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Vol.4 「なぜ身体にいいの?」野菜の生物学【東大名誉教授 Dr. 唐木の生物学講義】
はじめに
豆やイモなら栄養があるけれど、ほうれん草やキャベツなどの葉物野菜は消化が悪くカロリーが低い。こんなものを食べて、何かいいことがあるの?こんな疑問を吹き飛ばしたのが、かつて世界中で愛された「ポパイ」という漫画でした。主人公のポパイは船乗りですが、恋人のオリーブがピンチになると、缶づめのほうれん草を飲み込み、一瞬にして100人力のパワーを得て悪者をやっつけるという、毎回同じ設定です。この物語の影響は凄まじく、1930年代の米国ではほうれん草の消費量が33%も増加したと言われています。当時の子どもたちにとって、ほうれん草は七面鳥やアイスクリームに次ぐ「大好きな食べ物」の3位にランクインするお気に入りでした。戦後の日本にもポパイの漫画本や映画が輸入され、子ども時代の私も「ほうれん草を食べると強くなれる」と信じました。
実は、ポパイがほうれん草で強くなる設定の裏には、ある研究者が鉄分の数値を「3.5mg」と書くべきところを「35mg」と小数点を打ち間違えたため、「鉄分を摂るならほうれん草」という常識ができたという話があります。ただしこれは都市伝説という話もあり、ポパイの作者セーガーは、鉄分ではなく「ビタミンAが豊富」という理由でほうれん草を選んだと言っています。いずれにせよ「野菜は身体に大きな影響がある」というイメージは、この漫画を通じて世界中に浸透しました。現代の科学は、この「100人力を生む魔法」の正体を、ビタミンやミネラルだけでなく、細胞レベルの防御スイッチや腸内細菌との連携という驚くべき仕組みから解き明かしています。
第1章 野菜は認知症を減らす!
最近の研究では、野菜の摂取量が将来の病気のリスクを左右することを示しています。2025年に発表された最新の研究によれば、野菜摂取が軽度認知障害(MCI)のリスクを40%、果物摂取が34%低減させます。国内で実施されている「多目的コホート研究(JPHC研究)」でも、50歳から79歳の男女4万3000人を対象とした20年間にわたる追跡調査の結果、野菜と果物の総摂取量が多い男性では、認知症の発症リスクが13%、女性では15%低いことが判明しました。種類別では、男性はブロッコリーやキャベツなどアブラナ科野菜の摂取によりリスクが16%低下し、女性はほうれん草や小松菜など緑色野菜の摂取により21%も低下したのです。これは、野菜に含まれる成分が脳の神経細胞を保護し、加齢に伴う認知機能の低下を食い止める強力な防壁となっていることを示しています。
野菜の健康効果は脳のみならず、血管系全体にも及びます。28万人のデータを解析したところ、野菜と果物を豊富に摂取するグループは、冠動脈性心疾患のリスクが17%低く、脳卒中に関しても、野菜の摂取により14%、果物の摂取により23%のリスク低減が認められています。これらのデータは、野菜を積極的に摂取することが、現代人の主要な死因である循環器疾患の予防において、薬物療法に匹敵する、あるいはそれを補完する重要な戦略であることを物語っています。
第2章 ビタミンの役割
野菜が身体にいい理由と言えば、だれでもがビタミンとミネラルを思い浮かべるでしょう。これらはまさに野菜の「良さ」の根幹を成す要素です。特に最新の研究では、ビタミンCの役割が再注目されています。JPHC研究によると、野菜や果物に含まれる抗酸化ビタミンのうち、ビタミンCは、認知症のリスクを男性では29%、女性では24%低下させたのです。
ビタミンCが脳を守るメカニズムとしては、強力な抗酸化作用による酸化ストレスの軽減が挙げられます。脳はエネルギー代謝が激しく、活性酸素が発生しやすい組織ですが、ビタミンCは脳内のDNA損傷や、アルツハイマー型認知症の原因物質とされるアミロイドβの形成を抑制する可能性が考えられています。また、ビタミンCは血管壁の健康を維持し、動脈硬化を抑制するため、脳血管性認知症のリスクも低下させると推測されます。
第3章 植物が秘めるフィトケミカル
ビタミンやミネラルと同等以上に重要視されているのが「フィトケミカル」です。これは、植物が紫外線や害虫などの外敵から自らを守るために作り出す化学物質の総称であり、人間が摂取することで様々な健康効果を発揮します。
フィトケミカルの研究において特筆すべきは、ブロッコリーに含まれる「スルフォラファン」の発見です。1980年代、米国ジョンズ・ホプキンス大学のポール・タラレー教授は、がんを予防する物質を探していたところ、野菜が体内の解毒酵素を飛躍的に活性化させることを見出しました。1992年、タラレー教授はその主成分がスルフォラファンであることを特定し、世界中に大きな衝撃を与えました。スルフォラファンは、それ自体が酸化を防ぐだけでなく、細胞内の「Nrf2」というスイッチをオンにすることで、人体が本来持っている数百種類もの防御遺伝子を一斉に働かせるという特異な性質を持っています。この発見以来、スルフォラファンは多くの臨床研究の対象となっています。
その他に、緑茶抽出物のカテキン、ブルーベリー抽出物のアントシアニン、大豆抽出物のイソフラボンなど、多くのフィトケミカルがあり、それらの大部分は健康食品として利用されています。
第4章 「天然の発がん性物質」を野菜から摂取!
