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第37回「オーガニックはおいしい」というバイアスはどこから生まれるのか(後編)【分断をこえてゆけ 有機と慣行の向こう側】
「オーガニックはおいしい!」という声に対して、「そんなのは思い込みだ。有機農産物と慣行農産物に優劣はない」といった反応が寄せられることがある。個人の意見ならまだしも、企業等が営利目的で「おいしい!」イメージに便乗するような宣伝活動をおこなえば、さらに手厳しい意見があがる。「オーガニック=より優れたもの」というステレオタイプな捉え方には近年、色々な場面で批判が寄せられるようになってきた。2回に分けて実態に迫りたい。
栽培環境=育ち
私は生産者ではないので、栽培環境について無責任に掘り下げて語ることはできない。
ただ私の知る限り、周囲から信頼されている一定以上の経営規模の有機生産者に「有機栽培だからおいしい」というゼロイチの言い方をする人はいない。
有機で作れば自動的においしくなる、などという魔法はないことを生産者は当然知っている。
土壌分析、土づくり、施肥設計、栽培管理など、農産物の出来を左右するといわれる要素は、いずれも有機栽培に限っておこなわれていることではない。
むしろ私の観測する範囲では、技術を学ぶ意欲のある人ほど、慣行農業者と分け隔てなく交流を持って互いに学び合っている。
「生産現場に有機と慣行の分断など存在しない」といわれる所以だと思う。
日本における有機農業の定義は有機農業推進法で、有機農産物の基準は有機JAS認証で定められている。
これらに当てはまらず、分類上は「慣行農業」であっても、実際には限りなく有機に近い栽培をおこなっているケースもあれば、逆に有機農業であってもビニールマルチや外部からの資材を多投入しているケースもある。
経営判断として有機を選択するかどうかにより線引きはあるものの、実際には両者の間には広く複雑なグレーゾーンが横たわっている。
そして、その垣根はこれからますます低く、曖昧になっていく可能性が高い。
こうした実態からも、農法の違いだけでおいしさを判断するのはやはりあまり意味がないということが、わかってもらえるのではないだろうか。
実際にあった出来事として、あるオーガニックイベントで企画された「味比べクイズ」では、オーガニックに好意的な人々が大多数を占めていたにも関わらず、多くの参加者が有機と慣行の味を判別できず不正解となり、うやむやに終わった。
ただ、圃場を通じた地域資源の循環や、生態系の仕組みを生かす栽培、また顔の見える顧客との支え合いを大切にしたり、旬のものを鮮度よく食べてほしいという願いは、生産者が有機農業を選ぶ理由にも密接に関わっている場合が少なくない。
自分なりの哲学やライフスタイルを実現する経営手段としてたどり着いた「有機農業」という方法に誇りを持っている生産者のことを、少しも悪く言うつもりはない。
この辺りの線引きはとても難しいが、「オーガニック=優れたもの」というステレオタイプを避けるのと同じくらい、「オーガニックなんて何も意味がない」と断じるような極端さとも、慎重に距離をとっておきたい。
ストーリー
これには、生産者から発信されるストーリーと、
消費者がそれを受け取って組み立てるストーリーのふたつの側面がある。
生産者から発信されるストーリーには、農業への想いや、栽培へのこだわり、自身のライフヒストリー、消費者や地域との関係性、といったものが考えられる。
消費者側のストーリーは、思い入れや体験といった要素を通じて紡がれる。
まず、生産者の語りを受けとめつつ野菜を食べるという体験に、スーパーの野菜では得られない価値が生まれる。
さらにその体験や美味しさをSNSで発信したり本人に伝えることで、生産者の物語に参加できる楽しみがある。
そうやって思い入れができた先で、援農や収穫イベントに訪れて新鮮な野菜を丸齧りすれば、ひときわ美味しく感じられるだろう。
生産者と仲良くなり、親戚ができたような充実感が生まれることもある。
こうした関係性や体験の楽しさ、そこから生じる食や料理への意欲が、美味しさの記憶をいっそう引き立てる。
そしてこのようなストーリーは、これまで有機農業との相性が良かった。
前編でも見てきた通り、有機農業者は相対的に、市場流通と異なるチャネルで消費者との接点を持っているケースが多いためだ。
農業が過度に工業化され、消費者との距離が広がったことへのアンチテーゼとして有機農業運動が生まれた歴史を考えれば、有機農業が物語をかたることは市場戦略というよりはアイデンティティのひとつに近い。
それを受容する消費者の側もまた、物語を期待してきた。
70年代に生まれた「提携運動」はその最たるものだった。
比較をわかりやすくするため、あえて度々引き合いに出すが、一般的にはスーパーで販売されている農産物にストーリーは存在しない。
