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ゲノム編集トマトの販売停止要求に正当性・妥当性はあるのか
ゲノム編集食品の販売をめぐる消費者団体との摩擦がついに表面化した。対象となったのは2020年12月、厚生労働省への届出が受理され、世界に先駆けて日本で流通が開始されたゲノム編集トマト「シシリアンルージュ・ハイギャバ」。当初は家庭菜園用苗の無償配布やオンラインでの直販を中心としていたが、2025年に入って販路がスーパーマーケットへと拡大した。すると、同年12月18日、日本消費者連盟をはじめとする市民団体は、コストコ、イトーヨーカ堂、三浦屋の3社に対し、当該トマトおよび関連加工品の販売中止を求める「要請・質問状」を送付。これに呼応して、店舗周辺での抗議活動や、会員による監視活動(店舗での販売確認と通報)が展開されている。消費者団体による販売停止要求と付随する活動に正当性・妥当性はあるのか。唐木英明東京大学名誉教授が考察、小売業者の対応を提言する。
消費者団体は「予防原則に基づく排除」を主張
消費者団体と小売業者との対立点は、ゲノム編集食品に対する規制のあり方にある。厚生労働省は、外来遺伝子を導入する従来の「遺伝子組み換え」と異なり、特定の遺伝子を切断して変異を促すだけの「SDN-1類型ゲノム編集」については、自然界でも起こりうる変異と同等とみなし、厳格な安全性審査を不要とする「届出制度」を採用している。
対して消費者団体は、この手続きを「審査の欠如」と捉え、「安全性が確認されていない人体実験」と主張している。彼らの主張は、「長期的な影響が不明である以上、予防原則に基づいて排除すべき」という立場に立脚している。
そこで、以下の3点について検討する。
- 科学的妥当性: 消費者団体が主張する「オフターゲット効果」や「毒性」への懸念は、現在の科学的知見と照らし合わせてどの程度妥当か。
- 市場の倫理: 合法的な製品の排除を求める行為は、消費者の権利運動として正当化されるのか、それとも他者の選択権を侵害する「市場の私物化」か。
- 企業の対応: 小売業者は、一部の強い抗議と、サイレントマジョリティの購買行動の間で、どのような倫理的判断を下すべきか。
科学的安全性は問題なし
高GABAトマトは、CRISPR/Cas9技術を用いて作出された。具体的には、トマトが本来持っている遺伝子のうち、*GABAの合成にブレーキをかける部分を切断・欠失させることで、ブレーキ機能を解除し、GABAが常に高濃度で合成されるように改変されている。重要な点は、ここに「外来の遺伝子(他の生物のDNA)」は残存していないという事実である。
消費者団体はゲノム編集を「不自然な操作」として忌避するが、農業の歴史において「人為的な遺伝子変異」は一般的である。広く行われている放射線育種は、ガンマ線などを照射してDNAをランダムに破壊し、偶然生じた有用な変異を選抜する手法で、ゴールド二十世紀梨や一部の酒米などがこれに当たる。化学変異処理は、変異原物質を用いてDNAを変化させる手法である。
これらの従来法では、ゲノム全体に数千から数万箇所のランダムな変異が生じるが、これらは「安全」とみなされ、特段の審査もなく流通している。対して、ゲノム編集は狙った特定の箇所およびごく少数のオフターゲットに変異を起こす技術である。科学的リスク評価の観点からは、ゲノム編集の方が従来育種よりも「意図しない変異」のリスクは低い。
消費者団体が主張する「危険性」の多くは、技術的誤解や過度な予防原則に基づいていると言わざるを得ない。特に「*オフターゲット効果」については、科学界では「従来育種よりもずっと少ない」というコンセンサスが形成されている。したがって、科学的見地からは、当該トマトの販売を即時禁止しなければならないほどの切迫した危険性は認められない。
*GABA 主に脳の興奮を抑え、リラックスを促す抑制性の神経伝達物質として機能し、ストレス緩和、睡眠の質の向上、血圧を下げる効果などが報告されている。
*オフターゲット効果 本来作用させるべきではない別の標的(ターゲット)に意図せず作用してしまう現象
表示なしが理由の販売禁止に論理的根拠なし
遺伝子組換えは外来遺伝子が残存するもので、食品安全委員会の厳格なリスク評価が義務付けられる。他方、ゲノム編集は、外来遺伝子が残存せず、数塩基の欠失・挿入に留まるもので、自然界での突然変異や従来の育種選抜と区別がつかないため、法的には「遺伝子組換え生物等」には該当しない。厚生労働省は、「安全性審査」ではなく「届出(事前相談を含む)」を求めているが、これは「審査の手抜き」ではなく、「規制対象外であるものの、行政として把握しておくための措置」という意味合いが強い。サナテックシード社はこの手続きを完了しており、法的に販売は何ら問題ない状態にある。
最大の問題は、ゲノム編集食品には法的な「表示義務」がないことである。遺伝子組換え食品には表示義務があるが、ゲノム編集食品は科学的に判別不能(検知できない)場合が多いため、義務化が見送られた経緯がある。
消費者団体はこれを「消費者の知る権利の侵害」と捉えている。消費者が「買わない自由」を行使するためには、識別情報が不可欠だからである。しかし、現実にはサナテックシード社は「ゲノム編集」であることを自発的に表示し、「シシリアンルージュ・ハイギャバ」という特定のブランド名で販売している。つまり、現状の市場流通においては「隠して売られている」わけではない。この点において、「知らずに食べてしまう」というリスクは実質的に存在せず、表示の欠如を理由とした「販売禁止」の論理的根拠はない。
