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Vol.40 母乳の迷信、呪い、非科学セット詰め合わせ【不思議食品・観察記】
科学的根拠のない、不思議なトンデモ健康法が発生する現象を観察するライター山田ノジルさんの連載コラム。驚くべき言説で広まる不思議食品の数々をウォッチし続けている山田ノジルさんが今回注目するのは、「母乳」トンデモ。少し前に、飲食店でケープを巻いて授乳していたら、店員から「他のお客様もいらっしゃるので」と注意された──、というSNSの投稿が話題になりました。そこから派生したネットの議論を見て山田ノジルさんが驚くのは、湧き出る言いがかりの数々。「母乳育児は親のエゴ」や「母乳は血液だからケガレ(不浄)」なども登場しているようです。

謎食品と化した母乳
母乳を……いやいや、哺乳類をなんだと思っているのか。ネット空間の中では、すっかり謎食品と化してしまいました。「母乳育児は親のエゴ」だなんて、世界保健機関(WHO)などが総出で母乳育児を推奨している現実はどこへやら。
母乳はたしかに血液が運んだ栄養素から作られていますが、「母乳は血液だからケガレ(不浄)」の理屈を通すならば、涙も唾液も血液由来。人間の生理反応はほぼすべて「ケガレ」となりませんか? それでは、社会生活が送れず、人類皆ひきこもりに。おそらく、古代医学の「乳は血液から作られる」という血液起源説と、宗教的な「血=不浄」という観念をごちゃ混ぜにした、感覚かつ思いつきの“謎理論”でしょう。それにしても、実際の歴史や多くの文化においては、母乳はむしろ「命を育む清浄なもの」として尊ばれてきたはずなのですが……。
昭和の暮らしを描いた作品などでも、電車内などで胸元を隠さず赤ちゃんに授乳するような光景は複数確認できます。当時はそれが、日常の光景だったということです。暮らしの変化とともに常識も変わってゆくものの、ひるがえって現代は、公園の子どもの声に「うるさい」と苦情が来る時代となっており、いかに社会から「赤ちゃんがいる光景」が締め出されているかが伝わってきます。
マナー云々の議論は一旦横に置いておくとしても、もはや母乳が現代人にとって「未知の不気味な液体」か何かに見えている現実もあるのでしょう。今回は、この授乳(母乳&代替乳)情報が食品としておかしなことになっていた誤解やトンデモの歴史を振り返ってみました。
「乳から気質が受け継がれる」という迷信
赤ちゃんの気質は親からの遺伝よりも、吸った乳に影響される!
こんなミラクルな母乳の作用が、19世紀のイギリスでは、医師にも一般にも深く浸透していたといいます。
これは乳母の雇用をめぐり、病気やトラブルなどを持ち込まぬよう、さまざまな視点から慎重に検討すべしという背景から来るものでしょうが、母乳にそんなミラクルパワーがあるはずもなく……。ちなみに、そんなわけねーだろと指摘する医師もいたようです。
“下層の劣った性質を、乳母の乳を通して自分の跡継ぎに注ぎ込ませたくない”という傲慢な考えと、“実母が授乳すべし”という主張の間で生まれた、トンデモだと言えるでしょう。このほか、“感情の乱れが乳を通じて影響を及ぼす”というのは古い時代の日本にもありました。
また、日本では授乳の大切さを説くために、こんな指南が登場しています。
「授乳すれば体調がよくなり『美人』になるが、授乳しないと体調が悪くなり『幽霊』のようになる。授乳できるのにしないと、母親の身体に何か必ず故障の出てくるのは、当たり前のこと」
乳を与えない母親には呪いでもかかるかのような言い草で、現代の感覚から見るとただの言いがかり。科学や医学が未発達な時代だったとはいえ、当時の社会は母乳にどれだけ謎のヘビー級パワーを背負わせれば気が済むのでしょうか。
「質の悪い母乳」という呪い
桶谷式や助産師界隈が展開する母乳指導には、どこか不思議なスピリチュアル感が漂っています。その一例として、2009年発行の『おっぱい先生の母乳育児「超」入門』(東洋経済)をのぞいてみましょう。ここには、当時の母乳に関する“通説”が、これでもかと詰め込まれていました。著者は、桶谷式で母乳育児を支援してきたベテラン助産師の平田喜代美氏です。
