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第1回 有機から多農薬農家に転身した理由 ― 農薬を使う使わないは需要を見据えた選択手段【食の数だけ正義がある 明日も争いは終わらない】
社会に蔓延する農と食の「安全安心」ストーリー。その嘘を見抜き利用されないためにも、どこに注意すればいいのか。現役農家の立場から、主にネット上の論争を解きほぐしていく新連載。今回は、有機と慣行の垣根を自ら壊した体験をもとに語る。
有機一筋20年から慣行に経営移行
信州は標高1000mの八ヶ岳高原に新規就農、20年近く多品目生産直売有機農業一筋であったが、2年前より全面的に慣行白菜市場出荷に経営移行した。
有機時代は全くの無農薬である。適切な施肥栽培管理はもちろんだが、適期作と冷涼な気候、何より消費者の理解が無農薬を可能にした。同じように地元の稲作農家も農薬といえば育苗時に殺虫剤農薬撒いて、田植え後に除草剤を1回撒くだけ、そこらで売られている特別栽培の減農薬米よりもよっぽど減農薬。酪農の飼料用モロコシは初期の除草剤1回散布のみ。牛は虫食いモロコシに文句は言わない。
慣行農家になった今でも5月出荷のレタスなどは有機時代と変わらず農薬不要だし、メインの白菜農薬散布も10月中旬で終了、11月下旬までは農薬を一切散布することなく市場に出荷し続ける。時期や作物、売り先次第では無農薬や大幅な減農薬は難しいことではない。
だが、現在の経営の柱である夏場の結球野菜の白菜栽培は人間が「寒いのは服着りゃいいけど、暑いのは無理」というのと一緒で、冬の果菜類栽培以上に自然の摂理に反した栽培。有機農家だった私は今では日本でもトップクラスに農薬を使う部類の農家になった。
安全な農薬を目指せば種類も散布回数も増える
在庫である農薬数で全種で40以上、夏場に限れば1作で使う農薬の種類は25種類になることも。1作の農薬散布回数は多いと12回ほど、夏場の圃場栽培日数は最短で50日まで短くなるので平均で4日に1回は撒くことになる。
白菜の総重量を夏場50日で割れば単純に毎日100g前後大きくなる。農薬を撒いた2日後には、ほうれん草1束分の無農薬部分が育つ。そこに産み付けられたコナガの卵は2日で羽化する。羽化した幼虫が結球内部に侵入すれば防除は効かなくなる。
気温が高い夏は虫の生育が活発だし、雨も紫外線量も多いので農薬の有効期間も短い。これが散布回数が多くなる一つの理由である。そして虫や病気の農薬耐性対応で農薬の種類も多くなる。ストレートパンチだけでは避けられるので、ジャブ、アッパー、ボディーブローの複合技で戦う感じ。
農薬散布用のブームスプレイヤー
しかし回数と種類が増える一番の理由は「数回の散布で栽培期間中、すべての虫を皆殺しにし続ける強力な農薬がない」ということに尽きる。環境や安全に配慮すれば自ずと農薬の成分や濃度自体も弱くなり、強烈な1種類の農薬を数回撒くのではなく、弱くても多様な農薬を数多く撒くという形にならざるを得ない。
農薬の生産額推移を見ても、1970年代に40%以上あった劇物・毒物の農薬は今では10%近い(図1参照)。約9割の農薬が毒物にも劇物にも該当しない普通物である。お猪口1杯で自殺ができる毒物パラコートが普通物グリホサートに除草剤が変わったのが良い例である。農薬の毒性と農薬の効きは必ずしも相関するものではないが、農薬が安全になればなるほど、自ずと種類も散布回数も増えるものではないだろうか。
出典:日本植物防疫協会『農薬概説』
有機は生産より販売に手間とコストが掛かる
有機栽培は手間もコストも掛かるというけど、有機時代は白菜など適期に作れば植えたら収穫までに2回除草に入れば多いくらい。今では農薬散布だけで15回近く畑に通っている。有機で最高の資材と防虫ネットを使っても農薬代と散布コストからすれば安い。
逆に、有機は売るのに手間とコストが掛かる。販売に手間とコストを掛けないと売れないからである。検査認証を受けシールを買い、ブログやSNS、YouTubeで顔を晒し、講演や著作を行ない、パッケージを考え、営業に何度も出向き、物流を用意していかないと売れないほど需要がない。無論、需要なき需要を生み出すのは貴重な仕事ではある。それでも、私はやはり慣行農業を選んだ。売ることよりも生産することに集中したかったからである。
もちろん市場に出していれば市場原理で暴落したりもするが、有機のように市場原理の働きにくい狭い市場では「暴落さえ起きない」。例えば誰でも無農薬で作れる5月の高原レタスをカタログ受注販売している有機流通に出そうと思った場合、まず誰にでも作れるがゆえに、すでに出荷枠がない(図2参照)。夏の果菜類も秋の葉物も同様である。普通に作れる作型は定員オーバー、隙間農産物くらいしか入り込める隙間がない。有機需要に対して生産者が多すぎるのだ。