これはスーパーやその顧客がストーリーを軽視しているという意味ではない。
より安く新鮮に、素早く、安定して手に入ることがスーパーの機能的価値であり、販売する側も消費者側もスーパーにそれを求めていないというだけだ。
有機農業はこれを逆手にとり、慣行栽培との価格差を乗り越えるためにストーリーを活用してきたとも言える。
日本において有機農産物は安全・安心を理由に選ばれがちだが(※1)、実際には、生産現場と切り離された生活のなかでもう少し農業に触れたい、繋がりを持ちたい、という感覚が最初にあり、結果的にそれを満たしてくれるのが有機であったという順序で辿り着いている層が、特に若い世代ではそれなりに存在するのではないだろうか。
ただし今日では、SNSや産直ECサイト等が普及したことで必ずしも有機ならではの手法とは言えなくなり、「ストーリーの供給過多」になっているのは否めない。
またマスメディアで農業を取り上げる際、とりわけ有機農業は「困難をいとわず、常識にとらわれず、人の健康や地球のために安全・安心な農業に取り組むチャレンジャー」といった紋切り型のストーリーに乗せて好意的に紹介されやすく、これらが有機農業の安易なイメージを再生産してきた側面は、あらためて批判していく必要があるだろう。
安心(感)
有機を選ぶ消費者心理としての安心(感)も、ふたつの側面に分けて考えることができる。
ひとつは農薬や化学肥料が概ね使われていないということでの、文字通り「安全・安心」の感覚による「安心」。
もうひとつは、ストーリーとも密接に関わっているが、生産者の情報や人となりが見えていることや、関係性を持つことで生まれる「安心感」だ。
前者においては、体に悪いものを食べている(食べさせている)かもしれないという漠然とした不安感を抱かずに済み、心理的安全が確保されることが、主観的には食事のおいしさに寄与するという風に考えられるだろう。
仮にそれが科学的には間違った思い込みだとしても、他者が無理に取り除こうとするべきものではないと思う。
一方、後者に関しては先にも触れた通り、有機農業と相性は良いが、必ずしも有機でなければ実現できないというものではない。
それどころか生産者との関係づくりによって育まれる安心感は、農薬や化学肥料への不安感を和らげ、乗り越えていける可能性さえ提供し得るかもしれない。
例えば慣行農業でも消費地に近い都市部なら、東京都三鷹市の冨澤ファームでは「畑のオープンキャンパス」などの、消費者が農作業を気軽に体験できるプログラムを意欲的に提供している。
こんな風にアクセスの良い農地で生産者と消費者の相互理解、学び合いの場が提供されることの価値を、農薬の有無でジャッジするのは空虚で意味がない。
冨澤ファームに学生や若い世代が集う景色を見ていると、適正に農薬を使用した農産物の安全性が、科学的根拠による論理的な説得を用いなければ伝わらないと思うことが、そもそも間違っていたのかもしれないとさえ思わされる。
農と人との距離感
ちなみに、私自身は日々それなりに有機農産物を食べている方だと思う。
オーガニックカフェ時代からのつながりであったり、仕事でお付き合いがあったりする方達から、買ったり、いただいたりという機会が自然と生じるためだ。
なので「消費行動として、有機を選んで買っている」というよりは、「人から買っている(いただいている)」という感覚に近い。
こうした関係性は今や有機の専売特許ではない、と先に書いた。
しかし一方では有機農業が小さくともその価値を社会に提案し、培ってきたからこその文化でもあり、その事実は尊重されるべきだと思っている。
私がいただいている有機農産物は幸いにして、ちゃんとおいしい。
なので、人から「有機っておいしいの?」と聞かれた時は、こう答えるようにしている。
「おいしい有機はある。でも、『有機=おいしい』という意味ではない」
「有機だからおいしいという捉え方は、有機生産者に対しても失礼だと思う」
農法ではなく生産者と野菜を見る、ということが当たり前になっていけば良いと思う。
それはとりもなおさず、皆がもっと農業のことを知っている、農と人との距離感が回復された社会をつくっていくということだ。
(※1)
令和元年度 農林水産省 有機食品等の消費状況に関する意向調査
オーガニック食品を初めて飲食したきっかけは、「自分や家族が病気にならないため」と回答した割合が22.6%と最も高かった。
令和4年7月 農林水産省 有機農業をめぐる事情
「週に一度以上有機食品を利用している」者では、有機農産物に対するイメージは「安全である」「価格が高い」「健康にいい」が主であった。
※記事内容は全て筆者個人の見解です。筆者が所属する組織・団体等の見解を示すものでは一切ありません。
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