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第7回 日米貿易交渉:石破首相、コメの代わりにジャガイモを“生贄”か?! トランプの交渉の切り札「ポテトカード」と農水省の失態【浅川芳裕の農業note】
2025年7月7日、トランプ米大統領が日本に25%の関税を課す書簡を発出し、8月1日のデッドラインを目前に控え、日米貿易交渉が緊迫している。
この書簡について、米国ジャガイモ生産者のロビー団体・全米ジャガイモ協議会(NPC)会長は「交渉への招待状」と呼ぶ。25%報復関税は単なる脅しではなく、日本を交渉のテーブルに引き出す戦略的シグナルだと捉えている。
NPC会長のクォールズ氏は、7月11日の米・青果業界誌向けインタビューで次のように語っている。
「トランプ大統領の書簡は、関税を課すことが最終目的ではないと私は見ています。これは日本と米国が対話し、建設的な合意に至るための『招待状』です。最終的に日本は25%関税を回避すると信じています。両国は交渉で解決策を見出すでしょう。その合意には、米国産生鮮ジャガイモの日本市場へのアクセスを認めることが含まれるはずです。この市場は(米国のジャガイモ農家にとって)年間1億5,000万ドル(約240億円)の輸出機会で、30年以上前から我々が求め続けてきたものです。日本のジャガイモ需要は国内供給を上回っており、輸入解禁は日本の消費者や一部農家にも利益をもたらします。今回の関税通知がなければ、交渉の機会すら生まれなかったでしょう」
https://www.thepacker.com/news/industry/potato-farmers-specialty-crop-growers-see-record-2-5b-usda-funding
トランプの関税通知は「ポテト交渉カード」
この発言は、トランプの関税通知が日本のジャガイモ市場開放を加速させる交渉の切り札———「ポテトカード」であることを示す。
米国側は、日本が関税を回避(*訳注:万が一回避してもベースライン関税10%は残る)する代わりに、日本政府が長年拒んできた生鮮ジャガイモの輸入解禁を認めさせる戦略だ。
日本のジャガイモ市場開放による経済効果
全米ジャガイモ協議会の年次経済報告書「Spud Nation(イモ国家)」によれば、「日本の生鮮ジャガイモ市場の開放を含む海外市場の拡大は、国内経済に10億ドルの追加効果と5,600人以上の雇用創出(21%増)をもたらす」と試算。「ジャガイモはアメリカで最も愛される野菜であり、日本の市場開放はさらなる雇用と経済成長の原動力となる」という。
「米国産ジャガイモの約20%が輸出され、現在、47.8億ドルの経済効果と約34,000人の雇用を支えている。ジャガイモとその製品は、ジャガイモ農家だけでなく、ジャガイモ農場で働く労働者、加工作業員、トラック運転手、港湾労働者、そして地域社会に経済的恩恵をもたらしている」と強調する。
米国の結束:NPCのロビー活動と政権の後押し
こうした戦略は、長年のNPCによる米政界ロビー活動に裏付けられている。日米貿易交渉とは政府間の外交交渉に見えるかもしれないが、実際にはそうではない。米国政府の対日要求は、すべてNPC(全米ジャガイモ協議会)の主張と一致している。
NPCは米国のジャガイモ生産者を代表する全国団体であり、産業全体の利害を明確に集約し、戦略的に交渉を主導してきた。
会長のクォールズ氏は「我々の主張は大統領の政権公約と完全に一致している」「日本政府の生鮮ジャガイモへの非関税障壁を我々が突破するには、我々と農務省(USDA)、通商代表部(USTR)、そして全ての政権関係者が乗り越えていかなければならない」と述べ、ジャガイモ業界の意志が米国の政界と直結していることを示している。