仮に出荷枠を得たとしても、世の中でレタスの暴落が起きれば、あまりの価格差から通常価格のカタログの有機野菜ではなく安売りしているスーパーに客が流れ、レタスの発注が激減する。私は、業者の発注担当が既存産地の売れ残ったレタスの販売を優先したため、約束の出荷開始3日前に取引を1カ月分遠慮されたことがある。もちろん、無農薬でもちゃんとどこにでも出せるレタスなので、一番信頼の置ける出荷先「JA」を通して普通に市場に出荷できたので事なきを得た。
有機の契約出荷といえば聞こえがいいが、単なる定額出荷であることが多い。結果として市場が安いときは売れない、作るのが難しい高値のときも定額という歪みが生じる。
昨今の有機栽培技術体系の確立は目覚ましい。生産者増大に伴う供給力に本当の需要が追いつかないかぎり、過大評価された有機農家の相対的な立場が下がっていくのは間違いない。
無農薬にも対応できる慣行農家にならなければ
ここで「農薬は危険だから使うな」という人に言いたい。「それは国に言うべきである」と。交通規則と同じでそれは国が決めることだ。いくら安全だからといって高速道路の速度制限を30kmにはしない。社会へのデメリットが大きいからだ。250kmにもしない。危険だからだ。誰もが安全に走れる速度として国は100km制限にしている。
これを80kmにしたければ、客観的な根拠を提示すればいいだけだ。事故が多発していれば間違いなく制限速度は落ちる。
農薬については食品安全委員会に行けば良いだろう。1ppbの意味もわからないような人間がネットで拾った記事や論文を農家や消費者に振り回してもなんの意味もない。
国民全体の利益と安全に関わることは「農薬は危険なはずだ」という思い込みではなく、「科学的な根拠」に拠って公的に審査されるべきである。もちろん不満なら下道を選べばいい。
売り先に困っている有機農家はたくさんいる。彼らのライバルを増やそうとする前に彼らの売り先を広げるのが本筋だろう。
逆に「農薬なしで作物なんてできっこない」という慣行農家に言いたい。「情けないこと言うな」と。能力のある農家なら、作物や時期を選び、都会から来た若造ごときが取得できる有機農業技術をわずかにでも学べば減農薬どころか無農薬も可能だ。
有機栽培の可能性はすでに技術上の問題ではない。需要や販路、規格の問題だ。だからこそ「生産者」がわざわざ有機栽培をするのではなく、慣行農法でしっかり農薬を撒いて市場に安定供給していくというのは当然な選択なのである。
逆に「需要があり販路に問題がない」状況であるならば、有機で生産する能力ぐらいは「生産者」として確保したい。そんな時代に「農薬使わないと作れない、売れない」は言い訳にしかならないからだ。
これからは「農薬使うな!」とか言われたら「ありがとう! 来年の作付け提案だね? 何千箱? トラックは農協の出荷場まで来てくれるんだよね?」くらいの対応ができるようになろう。
農薬に依存しているのは農家ではなく社会
むしろ「ネオニコが禁止になったら無理」とか言う農家は潰れればいい。仮に規制されても、その負荷は全農家平等である。農薬規制で生産量を落とす農家があっても、市場への供給量が減る分、技術で克服した農家の所得が増える。
農業の歴史を見ればわかるように、農薬だけでなく農機具や資材等農家が等しく享受できる技術は農家を豊かにしない。需要には限りがあるので、生産性が上がれば上がるほど価格は下がり農家は不要になる。戦後、稲作1町歩で家族が暮らせた時代は終わり、余った若者たちは都会に行き、今では10町歩でも家族が暮らせないのはこのためである。
農薬は消費者が安定して安価に食料を手に入れるためにあり、人類を農業という生命維持活動の労働力とコストから解放し、より創造的な生産をするためのものである。だから農薬の1つや2つ規制されたところで農家にはメリットこそあれデメリットなどない。
かといって安全である以上、農家の利益のために規制などはされない。特定の業界のために非科学的な理由で規制を設けるのは公共の福祉に反するからである。農薬に依存しているのは農家ではなく社会である。我々はその社会の要請に応じ、必要な農薬を撒き必要な時期に必要な野菜を安定して供給する。それだけが私達が農薬を使う理由である。その需要に応えることに誇りを持つべきである。
最後に、有機にしろ慣行にしろ記載した事例はあくまで一例であることをお断わりしておく。有機であれ慣行であれ、違いよりも遥かに同じ部分が多い農家としてお互いに尊重し合い、今後も共に歩んでいくことを願いたい。
※『農業経営者』2020年4月号「食の数だけ正義がある 明日も争いは終わらない」を転載(一部再編集)
筆者関谷 航太 |