野菜の成分を語る上で避けて通れないのが、1997年に日本賞を受賞した米国の著名な毒性学者、ブルース・エイムズ教授による衝撃的な指摘です。食品中の化学物質というと、農薬や添加物を思い浮かべますが、エイムズ教授は、私たちが日常的に摂取している化学物質99.99%は人工の農薬や添加物ではなく、植物が昆虫や動物から身を守るために自ら作り出した「天然の殺虫成分」であることを見つけました。驚くべきことに、これらの天然化学物質の約半分に当たる52種類中27種類に発がん性が認められたのです。つまり、私たちは日常的に、多くの「天然の発がん性物質」を野菜を通じて食べていることになります。
食品には残留農薬や添加物が入っているから不安という人が多いのですが、それらの量は天然の発がん物質の1万分の1という微量に過ぎず、しかも発がん性化学物質はないので、身体には何の影響もないことをぜひ知っておいていただきたいと思います。
多量の「天然の発がん性物質」が存在するという事実は一見恐ろしく思えますが、エイムズ教授はこれこそが野菜が健康に良い理由の裏返しであると説明しています。私たちの体には、DNA修復酵素やグルタチオンS-トランスフェラーゼといった、有害物質を無毒化する強力な防御システムが備わっています。少量の「天然の毒」を常時摂取することで、これらの防御システムが常に「オン」の状態に保たれ、結果としてがんや老化の原因となるダメージから体が守られる、「ホルミシス」という効果が得られるのです。
合成であれ天然であれ、化学物質は低用量であれば私たちの体は十分に処理可能です。エイムズ教授は、合成農薬の微量な残留を心配するよりも、野菜に含まれる豊富なビタミンやミネラルを摂取しないことによる「栄養不足」の方が、はるかにがんのリスクを高めると警告しました。
エイムズ教授は私と同じ専門分野で、何度も話をお聞きしたことがありますが、残念ながら2024年に95歳で亡くなりました。高齢になっても研究を続けられ、晩年、「トリアージ(優先順位付け)理論」を提唱しました。体内のビタミンやミネラルが不足すると、身体は目の前の生存や生殖に必要な機能にビタミンやミネラルを優先して消費してしまいます。すると、老化防止や遺伝子の傷を治すなどの長期間の健康維持に使う分が足りなくなり、病気につながるという理論です。
野菜に豊富に含まれるビタミンK、セレン、マグネシウム、そしてエルゴチオネインやPQQ(ピロロキノリンキノン)といった成分を教授は「長寿ビタミン」と位置づけました。これらを十分に摂取し続けることが、長期間にわたる細胞の損傷を防ぎ、健康寿命を延ばす鍵となります。
第5章 腸内細菌とポリフェノール
そもそも野菜は消化しにくく、栄養価が低いのですが、消化しにくい主成分は食物繊維です。そしてこれは、野菜の欠点ではなく、重要な機能です。食物繊維は小腸では吸収されません。そのまま大腸に届いて、腸内細菌のえさになるのです。つまり「ヒトが消化できない」ことが「無意味」ではなく、腸内細菌との共生系に資源を供給しているのです。
腸内細菌の多様な働きについては別の回でお話ししましたが、近年の研究の中でも、最も注目に値する発見の一つが「ポリフェノールと腸内細菌の相互作用」です。ポリフェノールは小腸での吸収率が10%未満と非常に低いので、十分な量を身体に取り込むことができないとされてきましたが、実はその「吸収されにくさ」こそが重要であることが分かってきました。
吸収されなかった90%以上のポリフェノールは、そのまま大腸に到達し、腸内細菌によって代謝されます。例えば、玉ねぎなどに含まれる「ケルセチン」は、腸内のビフィズス菌の遺伝子発現を変化させ、ビフィズス菌が本来持っている抗炎症活性を顕著に高めることが分かりました。ケルセチンや緑茶のポリフェノールは、糖尿病や皮膚の老化の原因となる有害物質であるフェノール類を作る酵素を阻害することで、体内環境を浄化する働きがあります。
