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第5回 アメリカ産牛肉を輸入規制したEUで“乳がんの死亡率は減少”したのか【鈴木宣弘氏の食品・農業言説を検証する】

特集

農と食を支える多様なプロフェッショナルの合理的で科学的な判断と行動を「今だけ、金だけ、自分だけ」などと批判する東京大学の鈴木宣弘教授。その言説は、原典・元資料の誤読や意図的な省略・改変、恣意的なデータ操作に依拠して農業不安を煽るものが多い。AGRI FACTはブロガー晴川雨読氏の協力を得て、鈴木教授の検証記事をシリーズで掲載する。第5回は、成長ホルモンが投与されたアメリカ産牛肉の安全性に関する鈴木氏の言説を取り上げる。

無関係の論文を挙げてアメリカ産牛肉を貶める

鈴木氏の著書『農業消滅――農政の失敗がまねく国家存亡の危機』2刷での内容変更に、次のような変更が加えられた。太字の部分が追加された部分。

「EUでは、アメリカ産の牛肉をやめてから17年(1989年から2006年まで)で、因果関係を特定したわけではないが、域内では乳がんの死亡率が45パーセントも減った国があった(アイスランド▲44.5パーセント、イングランド&ウェールズ▲34.9パーセント、スペイン▲26.8パーセント、ノルウェー▲24.3パーセント)(『BMJ』2010)。そうしたなか、最近は、アメリカもオーストラリアのようにEU向けの牛肉には肥育時に成長ホルモンを投与しないようにして輸出しよう、という動きがあると聞いている。」

「『BMJ』2010」というのは、
「Disparities in breast cancer mortality trends between 30 European countries: retrospective trend analysis of WHO mortality database (ヨーロッパ30カ国間の乳がん死亡率傾向の格差:WHO死亡率データベースの遡及的傾向分析)」で、この論文のことだろう(PDF版 https://www.bmj.com/content/bmj/341/bmj.c3620.full.pdf )。「1989年~2006年」や「アイスランドで44.5%減」などの数字が合致している。

しかし、この論文は「アメリカ産の牛肉」については一切言及していない。「因果関係を特定したわけではないが」ではなく、全く関係のない論文を持ち出して「アメリカ産牛肉」が「乳がん死亡率の増加原因」であるかのように書いているのだ。

書き手として学者として不誠実な姿勢はこれだけではない。

論文には国・地域の名前が出ているが、鈴木氏が例に挙げたアイスランド・ノルウェーはEU加盟国ではない。論文ではEU(European Union)とは言わず、「European countries」と正しく表記している。

調べていたら、厚生労働省の「牛や豚に使用される肥育促進剤(肥育ホルモン剤、ラクトパミン)について(Q&A)」を見つけた。

「なお、WHOのデータベースを元に1989年以降、EUの多くの国において、乳がんによる死亡率が減少したとの研究報告がありますが、肥育ホルモン剤の使用禁止と乳がん死亡率の減少を関連付けるものではありません。この報告の中では、乳がんによる死亡率の減少については、検診率の増加や、新たな治療法が採用され容易に治療を受けることが可能となったことなど、様々な要因によるとされています*1。また、WHOのデータベースによれば、肥育ホルモン剤が使用されているアメリカにおいても、同時期の乳がんによる死亡率が減少しています*2。」

太字の*1部分には、先の論文にあった通りのことが書かれている。
太字の*2部分は鈴木氏の主張・言説をWHOのデータにより全否定したもので、アメリカ産牛肉と乳がん死亡率には“相関関係すらない”ことがわかった。

肥育促進剤の安全性

肥育ホルモンやラクトパミンといった肥育促進剤とその安全性について説明しておきたい。アメリカやオーストラリアで牛や豚の成育中に使われる肥育促進剤は、食品添加物と違って牛や豚が生きているうちに与えられる。尿などで排出されるため動物の体内にはほとんど残留しない。

また、科学的なリスク評価により定められた残留基準があり、日本に輸入された牛肉や豚肉で肥育促進剤が残留基準を超えたことはない。国内に輸入される肉の安全性は確保されているのだが、安全性への疑念が国会審議で取り上げられたり、記事で取り上げられたりしている。相関関係すらないデータをもとにアメリカ産牛肉の不安を煽る鈴木氏の言説も、肥育促進剤の安全性に疑念を抱く一部の声を受けたものだろう。

肥育ホルモンは性ホルモンで、動物の体内に元々存在するものを製剤化した天然型と、化学的に合成した合成型があり、アメリカやカナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど主要な牛肉輸出国では、天然型と合成型のホルモンが肉用牛の肥育を促進するために使用されている。日本では肥育を目的として承認された肥育ホルモンが存在しないので、肥育ホルモンを肥育促進剤として使用することはできない。

ラクトパミンは、「β作動薬」と呼ばれる飼料添加物で、アメリカやオーストラリアなど約20カ国で使用されているが、EUでは成長促進の目的で使用することが認められず、日本国内ではラクトパミンは飼料添加物として指定されていないので、国内では使用できない。

日本では肥育ホルモン剤もラクトパミンも食品表示法上、表示義務はない。その理由は、肥育ホルモンもラクトパミンも、食品中の残留基準の範囲内であれば、安全性が確保されているからである。

アメリカやオーストラリアは肥育ホルモン剤を肉用牛に使用しているが、日本に輸入される牛肉については水際で残留量がモニタリング検査されている。河野太郎衆議院議員のブログ「ごまめの歯ぎしり」の「肥育ホルモンとラクトパミン(2016年3月31日)」によると、「2006年4月から2014年3月までの間にアメリカ産牛肉については1663件、オーストラリア産牛肉については1120件、その他産256件のモニタリングが行われ、残留基準を超えた牛肉は1件もなかった」と述べ、「過去10年について厚生労働省で確認した結果、ラクトパミンなどのβ作動薬による食中毒は国内では報告がなく、消費者庁設置(2009年9月)以来、消費者からの健康被害の報告もない」と記している。河野氏はこのブログ執筆時、消費者及び食品安全、規制改革、防災を担当する内閣府特命担当大臣だった。

EUの輸入禁止措置は農業保護策?

さらに、河野氏は肥育促進剤の安全性を盾にしたEUのアメリカ産牛肉の輸入禁止措置とその思惑についても触れている。

「EUでは、肥育ホルモンやラクトパミンは、データ不足で最終的な健康評価が行えないなどとして、両剤を使用した牛肉や豚肉の輸入を禁止しています。もっとも域内の農業を保護するために、アメリカなどからの牛肉の輸入を規制しようというのが本音のようです。」

EUは1988年、肥育ホルモンを成長促進の目的で牛に使用することをEU指令で禁止し、1989年に肥育ホルモンを使用した牛肉の輸入を禁止した。それに対してアメリカは96年にEUの輸入禁止措置をWTOに提訴。WTOパネルは97年にEUの禁止措置は科学的根拠に基づいていないと判断し、EUは敗訴した

そして結局は、EUが2009年にアメリカ等に対して肥育ホルモンを使っていない牛肉の無関税割当枠4万5000トン分を段階的に増加する代わりにアメリカはEUに対する対抗関税を段階的に撤廃することで決着した。

肥育促進剤の安全性に関する議論はEUの敗訴で決着がついている。

*晴川雨読氏のブログ「東大農学教授の倫理消滅 ⑥番外編」(2022年06月11日)をAGRI FACT編集部が編集・再構成した。

第6回へつづく

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