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Part1 遺伝子操作の2万年の歴史その3【遺伝子組換え作物の生産とその未来 】

特集

遺伝子組換え(GM)作物は75カ国以上で栽培、実地試験、貿易されており、世界の農家にとって不可欠な生産ツールの一つとなっている。そのGM技術なしに世界の農産物と伍してきた日本の農家にとって、新たな時代が幕を開けようとしている。GM作物の本格的な生産開始である。その長い道のりと未来を3回のシリーズ特集でお伝えする。シリーズ1回目は「遺伝子操作の2万年の歴史」。遺伝子操作が農業・食料・健康の分野で人類の繁栄にいかに貢献してきたか。どのように社会に受容されてきたか。東京大学名誉教授・唐木英明氏が縦横無尽に解き明かす(その3)。

遺伝子組換えの規制

遺伝子組換え技術は1973年に開発されたのだが、遺伝子を人工的に改変することについて大きな懸念があり、これを実際に応用する前に、その安全性を十分に確認することになった。これには当時の社会状況も関係している。第二次世界大戦が終わり、世界の経済が急速に成長し、新たな科学技術が次々と誕生し、社会は豊かになったのだが、その陰の部分として大規模な化学物質公害が起こった。また物理学の研究が原爆の開発につながったことが厳しく反省された。このような状況から、新たな科学技術は社会に利益をもたらすだけでなく、環境破壊や社会の混乱などの不利益をもたらす可能性があることが深刻に認識された。そして新たな技術を実用化する前に、それが社会や環境に及ぼす影響を十分に考えておこうという流れが生まれた。

社会の認識と厳しい規制

この考え方に沿って、米国では1972年に連邦議会技術評価局(OTA: Office of Technology Assessment)が設立され、1995年に廃止されるまでに酸性雨、医療、気候変動、ポリグラフ(ウソ発見器)など多くの技術評価を行った。遺伝子組換えについては、1975年のアシロマ会議で「遺伝子組換えガイドライン」を採用し、これに基づいて1976年に米国国立衛生研究所(NIH)が「組換えDNA実験ガイドライン」を発表し、この技術の応用に厳しい規制が行われることになった。

こうして極めて慎重な形で出発した遺伝子組換えが最初に実用化されたのが1980年代だが、ここでは医療分野での利用について述べる。

バイオ医薬品

遺伝子組換えにより作られたタンパク質を含む医薬品が遺伝子組換え医薬品で、一般にバイオ医薬品と呼ばれている。世界で最初に承認されたバイオ医薬品はヒトインスリンで、1982年のことだった。

インスリンは膵臓から分泌される血糖降下作用を持つタンパク質で、糖分を摂取すると分泌されて血糖値を下げる。しかし糖分の過剰摂取により分泌量が不足すると糖尿病になる。糖尿病が進むと血液中の過剰な糖分が血管に障害を起こして血流が悪くなり、心筋梗塞、脳梗塞、腎機能障害、網膜症など様々な病態を引き起こし、重症化すると死に至る。

厚労省の1997年の調査では糖尿病が強く疑われる人は690万人、可能性を否定できない人を含めると1370万人と推計された。国民の10人に1人という高い割合である。糖尿病の治療薬として使われるのがインスリンで、血糖値を下げるための医薬品として利用されている。糖尿病ネットワークが2013年に行った調査では、インスリン治療を行っている患者は約100万人である。

トロントの奇跡

糖尿病が起こる仕組みについては古くから研究が行われ、1889年に実験犬の膵臓を摘出すると糖尿病が起こることが分かり、1916年には膵臓から糖尿病を抑制する物質が分泌されるのではないかと考えられ、この謎の物質はインスリンと命名されたが、その実態は分からなかった。1921年にカナダのバンティング医師が、トロント大学のマクラウド教授の研究室を、教授の8週間の夏季休暇中だけ借りて、大学院生のベストの助けで行ったのが、膵臓の抽出物を糖尿病の犬に投与する実験だった。