書簡攻勢:USTRと農務省への直接要請
直近では2025年4月24日、NPCはUSTRのグリアー大使および農務長官ブルック・ロリンズ宛に書簡を提出。「日本による長年の保護主義を打破し、生鮮ジャガイモの市場アクセスを実現するよう」強く求めた。
この書簡では、「日本市場の開放は、米国の家族経営農家にとって年間1億5,000万ドル規模の輸出機会をもたらす」と明記し、トランプ大統領が掲げる「公正な競争条件の確保、雇用創出、米国製品の海外市場アクセス拡大」と完全に一致する政策目標であると位置づけている。
同書簡では、「日本側による30年以上にわたる市場開放の遅延」を踏まえ、「今回こそ交渉を妥結すべき時」とし、トランプ政権の突破力に期待を寄せている。
三位一体の圧力体制:議会も巻き込む
NPCは議会にも書簡を送り、日本政府に対し、政権・議会・業界の三位一体の圧力を構築済みである。
書簡を受け取ったロリンズ農務長官も「ジャガイモ問題を対日農業交渉の最優先課題とする」と明言し、直接交渉のため訪日を表明している(NPC声明、2025年4月25日)。
日米首脳間交渉への布石:英国との前例と比較
日米交渉の緊張感は、トランプ大統領と石破首相による直接対話の可能性によってさらに高まっている。
前例として、米英交渉ではトランプ氏が妥結直前に英国首相に電話をかけた。英国のセンシティブ品目「牛肉の非関税障壁」の撤廃を迫り、英国首相は一部要求を受け入れ、他国に先駆けて協定を妥結している(相互関税はベースラインの10%まで低減)。
同様の妥結圧力が今回、日本にも及ぶことは想像に難くない。
米国農業ロビーの執念:党派を超えた戦略
トランプ大統領の英国との交渉の背後には、強力な農業ロビー団体「全米牛肉生産者協会」がいたが、今回の日米交渉ではそれに優るとも劣らない全米ジャガイモ協議会がついている。米国の農業ロビー団体は、相手国が市場開放するまで、大統領が共和党だろうが民主党だろうが、その手綱を決して緩めない。
例えば、トランプが大統領に就任する前、全米ジャガイモ協議会(NPC)は10人に上る超党派の上院議員に圧力をかけ、バイデン大統領に対し、この問題について日本の岸田文雄首相と協議するよう要請する書簡を出している。
この”超党派”書簡によれば、「米国は日本を除くインド太平洋地域の他の複数の国(韓国、台湾、香港、シンガポール、インドネシア、フィリピン、マレーシア、タイ)に生鮮ジャガイモを輸出してきた豊富な実績があり、年間を通じて安全かつ定期的に行われており、インド太平洋地域の消費者と米国の生産者の双方に利益をもたらしている。日本の保護主義に対し、我々は圧力をかけ続けなければならない」と綴っている。
日本政府の譲歩案とその限界
こうした米国政権からの一貫した圧力に対して、防戦一方の日本政府側は、農水省を通じて、米国側に小出しの譲歩案を通知済みである。
例えば、ポテトサラダ用に限定した生鮮輸入解禁や解禁済みのポテトチップ加工用の生鮮輸入枠拡大といった案である。
つまり、日本はスーパーなどで販売される一般的な生鮮ジャガイモの全面輸入解禁を回避し、特定の業界(例:ポテトサラダやチップ加工用)の需要に応じた限定的な輸入許可を少しずつ進めることで、妥協点を探る戦術を採用している。
「ドル札をまたいで1セント拾う」愚かさ
しかし、NPCはこうした日本の譲歩案を「本質をそらすための手段」と断じ、米国農家にとって『ドル札をまたいで1セント硬貨を拾うようなもの』にすぎない」との声明を出し、トランプ政権に対して強い言葉で牽制した。
この英語の慣用句は「目先の利に走って大局を見失う」愚かさを表現しており、トランプ政権に対して、日本の妥協案で妥結するなというメッセージである。
日本のジャガイモ生産者は交渉の蚊帳の外
