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第3回「『自然派被害』は自己責任なのか」(前編)【分断をこえてゆけ 有機と慣行の向こう側】

コラム・マンガ

2020年11月に出版された『医療の外れで:看護師のわたしが考えたマイノリティと差別のこと』(晶文社)を読んだ。著者の木村映里さんは現役の看護師であり、また摂食障害やナルコレプシー(睡眠障害)の当事者でもある。

この本はセクシュアルマイノリティ、性風俗産業従事者、生活保護受給者など社会的マイノリティとしての属性を付与された人々が、どのようにして「等しく医療にアクセスする権利」から(ときに無自覚に)遠ざけられるのかを、著者の体験を踏まえながら、ケースごとに丁寧に描き出している。

観察者でも研究者でもなく、今なお疲弊する現場に日々出勤するひとりの医療従事者として、またハンディキャップや暴力被害の当事者として、そしてある時には「差別を受ける側」の親しい友人として、描写する対象に極めて近い距離から身を投じるように書かれている。その文章からは、痛みを錯覚するほどの切実さがひりひりと伝わってくる。

なんてことをしてくれたんだ

とはいえ本書は、現場からの生々しいルポや、差別の告発を目的として書かれてはいない。むしろ著者は自分の書く文章が誰かを傷つけていないだろうかと常に自問しながら、どこまでも慎重に、誠実に言葉を探している。その上でなお、著者が捉えようとしているのは差別や分断を生み出す構造だ。

どのような瞬間に、医療現場に差別/被差別の関係が芽生えるのか。医療従事者と患者のコミュニケーションエラーの蓄積がいかにして医療不信にまで発展するのか。その背景を見つめた上で、何が問題の根源なのか、どうすれば分断を乗り越えることができるのか、本気で問い続け、分析を試みている。

また本書の5章では、一部の代替医療についても怒りを込めて言及されている。がんの標準医療を否定し食事療法や酵素風呂などの「自然な」治し方を選んで病院を去っていった患者たちが、病状を悪化させ死の間際で運び込まれてくるのを見るたびに「あいつらなんてことをしてくれたんだ、と叫び出したい気持ちに駆られます」と綴り、一方では「医療従事者の人手不足の問題も含め、病院で話を聞いてもらえない、分かってもらえない、そんな患者の不満と不安の中に忍び込む、甘く優しい情報の引力とどう向き合っていけば良いのか」という揺らぎもまた、真摯に吐露されている。

仕事だからね

「自然派」を志向するコミュニティの内側で共有される価値観の多くは、木村さんから患者を遠ざける「甘く優しい引力」と紙一重のところにある。

木村さんが2018年に公開したnoteの記事には、こんな内容もある。9名の自然派助産師、看護師のブログサイトを比較検討した結果の一部として、9名中9名のブログに「自然治癒力を高めるためにオーガニックな食生活を」と書かれていたという。

言うまでもなく、その多くはステロイドやワクチン、西洋医療全般を危険視する考え方とセットになっている。

(なおこの記事は、自然派助産師・看護師が生まれる背景には彼女(彼)らが抱える生きづらさ、自己肯定感の低さがあるのではないかという結論を導いて終わっている)

かつての僕はこのような価値観が日常会話レベルに溶け込んだコミュニティに、ときに違和感を覚えつつもすっかり順応し、強く抗うこともせず、「仕事だからね」と曖昧な笑顔でやり過ごしてきた。

直接的ではないにせよ、木村さんを苦しめるような理不尽を培養する側にいたのではないかと、喉元に刃を突きつけられたような思いで本を閉じたが、その後しばらくは、いくつかの苦い記憶が頭をよぎり続けた。

デトックスという物語

代替医療の存在が結果的に現代医療への不満や不信感の受け皿になっているのと同様に、多くの自然派思想は政治や現代社会へのアンチテーゼとしての性質を強く帯びる。そこに引き寄せられる人々もまた多くの場合、なんらかの社会への違和感や不安を共有している。

『経済効率ばかりが優先され、人も自然も大切に扱われない大量消費社会のなかで、心身の健康は失われ、地球環境は危機的な状況にある。今こそ自然と調和した「本当の豊かさ」を取り戻さなければならない』

そう言われれば、確かにそうかとも思う。しかし残念ながら、全ての自然派思想が純粋な善意の結晶として存在しているとは言えない。どこかの過程で歪んで、暴走してしまうことがある。人々の不安に付け込み扇動や搾取を目論む言葉たちは、最終的な目的がビジネスであれ信念であれ、おのずと先鋭化し、より強固な依存関係を生み出そうと「私たちの健康を毀損する、悪意ある外敵」を設定する。

医療であれば前述のようにワクチンや抗がん剤、食事であれば残留農薬や添加物、遺伝子組み換え食品などが標的になる。そうして外部化され増幅した恐怖に対し「ケガレのない/本来の/清浄な/あるべき自己の回復」という救済の物語を採用することで、人を強く惹きつける。

農薬や化学肥料(ときに動物性堆肥)を使わない有機食品を摂取してデトックスしよう! というメッセージは、科学的根拠の有無にかかわらず、あまりに容易にこの物語と融合してしまう。

欠如モデルと友人の顔

だからといって、自然派思想に染まり化学物質の摂取をおそれる人々を、単に見下して嘲笑するのは全く間違っている。何がそれを生み出したのかを見なければいけない。

その背景に、何らかの藁にもすがるほどの思いや、心底辛い思いをした経験はなかっただろうか。だとすれば社会や医療は、どこまでその苦しみに寄り添えていただろうか。

「科学と技術は『正しい』のだが、それを理解できない市民の知識の『欠如』が問題だ」とする考え方を「欠如モデル」と呼ぶ。

科学コミュニケーションの世界では、GM(遺伝子組み換え)作物の安全性論争の経験などから、このような「欠如モデル」では市民の理解や同意は得られないとされている。

※参考:林 衛 情報の科学と技術 54 巻(2004)6 号「科学研究のためのインフォーマル・コミュニケーション(〈特集〉科学技術情報流通を俯瞰する)」

このコラムを執筆するときはいつも、有機農業やオーガニックに携わる友人たちの顔を思い浮かべる。あの人や、あの人が読んだらどう感じるだろうかと想像すると、正直に言えば怖いときもある。

意見は異なるかもしれないけど、どうか少し耳を傾けてもらえないかと、祈る気持ちで書いている。有機農業やオーガニックを選択する人の善良さを根本的には信じているし、これからも信じたいと願っているからだ。

一体、どうすればオーガニックへの純粋な善意や熱意、そこにある希望を、人の尊厳を損なう愚かしい陰謀論や健康ビジネスから遠ざけることができるのだろうか。

(後編はこちら

 

※記事内容は全て筆者個人の見解です。筆者が所属する組織・団体等の見解を示すものでは一切ありません。

【分断をこえてゆけ 有機と慣行の向こう側】記事一覧

筆者

間宮俊賢

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