及活動にも当然コストはかかるわけで、メーカー・販売会社は「先行投資」としてこれを負担していることになります。こうした普及コストを考慮すると決してメーカー・販売会社が利益をとりすぎているわけではないと思います。逆にあまりに価格を下げてしまうと採算がとれず、市場から撤退せざるを得なくなります。もし全てのメーカーが撤退してしまえばIPMに必要な生物的防除資材が供給されなくなってしまいます。IPM・総合防除の普及によるメリットは社会全体にとってのメリットです。資材価格の低減については単にメーカーの企業努力に期待するだけでなく、社会全体でコストを負担するといった発想が必要なのではないでしょうか。

IPM・総合防除による化学農薬使用量の削減は農業が産業として発展して行くためには避けては通れない課題だと思います。その普及が生産者・消費者双方にとってメリットになるよう努力して参りたいと思います。

筆者

西野 克志(株式会社石黒製薬所)

 

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