これらは桶谷式、あるいは助産師界の定説や経験則なのでしょうか。巷でよく耳にするものの、科学的根拠がだいぶ怪しいトンデモ理論が堂々と活字になっています。恐ろしいことに、これらは今でもたま~に耳にすることがあります。代表例をいくつかあげてみましょう。
髪の毛の逆立ち:「乳質」が悪いサインとして赤ちゃんの髪が逆立つ。髪が逆立つのは赤ちゃんが不満を訴えている証拠。
体調不良の全責任:便秘、下痢、痩せすぎ、太りすぎ、よく吐く、活気がない、果ては鼻水が出るのまで、すべて「乳質が悪いせい」。
会話ができない赤ちゃんの要求を、五感と経験値をフル活用して探るしかないのは分かります。しかし「これはさすがにないわ……」と、私自身が出産した当時(2015年です)もドン引きした記憶が蘇ります。
一方、同書では、母乳をこのように大絶賛します。
「母乳っ子は、病気になりにくく、アレルギーを起こしにくく、我慢強く、粘り強く、情緒が安定していて、自己表現がうまく、表情豊かで、脳の働きが活発な利発な子」
確かに母乳のメリットは存在しますが、ここまで言われると粉ミルク育児中のお母さんに不必要な罪悪感を植え付けるだけでは。本当に好きになれません。
極めつけは「母乳を見れば、何を食べたのかほとんど言い当てることができます」という一節。「専門家はお見通しです」という印象を与え、気を引き締めて体調管理をしてもらおうという意図がありそうです。しかし「ほとんど言い当てることができる」なんて、あまりに誇大広告が過ぎ、これでは母乳が、育児を応援するツールではなく「占い師の水晶玉」のように見えてきてしまいます。
世界線が完全に違う! ホメオパシー界の母乳論
日本のホメオパシー界で語られる母乳論にいたっては、もはや不思議を通り越してSFの領域でした。2009年発行(3刷)の『由井寅子のホメオパシーガイドブック ホメオパシー的妊娠と出産』を開くと、目を疑うような記述が飛び出してきます。
なんと、「母乳育児で子どもがひどいアトピーになるのは、母親の毛染め成分が母乳経由で赤ちゃんに流れ込んでいるのが原因」なのだそう。つまり、母親の胎内に蓄積されたデトックス(毒)をおっぱいから噴出させている、という凄まじい主張です。
「現代人は化学物質で汚れている」理論を持ち出すと、彼らの商材である「レメディ(ホメオパシーで使われる砂糖玉)」をたくさん買ってもらうビジネスに綺麗に誘導できそうですね……あ、これはあくまで筆者のゲスな感想です。
さらに同書では、発達障害(作中では時代背景もあり、多動児、自閉症児、情緒不安定な子ども、と表現されています)の主犯は「1歳未満のワクチン接種」だと断言しています。この主張で、すでに一般医学とは住む世界が180度違うことがお分かりいただけるでしょう。ほかにも「不妊症の原因は電磁波」「子どもの性格異常は胎教の悪さや出産時のトラウマ」など、全方位にわたって独自解釈の見本市状態です。
言うまでもありませんが、母乳とは血液中の栄養成分(アミノ酸や糖など)を乳腺細胞が取り込み、我が子のために新しく合成する液体です。決して体内の老廃物や「毒」を濾過する排泄器官ではありません……と、いくら反論したところで、「世界線」が異なるため、それを言っても仕方ありません。
粉ミルクよりもヤギミルクの大間違い
母乳が出ないときのライフラインである「粉ミルク」を、悪者に仕立て上げる界隈も少なくありません。中でもヤバいのはコレ。SNSを見ていると、こんな目眩のする投稿が流れてくるのです。
「市販の粉ミルクには植物油脂が添加されているから絶対使わないで! 母乳が足りない時はオーガニックの粉末ヤギミルクがおすすめ。牛乳に比べて消化が良く、アレルギーが出にくいです!」
……いや、何を言っているのでしょうか。母乳が足りないときは、日本の厳格な基準で作られた粉ミルク(液体でもいいけど)に決まっています。事実、アメリカ小児科学会やカナダ政府機関なども「乳児に生のヤギミルクをそのまま飲ませてはいけない」と強く警鐘を鳴らしているのです。
