会員募集 ご寄付 お問い合わせ AGRI FACTとは
本サイトはAGRI FACTに賛同する個人・団体から寄付・委託を受け、農業技術通信社が制作・編集・運営しています
なぜわが社はオープンかつ正直に「ゲノム編集」に向き合うのか/パイオニアエコサイエンス(株) 代表取締役会長 竹下達夫【「ゲノム編集食品」として初めて届け出されたゲノム編集トマトのこれからを占う】
パイオニアエコサイエンス(株)は、国内で初めてゲノム編集作物である「GABA 高畜積トマト シシリアンルージュハイギャバ」の届出を行なった。昨年12月11日、メディアへの発表と同時に、家庭菜園向け「ゲノム編集トマト苗」の無料配布の応募を開始するなどユニークで革新的な取り組みを進めている。代表取締役会長の竹下達夫氏に、ゲノム編集トマトの販売に踏み切った経緯や「ゲノム編集」を表示する理由などについて話を聞いた。 (聞き手/紀平真理子)
イノベーターであり続ける理由
――今回のゲノム編集トマトの販売だけではなく、子実トウモロコシや、生で食べられるスイートコーンを国内で初めて市販するなど、貴社は常に新しい事業を行なってきました。イノベーターであり続けるモチベーションはどこから来るのでしょうか。
まずは、国内の種苗業界についてお話ししましょう。私は、1980年に脱サラして米国のパイオニアオーバーシーズコーポレイションとの合弁により株式会社を設立し、飼料用トウモロコシ種子を普及する仕事を始めました。実は、国内では戦後に新規で種苗業を始めた会社は多くなく、戦前から伝統的に品種開発をしていた京都のタキイ種苗(株)や横浜の(株)サカタのタネをはじめ、歴史ある会社がほとんどです。というのも、種苗業は遺伝子の蓄積が大事で、これがないと事業として成り立ちにくいので、新しい会社を起こしにくいんですよ。味や病害虫の抵抗性など特性を持った品種の開発には膨大な時間がかかりますが、それがうまくマーケットにはまるかといえば必ずしもそうではありませんし、農業のように年に1、2作しか試せず時間がかかる産業では、後発の会社はなかなか追いつけません。
われわれのような新規参入者は、新しいことは何でもやろうという考えですね。新しいことをやらないと、農業という経験をベースにする業界では後発は勝てないともいえます。ビジネス上の戦略だけではなく、私の性格的にも「他社がやっていることを、もっとうまくやろう」というよりも、「誰もやってないことをやる」「我々は独創で何かをしたい」という気持ちが常にあります。デントコーンに関しても、種を販売するだけではなく、デントコーンの出口である酪農家の問題解決にも取り組んできました。
しかし、困ったことに農家は保守的な人が多いんですよ。頭が固い。新しいことを提案するのは大変なんです。日本の場合は、農協や代理店がゲートキーパーになっていて、「新しいこと=面倒くさいこと」という認識で、ほとんどがNOなんです。でも、子実トウモロコシの例でも同様ですが、まずは先進的な農家が試し、成果を出したら農協が認めることは、残念な現実です。
ゲノム編集に取り組んだ経緯
――ゲノム編集トマトを販売するに至った経緯を教えてください。
2016年に米国で偶然CRISPR/Cas9について知りましたが、当時はまだ国内では規制上、ゲノム編集を遺伝子組換え作物と同様の扱いにするか否かという議論がなされている段階でした。方向性が見えていないこともあって、内閣府のSIP(戦略的イノベーション創造プログラム)プロジェクトに参画している種苗会社も、誰もゲノム編集の開発に手を挙げていない状況でした。すでに伝統的な育種方法でマーケットを作っている会社は、世間の風向きが変わることで他の商品も影響を受けてしまうので、当時ゲノム編集に取り組まなかったのは当然だと思います。われわれの強みは、失うものが何もないことです。「最初に何かをやる人は矢面に立つし、困難が伴うよ」と言われましたが、「虎穴に入らずんば虎児を得ず、何も持っていないから恐れていない」という思いで着手しました。
――機能成分の中で、なぜ高GABAに着目したのでしょうか。
γ-アミノ酪酸(γ-aminobutyric acid, GABA)は、アミノ酸の一種で、人が一定量摂取すると、血圧の上昇を抑制する効果があるとされています。血圧の上昇を抑制するためには、特に高いギャバの品種を特別な栽培で作っても、1日に150gの摂取が必要ですが、今までのトマトだと食べるのが難しい量です。シシリアンルージュハイギャバだと、1個が25~30gなので1日に1、2個でいいので、「じゃあ食べようかな」という人が出てくることが願いです。合弁会社を設立した筑波大学の江面浩先生がGABAに注目されていたこともマーケットを開く糸口としては大きいと思います。
――遺伝子組換え作物が社会に誤解されていることを受けて、今回のゲノム編集作物の届出や普及ではどのような点に留意しましたでしょうか。
1980年代の後半に遺伝子組換え作物が出てきて、2000年代に米国などで商業化されたトウモロコシや大豆などの種の販売が始まりました。当初からヨーロッパでは、宗教的に「神の領域だ」という議論が続けられていましたが、日本では宗教的な意味では議論がされませんでした。ただし、消費者にベネフィットがなかった。「それなら、遺伝子組換えはいらないわ」と消費者が思うのは普通なことで、納得できる話です。
一方で、広大な面積で栽培している米国の農家は、大豆の農薬散布回数が削減できるとなれば、当然のことながらこぞって遺伝子組換えの種を買いますよね。消費者にリスクがあるように言われていますけど、農家にはベネフィットがある。そして、消費者はベネフィットがないので「怖い」と感じます。ゲノム編集トマトを販売するにあたって、誰にどんなベネフィットがあり、誰にどんなリスクがあるのかを考えて伝えることが重要なポイントだと考えています。