なお米国と南米は、日本と同様、外来遺伝子がなければ規制対象外とする傾向が強い。EUは、 2018年の欧州司法裁判所判決により、ゲノム編集も原則としてGM規制の対象とする厳しい姿勢を示しているが、近年、見直しの議論も進んでいる。消費者団体はEUの事例を引き合いに出すが、日本政府は科学的合理性とイノベーション促進の観点から米国寄りの規制方針を採用している。この国家方針に対する異議申し立て自体は政治的自由の範疇だが、個別の小売業者への圧力として行使される場合、その妥当性が問われる。
不安マーケティングとカスタマーハラスメント
反対運動の主体は、日本消費者連盟(日消連)、遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーン、そしてOKシードプロジェクトなどの連合体である。日本消費者連盟は、1969年設立の団体で、合成洗剤追放運動や反原発運動など、一貫して「科学技術への懐疑」と「予防原則」を掲げてきた。彼らは、ゲノム編集は、制御不能なバイオテクノロジーの新たな脅威と主張する。OKシードプロジェクトとは、「ゲノム編集でない」ことを可視化するマークを作成・普及させる運動である。これは市場メカニズムを用いた建設的なアプローチと言えるが、同時に不安を煽るマーケティングとも表裏一体である。
今回、コストコ、イトーヨーカ堂、三浦屋がターゲットにされた理由は、以下の戦略である。開発企業であるサナテックシードに開発中止を求めても、応じない。しかし、小売店は「客商売」であり、風評リスクに極めて弱い。小売店を攻めることで流通経路を断つ「兵糧攻め」の効果がある。三浦屋のような高級・高品質を謳うスーパーや、コストコのような食の安全に関心の高い層が利用する店舗は、この種のネガティブキャンペーンの影響を受けやすい。
近年、日本では「カスタマーハラスメント(カスハラ)」が社会問題化し、厚生労働省も定義を策定している。カスハラの定義には「要求内容の妥当性に欠ける場合」や「社会通念上不相当な手段」が含まれる。意見書の送付、不買運動の呼びかけ、街頭での宣伝活動は表現の自由であり、正当な消費者運動の範疇である。他方、同じ質問状を何度も送りつけたり、店舗スタッフに対して長時間説教を行ったりする場合や、「毒トマトである」「食べると病気になる」といった科学的根拠のないデマを流布して営業を妨害することは、カスハラの可能性がある。
今回の事例における「要請・質問状」の送付は、形式的には正当な手続きを踏んでいるように見える。しかし、その背後にある「店舗での監視活動(スパイ行為)」や、回答期限を設けた詰問調の文面は、企業側にとっては強い圧力(威圧)と感じられる可能性が高い。特に、「不安だから売るな」という要求は、企業の営業の自由に対する侵害になり得る。
見え隠れする消費者団体のパターナリズム
倫理的には、他者の自由を制限(販売禁止)することが許されるのは、その商品が他者に明確な害を与える場合のみである。当該トマトの安全性は科学的に確認されており、法的手続きも経ている。したがって、「害がある」という客観的事実は存在しない。存在するのは「害があるかもしれないという主観的な不安」のみである。
主観的な不安を理由に、客観的に安全とされる商品の流通を阻止することは、倫理的に正当化できるか? 答えは「否」である。もし「誰かが不安を感じる」という理由だけで販売が禁止されるならば、電磁波を懸念する人々のために携帯電話の販売を禁止し、添加物を懸念する人々のために加工食品を一掃しなければならなくなる。これは現代社会の存立基盤を揺るがす。
消費者団体の行動には、「消費者は賢くないので、危険なものを間違って買わないように、我々が事前に排除してあげる必要がある」というパターナリズム(父権的温情主義)が見え隠れする。しかし、自発的表示が行われている現状において、消費者は「買わない」という選択を自ら行うことができる。にもかかわらず、選択肢そのものを市場から消し去ろうとする行為は、他者の判断能力を信頼しない独善的な態度と批判されるべきである。
小売業者の事なかれ主義はイノベーションを阻害
このような圧力に対し、コストコやイトーヨーカ堂などの小売業者はどのような判断を下すべきか。過去の遺伝子組換え食品の事例では、多くの日本のスーパーは反対運動を恐れ、取り扱いを避ける道を選んできた。これは「事なかれ主義」であり、短期的なリスク回避としては合理的である。しかし、それは「声の大きい少数派」によって市場がコントロールされることを容認することを意味する。
倫理的に妥当な対応は、「販売継続と棲み分け」である。安全性が確認されている以上、販売を続けることは企業の社会的責任(イノベーションの普及)である。法的義務がなくても「ゲノム編集」と明記し、専用のコーナーを設ける。これにより、反対派の「間違って買ってしまう」という懸念を払拭する。消費者団体からの質問状に対しては、科学的根拠(厚労省の判断、開発企業のデータ)に基づき、「なぜ安全と判断して販売するのか」を明確に回答する。無視は不信を生むだけである。
参考
筆者唐木英明(食の信頼向上をめざす会代表、東京大学名誉教授) |