この手のトンデモ情報に対して、ネット上でバシッと鋭いツッコミを入れてくれていたのが、トンデモバスターとして知られる「産婦人科医やっきー」先生でした。
「母乳が出なけりゃ人工乳(粉ミルク)で全く問題ない。少なくともヤギミルクを乳児に与えるよりは一兆倍マシ」
やっきー先生が指摘する、乳児にそのままヤギ乳を与えてはいけない理由は以下の通りです。
- 致命的な栄養の偏り:人間仕様に調整されていない動物の乳をそのまま飲むと、赤ちゃんの栄養バランスが崩壊します。実際にヤギ乳で育った乳児が重篤な貧血を起こした症例は、50年以上前から報告されています。
- 内臓への過度な負担:乳児に必要なビタミンが圧倒的に不足している一方で、タンパク質やミネラルが過剰に含まれているため、赤ちゃんの未熟な腎臓や消化器官に深刻な負担をかけます。
日本でも海外でも、安全な粉ミルクがなかった大昔にはヤギ乳が代替品として重宝された歴史こそありますが、※現代医学では「乳児の体には明らかに不適切」だと完全決着した話です。
それなのに、なぜ令和の今になって、ヤギミルクが推されるのか。そこには「牛乳や人工乳に対する謎の不信感」や、昔の「母乳に一番近いのはヤギ乳」という古い知識のアップデート不足、そして「加工されていないヤギ乳=自然派で体に良い」という盲信が入り乱れているのでしょう。
そもそも授乳の歴史を振り返ると、現代では最重要とされる「初乳」が、かつては「体に悪い毒だ」と誤解されていた暗黒時代が長く続きました。ネパールの一部地域では、初乳を捨てて代わりにヤギの乳を飲ませる悪習が残っているという話もあります。太古の昔から現代のSNSに至るまで、授乳をめぐる言説は、常にカオス(混沌)を極めているのがよくわかります。
※ただし、ヤギ乳をベースに作った育児用粉乳ならOK。また、食品としてヤギ乳を使用するのは問題ありません。ああ、ややこしい。
母乳を愛飲するボディビルダー
ネットフリックスの健康ドキュメンタリー番組『ウェルネス:その怪しい魅力』でも取り上げられていましたが、欧米では2010年頃、ボディビルダーやナチュラル志向の健康マニアたちの間で「母乳を飲むと効率よく筋肉がつく」という噂が盛り上がっていました。
もちろん、なんの科学的根拠もありません。なんなら、筋肉に最も必要なタンパク質の含有量は、普通の牛乳よりも低いくらいです(だからこそ、アレルギーになりにくく、消化しやすいとされている)。
彼らが母乳に飛びついた背景には、以下のような推論があります。
- 最強のアナボリック食品説:「赤ちゃんがあれだけ爆発的に成長するのだから、筋肉を大きくする最強の筋肉増強(アナボリック)食品に違いない」という勘違い。
- 成長因子の神格化:「筋肉を育てる成長因子(IGFなど)が入っているらしい」という中途半端な知識。
- ナチュラル信仰:「人間にとって天然の液体だから、プロテインより安全で体に良い」という盲信。
しかし、消化器官が完成した大人が飲んだところで、その成分は普通に分解されるだけで何の意味もないでしょう。そもそも、もし融通できるほどの余剰母乳があるならば、大人の趣味の筋トレに消費するのではなく、早産児など本当に必要としている赤ちゃんに届ける「母乳バンク」へ回したれや……と、白目を剥かざるを得ない案件です。
このほか、世の中には母乳を加えた発酵食品だの、母乳で作るバターだのを珍重する手作りクラスタも存在します。まあ、そのあたりは他人に強要しない単なるプライベートな「食品(おやつ)」として扱っている分には、お好きにどうぞの世界でしょうか。
太古の迷信から、現代のホメオパシー、自然派界隈のヤギミルク、そして筋肉マニアの愛飲事情にいたるまで、母乳をめぐっては本当に多くの奇妙な言説が生まれては消えているのがわかります。母乳の謎パワーに対する人々の執着を見るにつけ、これからの未来もまた、私たちの想像を超える新たな神話が誕生しそうな予感がしてなりません。公共のマナーにトンデモない理屈が持ち込まれたときは、ネット&科学リテラシーの高い世代がはねつけることを期待します。
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