バンティング医師とベスト院生は膵臓から有効物質を抽出する様々な方法を試した結果、ついに血糖値を下げる成分を含む抽出物を見つけた。そしてこれを糖尿病患者に注射したところ血糖値が見事に下がった。この発見は「トロントの奇跡」と呼ばれる画期的なもので、発見からわずかに2年後の1923年にノーベル生理・医学賞を受賞した。すぐ後の1928年にフレミングが抗生物質ペニシリン発見し、1945年にノーベル生理・医学賞を受賞したのだが、インスリンとペニシリンの発見は20世紀最大の医学上の功績とされている。

インスリンとペニシリン

インスリンとペニシリン

インスリンの発見を報告する論文はバンティング医師とベスト院生の名前で発表されたのだが、ノーベル賞を受賞したのはバンティング医師とマクラウド教授だった。マクラウド教授がこれを自分の発見のように講演や執筆を重ねたため、ノーベル委員会はベスト院生ではなくマクラウド教授を共同受賞者に選ぶという間違いを犯してしまったのだ。バンティング医師は賞金の半分をベスト院生に贈与したという。

本庶佑教授の大発見

この発見でインスリンが糖尿病の特効薬であることが分かったのだが、インスリンはタンパク質であり、これを化学的に合成して大量の医薬品を作ることは困難だった。そこでウシやブタやクジラの膵臓からインスリンを抽出して治療に使ったのだが、その量は十分ではなかった。さらに、動物のインスリンはヒトインスリンと構造が多少違うため、アレルギーやインスリン抵抗性が起こった。このような問題を解決するために遺伝子組換えを使って、酵母菌や大腸菌にヒトインスリン遺伝子を組込むことでヒトインスリンを作らせることに成功したのだ。

その後のバイオ医薬品の発展は目覚ましく、多くの種類が承認されている。その一つであるヒト抗PD-1抗体「オプジーボ」は2018年のノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑京都大学教授が作った難治性のがんに対するバイオ医薬品である。私たちの体内では毎日数千個のがん細胞が生まれているが、免疫細胞がそれらを排除しているのでがんにならない。しかし、もしがん細胞が免疫細胞の攻撃から逃げることができれば、がんが大きくなる。本庶教授が見つけたのは、がん細胞表面のPD-L1という分子が、免疫細胞であるT細胞表面にあるPD-1分子に結合すると、T細胞ががん細胞を攻撃しなくなることだ。そこでPD-1とPD-L1の結合を妨害する働きをする抗PD-1抗体オプジーボが、遺伝子組換えにより作られた。これを悪性黒色腫というがんの患者に投与したところ、T細胞の攻撃力、すなわち免疫が復活してがんを攻撃した。この画期的な治療法は「がん免疫療法」と呼ばれ、ノーベル賞につながった。

このようにかつては夢であった医薬品が遺伝子組換えを使って現実のものになったのだが、問題もある。その一つは、バイオ医薬品の開発と製造に多額の費用がかかるため、薬価が高額なことだ。例えばオプジーボが保険適用された当初は薬剤費が年間3500万円とされ、話題になった。その後1090万円に値下げされたが、それでも高価であることに間違いない。以前に発売され、すでに特許が切れた医薬品については安価な「ジェネリック医薬品」があるのだが、バイオ医薬品分野でもこれに相当する「バイオシミラー」が販売され、医療費の引き下げ効果が期待されている。

現在日本で承認されているバイオ医薬品は多数に上るが※1 、これらを種類別に分けて表2に示す。なお、遺伝子組換えで製造されたバイオ医薬品は、「遺伝子組換え」と表示されている。

日本で承認されているバイオ医薬品1 日本で承認されているバイオ医薬品2 日本で承認されているバイオ医薬品3

※1:https://www.nihs.go.jp/dbcb/approved_biologicals.html

※『農業経営者』2022年10月号特集「日本でいよいよ始まるか! 遺伝子組換え作物の生産とその未来 Part1 遺伝子操作の2万年の歴史」を転載

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【遺伝子組換え作物の生産とその未来 】記事一覧

筆者

唐木英明(食の信頼向上をめざす会代表、東京大学名誉教授)

 

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