またポリフェノールは「アッカーマンシア・ムーシニフィラ」という有益な菌を増加させます。この菌は、腸管バリアの維持、肥満や2型糖尿病、メタボリックシンドロームの抑制、腸内免疫の活性化、炎症の抑制など、多くの作用により健康を維持する可能性が研究されています。
第6章 「薬」としての野菜
現代でこそ一般的な食材となっている野菜も、歴史を紐解けば、その並外れた健康効果ゆえに「薬」として重宝されてきたエピソードが数多く存在します。
トマトは南米アンデス高原が原産ですが、16世紀にヨーロッパに持ち込まれた当初は「有毒植物」と信じられ、200年近くも観賞用とされていました。しかし、18世紀のイタリアでの飢饉をきっかけに食卓に広まり、「トマトが赤くなると医者が青くなる」という諺が生まれるほど、健康に良い野菜としての地位を確立しました。
キャベツもまた、古代ギリシャ時代には「薬」として利用されていました。1940年、米国のガーネット・チェニー博士は、キャベツの生搾りジュースが胃潰瘍を治癒させることを発見し、その成分を「ビタミンU(キャベジン)」と名付けました。とんかつに添えられた千切りキャベツは、胃腸を保護し脂肪の吸収を抑えるという、極めて理にかなった食の知恵なのです。
第7章 野菜を食べない人たち
最近では「野菜は健康の絶対条件」というイメージができていますが、伝統的な食生活を送るイヌイットなどの北極圏の人々は、野菜をほとんど食べずに健康を維持しています。その理由の一つは、私たちが野菜から得ているビタミンやミネラルを、彼らは動物から摂取しているのです。ビタミンCは植物に多いのですが、アザラシの肝臓やクジラの皮膚にも豊富に含まれています。これらを「生」で食べることで、加熱によるビタミン破壊を防ぎ、壊血病を回避しています。ビタミンAとDは、魚の脂や海獣の肝臓に極めて多く含まれていますし、鉄分やミネラルは、動物の血液や赤身肉に豊富に含まれています。
彼らは、糖質をほとんど摂らないのですが、その身体には「糖新生」という能力が存在し、摂取したタンパク質や脂質を肝臓で分解して、脳や身体に不可欠な「糖」を自ら作り出しています。彼らの主食であるアザラシや魚には、血液をサラサラにし、炎症を抑えるEPA、DHAというオメガ3脂肪酸が大量に含まれています。これが、高脂肪・高タンパクな食事による血管へのダメージを相殺していると考えられています。
これは、数千年の歴史の中で、高脂肪食に特化した遺伝的進化を遂げた結果ですが、現代になり、彼らの生活に砂糖や小麦粉などの「西洋的な食品」が流入すると、野菜不足のまま糖質が増えたことで、糖尿病や心臓疾患が急増しているという現実もあります。
「人間は環境に合わせて、驚くほど柔軟に栄養を確保できる」ということですが、現代の環境に生きる私たちはイヌイットとは違って、野菜不足に慣れていないことも確かです。
おわりに
「野菜は体に良い」という古くからの言い伝えは、現代科学によって、生体防御の物語へと昇華されました。野菜がもたらす恩恵は、単なる栄養補給に留まりません。エイムズ教授が指摘したように、植物由来の微量の「天然の毒」が私たちの防御システムを訓練し、さらに豊富な「長寿ビタミン」が将来の疾患リスクを回避するためのトリアージを正常化させます。また、腸内細菌との高度な共生関係によって、私たちの免疫システムは日々アップデートされています。1日350グラムの野菜を摂取することは、単なる食事の習慣ではなく、自らの身体に備わっている生存のための防衛システムを最大限に稼働させる「戦略的な投資」です。野菜の持つ大きな力を理解し、日々の生活に賢く取り入れることが、真の意味での健康長寿への確かな一歩となるでしょう。
註:この記事は、唐木英明氏のnote『東大名誉教授の生物学講義』 2026年3月21日の記事を許可を得て、一部編集の上、転載させていただきました。オリジナルをお読みになりたい方は『東大名誉教授の生物学講義』をご覧ください。
筆者唐木英明(食の信頼向上をめざす会代表、東京大学名誉教授) |



