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第3回 コメ農家のハシゴを外す小泉農相──稲作を破壊する“価格介入”という名の地獄【浅川芳裕の農業note】
小泉農相の言動が引き起こす農家の動揺と混乱
こんなコメ農家のX投稿が目に留まった。
https://x.com/minorinfarm/status/1931289962475094155
小泉農相の一連の価格介入にかかわる言動に対して、稲作現場の怒りと落胆、将来への絶望感を端的に表している。
田植えの最盛期には「備蓄米の指値“無制限”放出」を打ち出し、稲刈りの時期には、大量の輸入米が日本に到着するよう「SBS米の入札を前倒し」する──コメ農家にとっては、まさに地獄のような米価低下策が次々と実行されている。
彼にとっては政治パフォーマンスかもしれないが、コメ農家にもたらす実害があまりに大きいのだ。
稲作ビジネスとコメ農家の起業家精神
稲作は単なる“生産”ではない。水田という超長期に投資してきた巨大インフラの維持をベースに、永続的な食料生産を前提とした営農・経済活動であり、その特性から極めてリスクの高いビジネス形態である。
この事業に参入した者は、日々の天候や異常気象、日本全体の需給動向、さらには農水省や自治体による制度変更といった、個別の努力では制御不能な外部要因に常に晒されている。そうした中で、価格は大きく変動する。
生計を成り立たせる水準で稲作を営むには、少なくとも数千万円から数億円規模での機械や施設への投資を行い、なおかつ継続的な更新が必要になる。水田回りのインフラ整備・維持も不可欠であり、地域の利害関係者との調整や問題対応も日常的な業務の一部である。
それでもコメ農家は、事業者としてこれらの複合的かつ高リスクな条件を受け入れ、見返りとしての収益を得る可能性に賭けて、それと引き換えに投資し、経営判断を下し、営農に取り組んでいる。
このような稲作事業において、コメの価格はただの数字ではない。価格とは過去の努力と未来の展望をつなぐ“経営のシグナル”であり、農家にとって最も重要な意思決定の基盤である。
ところが、その価格が小泉農相の裁量で恣意的に操作されるとしたら、どうだろうか。
たとえば、小泉農相は「まずは備蓄米で価格を落ち着かせ、農家と消費者が望む適正価格をつくっていく」と語った。
だが、農家にとっては「大きなお世話」である。
いまの市場価格こそが、農水省の需給誤情報さえも織り込んだうえで、“需給構造が導いた適正価格”であり、10年に一度あるかないかの収益機会となっている。
それを「政府がつくる適正価格」などという歪んだ正義感で潰されるなら、稲作経営の未来など見通せるはずもない。
さらに追い打ちをかけるように、小泉農相は本日(2025年6月12日)、「米価高騰対策」という“美名”のもと、入札制度を一方的に変更し、新米の時期にわざわざ合わせて輸入米を市場に放出するという暴挙に出た。
再生産リスクと供給の非弾力性
農業、とりわけ稲作は「供給の非弾力性」を持つ。
播種(はしゅ)適期が限られ、田植えが終わった時点で、その年の供給可能量は事実上固定され、市場価格が変動しても供給を増減することはできない。
農家は限られた「事前」情報をもとに、播種床の準備から種もみや資材の発注といった重要な作業・判断を行い、収穫まで半年以上のリスクを抱える。とくに、肥料・農薬・燃料といった外部投入財は、国際市況や為替相場に大きく影響を受ける。
農家は、原油高や円安によるさまざまなコスト上昇リスクを吸収しながら、再生産可能な利益を目指さねばならない。コメの原価は長年にわたって上昇しているが、それでも売価に反映できないのが市場メカニズムである。
このとき、コメの価格は需給バランスを映し出す「唯一の手がかり」であり、合理的な作付判断の前提となる。
しかし小泉農相が示したように、政府が田植え前後に「備蓄米を安価に無制限放出」、稲刈り時に「外国産米を大量輸入」といった政策を示唆するだけで、コメ農家の経営判断は大きな混乱に陥る。
いわゆる“期待形成”──農家が未来の価格や政策をどう見込んで現在の投資を行うか──が混乱し、意思決定の精度が損なわれるからだ。
コメ農家の”期待形成の崩壊”と”情報の断絶”
農家の作付判断は、前年の価格、需給、地域の条件などの情報をもとに行われるが、それは「市場が正常に機能している」ことが前提である。
ところが、価格が小泉農相の裁量で乱されれば、農家の合理的な経営判断は根本から崩れる。
たとえば、昨年の高値を受けて、そのマーケット基調の継続を前提にリスクをとり、今年、農機の買い替えや設備投資、増産に踏み切った。その直後に、農相の介入によって今後の価格が暴落すれば、投資回収の道さえも危うくなる。
これはまさに“ハシゴを外す”行為であり、農業の経営リスクを不条理なものに変えてしまう。政策によって意図的に情報の非対称性が作られ、農家だけが「後出しジャンケン」で損をする構図が続けば、事業としての稲作は成立しない。
「価格高騰は悪」という誤解──市場が動かす農業の健全な循環
市場経済において、価格は単なる数字ではない。価格とは需給の逼迫や希少性を映し出すシグナルであり、リスクを取った者にリターンを与える、きわめて基本的な経済の仕組みである。
価格高騰は“悪”ではまったくない。むしろそれは、コメという商品そのものだけでなく、水田というインフラ、そしてコメ農家という存在の希少性までも正当に評価する市場の反応である。