こうした日米交渉の過程において、日本ではジャガイモ生産者に情報が一切提供されず、その立場や意見が交渉の場に反映されている形跡は乏しい。
交渉の結果、最も影響を受けるのは日本の生産者である。しかし、当事者であるはずの生産者が交渉過程に関与できていなければ、必要な防衛策も、合理的な主張も提出できない。
他方、日本では相互関税による工業品の“犠牲”回避に比べれば、生鮮ジャガイモの輸入解禁など、取るに足らないと受け取る向きもあろう。
しかし、ジャガイモは生産量約230万トンであり、野菜の中で断トツトップの重要品目である。日本農業にとってコメに次ぐ主要作物であることは見過ごされがちだ。
30年越しの攻防:科学的根拠をめぐる対立
では、これまで日本政府は米国側からの生鮮ジャガイモの輸入解禁要求に対して、どんな交渉をしてきたのか。振返っておこう。
交渉の核心は、日本側の禁輸措置が科学的といえるかにある。
農林水産省は「科学的根拠に基づく」と主張する一方、米国側からは「非科学的な保護主義」との反論が出ている。
交渉の結果、日本側の主張が通らなければ、禁輸解除の可能性が高まり、ジャガイモ産業への影響は避けられない。
SPS協定に基づく日米ジャガイモ交渉の枠組み
生鮮ジャガイモに関わる日米交渉は、WTOのSPS協定(衛生植物検疫措置に関する協定)に基づいて進められている。
SPS協定は、「加盟国は、人、動物、または植物の生命や健康を保護するために必要な衛生植物検疫措置を講じる権利を有する」(第2条1項)と定めており、各国には農産物の輸入による病害虫の侵入・蔓延を防ぐ措置を取る権利がある。
しかし、但し書きがある。講じる検疫措置は「科学的根拠に基づき、必要最小限の貿易制限にとどめる」(第5条1項、第5条6項)こと、および「(検疫を)偽装して、国際貿易を制限する形で適用してはならない」(第2条3項)ことが求められる。
さらに、「科学的データが不足する場合、暫定的な措置を講じることができるが、合理的な期間内に科学的根拠を収集する必要がある」(第5条7項)。措置の詳細や根拠は他の加盟国に通知し、質問に応じる透明性も求められる(第7条、第8条)。
農水省のジャガイモ病害虫リスク分析と遅延
これらの条件を満たすため、農林水産省の植物検疫当局は、米国産生鮮ジャガイモの輸入に関するリスク分析を実施している。この分析は、国際植物保護条約(IPPC)の基準に準拠し、検疫害虫のリスクを評価し、適切な管理措置を策定するプロセスである。
リスク分析は3つのステージで構成される。
- ステージ1(リスク特定):輸入解禁の要請を受け、輸入ジャガイモに関連する害虫リストを作成し、伝播経路を特定。潜在的なリスク要因を洗い出し、分析対象を絞り込む。
- ステージ2(リスク評価):特定された害虫が日本に侵入、定着、拡散する可能性と、経済的・環境的影響を詳細に分析。
- ステージ3(リスク管理):リスクを許容レベルまで低減する検疫措置を策定。検査方法、産地制限、輸入後の取り扱いなどのオプションが検討され、輸入可否や検疫措置が決定される。
米国通商代表部(USTR)によると、
「2020年3月、米国は生鮮ジャガイモの市場参入を求める公式要請書を日本に提出した。2023年9月、日本は生鮮ジャガイモの最終病害虫リストを提供した。翌年2024年9月の植物衛生二国間会合において、日本は病害虫リスク評価の完了に向けて前進していることを米国に伝えた。米国はこの市場アクセス要求に関して日本との関与を継続する」。
「貿易協定プログラムに関する米国大統領の対外貿易障壁に関する国家貿易概算報告書2025版」
この文面からは日本がステージ2の最終段階にあるように見えるが、農林水産省と米国の生産者団体の認識は異なる。
交渉窓口の農水省植物防疫課はUSTRの記述に対し、
「暫定リストは出したが、検疫対象となる有害な病害虫の特定は終わっておらず、最終リストはまだ完成していない。その中身についても作成中のため、つまびらかにすることはできない。いつ完成するかの仮定の質問にも応えられない。リスク評価については、リスト完成後、個別の害虫ごとに実施する予定だ」
と筆者に回答した。
つまり、2025年5月時点で日本はステージ1のリスク特定段階に留まっている。農水省は「日本未発生の病害虫の侵入が被害を及ぼす可能性や、消費者が輸入ジャガイモを畑に植えることによる病気拡散リスクを重視し、慎重な評価が必要だ」と考えている。
農水省の「時間稼ぎ」戦術
農水省の対応について、日米交渉を長年注視してきたNPCは厳しく批判する。
「日本側がこれまで提出したリストにはジャガイモと関連のない病害虫が多く含まれる。リストにどれだけの数の害虫が記載されてもよいが、それは米国産ジャガイモと一緒に輸入される可能性のあるものでなければならない。そして、それらの害虫に対して、どのような検疫措置をとるべきかを包括的かつ具体的な決定を下すのがリスク評価の枠組みだ。しかし、日本はすべての害虫について個別にリスク評価を行うという異例の立場をとる。これは時間稼ぎの戦術にすぎない」
NPCはさらに、「米国の2020年要請から5年がたっており、米国産生鮮ジャガイモの日本市場へのアクセス問題は、実は30年以上にわたる長年の懸案事項だ。米国は1993年に初めて市場アクセスを日本に要請して以来、交渉を続けてきたが、進展はほとんど見られなかった」と述べる。
日米の検疫当局は、2023年および2024年に協議の場を設けている。NPCによると、2023年には米国が病害虫リストを提出すると同時に、日本側から「ポテトサラダ用に限定した生鮮ジャガイモの輸入解禁」を譲歩案として提示。
しかし、2024年の会合では、日本がリスク評価結果を提出せず、前年より多くの病害虫リストを提示し、ポテトサラダ案も撤回。実質的に交渉を白紙に戻す提案をしたとされる。
SPS協定の「合理的な期間内に科学的根拠を収集」(第5条7項)に照らすと、5年以上リスク特定に費やす日本の対応は違反リスクがある。
農水省の失態ー不透明な対応
SPS協定は「科学的根拠や措置の詳細について質問に応じる透明性」(第7条、第8条)を求めるが、農水省は上記の経緯の真偽に対し、
「想定されたご質問にはお答えできない。科学的根拠に基づいて対応している」
と筆者に回答するにとどまった。
日本側の正当な主張を読者に伝えたいところだが、これ以上の情報は得られなかった。
情報公開性が著しく低い現状では、影響を最も受ける国内のジャガイモ生産者は交渉の状況を把握できず、産地・業界としての支援姿勢も示せない。
農水省に問題提起したが、「詳細についてはつまびらかにできない」との回答を繰り返すのみだった。
この遅延は、SPS協定違反と見なされるリスクを高める。WTOの過去の判例では、リスク評価の完了は通常3〜4年が標準。5年以上リスク特定に費やすことは、国際ルール違反と見なされるおそれがある。
コメの代わりにジャガイモが生贄?
日本政府や石破首相の立場からいえば、コメを“犠牲”にせず、ジャガイモを“生贄”にしやすい状況証拠が揃っているともいえる。
この背景には、非科学的な交渉戦術により時間稼ぎを行ってきた農水省の失態が明らかだ。
遅すぎるということはない。今こそ、日本のジャガイモ生産者が前面に立ち、日本政府、そして米国政府に対し、産業を代表する明確な主張とそれを裏付ける行動計画を示すべき時である。
編集部註:この記事は、『浅川芳裕氏のnote』 2025年7月18日の記事を許可を得て、一部編集の上、転載させていただきました。オリジナルをお読みになりたい方は『浅川芳裕氏のnote』をご覧ください。
筆者浅川芳裕(農業ジャーナリスト、農業技術通信社顧問) |