自らの資源価値を再認識した農家たちにとって、価格の高騰は「我こそは」と増産意欲を燃やす出発点となる。
ところが、小泉農相は「主食の価格が2倍になって何もしない政府などありますか」と我が物顔で語り、価格介入に踏み切ることで、そうした健全な意欲に水を差し続ける。
この“価格のシグナル”が農業においていかに強力で、持続的な主食の供給力強化に資するか。彼はまったく理解していない。
コメを超える世界的な主食=小麦の価格が2倍になったとき、先進国政府は価格介入をしなかった。その成果こそが彼の無知への反証である。
【事例1】2007〜2009年:小麦価格高騰と世界的増産
「2007年、国際市場において小麦価格が従来の2倍に急騰すると、世界中の農家が一斉に増産に動いた。結果として、2009年には世界の小麦生産量が6億8,300万トンに達し、わずか1〜2年で約8,000万トン(約13%)の大増産となった。それまで6億トン前後で推移していた世界の生産水準を一気に押し上げたのは、まさに「価格」というただ一つのインセンティブだった」(浅川芳裕『日本農業が必ず復活する45の理由』)
【事例2】2022年:ウクライナ戦争と欧米の“無介入”
さらに記憶に新しいのが2022年、ウクライナ戦争の影響による小麦価格の再高騰である。このときもアメリカやEUは価格介入を行わず、市場に委ねた。その結果、農家は高価格の恩恵を享受し、農業機械の更新や乾燥設備の拡充、土壌改良、規模拡大といった中長期的投資に積極的に踏み切った。価格の上昇が、“農家のリスク選好”を後押しし、生産性向上を通じた持続的供給強化につながったのである。
価格が示す「再生産のシグナル」──農家の自発的な調整力
この事例が示しているのは、政府の介入がなくとも、「価格」という自然な市場のシグナルによって、農家は自らの判断で供給量を調整し、再生産へと向かうという事実である。
つまり、価格の高騰が農家にとっての「経営判断の根拠」となり、それが次年度の供給力の強化につながる──これこそが市場経済の基本原則であり、農業におけるもっとも健全な景気循環である。
こうした判断を農家に委ねることこそが、先進国に共通する農業政策の基本である。
小泉農相の「何もしない政府などありますか」という頓珍漢
にもかかわらず、「主食の価格が2倍になって何もしない政府などありますか」と我が物顔で語る小泉農相の発言は、農業における市場経済の本質をまったく理解していない、あまりにも頓珍漢な主張である。
自身の無理解に基づくその場しのぎの介入政策は、到底許容できるものではない。
農家から見れば、小泉氏は市場を裁定しようとする“独裁者”のような存在に映っている。価格形成という自然な力学を破壊し、農家の主体的な判断を真っ向から否定していることに、本人はまったく気づいていない。
とりわけ農繁期のまっただ中、コメ農家たちは疲労困憊のなかで彼の発言をニュースで目にするたびに気が滅入り、せっかく芽生えた増産意欲や、リスクを取って挑戦しようとする心理が、日々冷やされていく。
そのことすら理解せず、軽々しく「農家さんのため」「(介入で)コメ離れを防いでいる」などと口にする姿勢と、見せかけの温情主義こそが、もっとも現場の心を打ちのめすのである。
農家は「守られる存在」ではない
農家は“保護される弱者”ではない。自らの判断でリスクを引き受ける実業家であり、合理的に経済行動を行う経営主体である。したがって、農業政策は農家の判断力を信頼し、予見可能な制度のもとで、市場が本来の機能を発揮できるよう設計されるべきだ。
小泉農相のように、稲作を“安易な政治パフォーマンス”の道具として扱う姿勢こそが、もっとも農家を傷つけ、日本の農業を根底から崩壊させる。
「脱・介入主義」こそ農政改革
農業政策は、農家の合理的な意思決定を支える方向にこそ再構築されなければならない。市場に委ねるべき領域と、最低限のセーフティネットは明確に区分される必要があり、政府の介入はあくまで限定的かつ透明でなければならない。
コメ農家を、“政府に保護される憐むべき対象”でも、“食料安保の看板を背負わされる奴隷”でもなく、自主独立した事業者として尊重する──この当たり前の原則に立ち返ることが、「脱・介入主義」農政設計の出発点である。
市場を信じ、法制度を正す唯一の改革ポイント
そのために必要なことは、ただ一つ。「コメの価格安定」を農水相の法的任務と定めた制度を撤廃することである。
小泉農相が需給や価格への介入を自由気ままに行えるのも、その背後に「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」という法律が存在するからにほかならない。
いま、ニッポン農業の最大の問題とは何か?
それは、農家の減少でも高齢化でもなければ、耕作放棄地の増加でもない。
小泉農相その人である。彼が率いる農水省による過剰介入が、市場価格のメカニズムを歪め、その結果として引き起こす人為的な問題である。
市場の健全な循環を妨げる制度を根本から見直し、農家の判断と市場の力を信じる農政へと、いまこそ転換すべきである。
編集部註:この記事は、浅川芳裕氏のnote 2025年6月13日の記事を許可を得て、一部編集の上、転載させていただきました。オリジナルをお読みになりたい方は浅川芳裕氏のnoteをご覧ください。
筆者浅川芳裕(農業ジャーナリスト、農業技術通信社顧問) |