このリスク・ベネフィットの議論は、合成生物学の成果である新型コロナウイルスのワクチンが、人々から抵抗なく受け入れられていることからも分かります。人間には観念的な身勝手であることは認めざるを得ません。
「ゲノム編集」の表示をする理由
――貴社は「ゲノム編集」表示をすることを明言されました。ゲノム編集作物は既存で流通している作物とプロダクトとしては変わりません。さらに、貴社にとっても栽培する生産者にとってもラベリングなどにコストがかかる中で、表示に踏み切った理由を教えてください。
確かに、外から遺伝子を導入する遺伝子組換え作物の場合は分析で違いが分かりますが、ゲノム編集の場合は既存で流通している作物との違いが分かりません。既存の育種は、突然変異を発見する努力に時間とコストをかけていましたが、その努力を人為的に的確に行なうのがゲノム編集です。人の体内であっても、色んな遺伝子が知らない間に切れています。ゲノム編集はその切れる場所(ターゲット)を狙って切っているだけで、モノとしては既存の育種作物と変わりません。
ただし、農家もどのようなプロセスで育成された品種か知りたいと思いますし、消費者にも知る権利があります。さらに、選択の自由があります。「ゲノム編集」だと明言をしないと選択ができないとの見解でわれわれは表示をすることに決めました。正直が一番ですよ。開発の人間が声高に言うことは大切です。嫌われた女性をどんなに口説いてもダメなのと同じで、ゲノム編集が嫌だと言う人に「あなたは間違っている」と言うことに意味はないと思っています。ただ、シシリアンルージュハイギャバは、高GABAであるという消費者へのベネフィットがあるので、そこを強調していきます。
現状、シシリアンルージュを栽培している農家は、レシピを同封して販売しています。ですので、現在の取引がある生産者に関しては、ラベリングの負担は大きく変わらないはずです。また、インターネットで検索をすれば、ゲノム編集と既存で流通しているトマトは“モノとしては変わらない”ことはすぐに分かりますが、ラベルにもQRコードをつけて、正しい知識や情報がわかるようにします。
“プロシューマー”を入口に
――メディアへのプレスリリースと同時に、貴社は家庭菜園向けに無料の苗の配布を受け付けられましたが、この取り組みに至った経緯を教えてください。
プレスリリースを配信した昨年12月11日から、ゲノム編集のトマト苗4株と、土壌改良材、肥料セットの無料配布を会社サイトで受け付けました。1週間で2000件近くの応募があり、5000件以上になったところで打ち切りました。通常、試作の種の場合は、多くても300件程度の申込数なので、かなり多いです。想定より、ポジティブな反応が数多くありました。
――応募者は、血圧の上昇を抑制するという機能、またはゲノム編集のどちらに反応していると思いますでしょうか。
応募の動機で「血圧を下げたい」と記した方が多くいらっしゃいました。GABAはアミノ酸なので、煮ても焼いても冷凍しても変性しません。当然副作用もありません。日本では、50歳以上の方の約半分が高血圧に悩んでいます。家庭菜園を楽しんでいる人に高血圧で悩んでいる人が多いのでは、と推測していましたが、やはり応募者の年齢層も高めでした。
――プロ農家向けではなく、家庭菜園向けとしたのはなぜでしょうか。
新しいタイプの種子を農家に持っていくと、「誰が買ってくれるの?」という話になります。スーパーなどの小売店は、新しいものを受け付けないケースがほとんどです。さらに、行政も「北海道では遺伝子組換え作物は作りません」など世間の風向きに乗ってしまいます。
そこで、農家であり消費者でもあって、さらにおもしろがってゲノム編集トマトを栽培するであろう「家庭菜園を楽しむ人」を入口にすることにしました。アルビン・トフラーが「第三の波」の中で、生産と消費とを一体化する生活者を「プロシューマー」(Producer:生産者とConsumer:消費者)という概念で紹介しました。今回の取り組みは、まさにプロシューマー向けです。
ゲノム編集トマトの苗を5000名に配布すると同時に、LINEを通じて病害虫対策など栽培管理のアドバイスを行なう予定です。われわれは、家庭菜園の悩みを解決するのも一つの責務ではないかと考えています。
――今後、家庭菜園からプロ農家へ展開するにあたり、何か展望はありますか。
プロシューマーたちは、ゲノム編集トマトを栽培する中で、良くも悪くもSNSで発信するのではないでしょうか。われわれは、すべて受け止めようと思っています。家庭菜園からの発信を受けて、農家の中でも栽培してみたい人が出てきます。また、家庭菜園のトマトは夏頃までしか収穫できないので、モニターの中で高血圧のために常備薬的に食べたいと思う方がいる場合、冬はわれわれと関係がある農家が栽培した高GABAトマトを直接販売したいと考えています。さらに、それを見た小売店が動き出し、流通に広がりを見せることを期待しています。
――どのような種苗の流通形態を予定していますか。
当面は、苗での販売に限る予定です。種苗業者や卸売業者に種で流通してしまうと、どこで誰が栽培しているのかを追えないからです。ラベリングやデータ集約の面でも、苗で農家に納品すれば、直接情報交換ができます。社会受容やトレーサビリティの点で、直接農家に苗で販売することを予定しています。
――最後に、ゲノム編集技術が今後もよい形で普及していくために考慮していることを教えてください。
ゲノム編集も、神の領域に入っているのは確かです。ただ、歴史を振り返ってみても、蒸気機関車をはじめテクノロジーを善用するために、人間が規制や法律やモラルを作ってきました。ゲノム編集でも悪用せず、善用するための取り組みが大事です。そのために、われわれはこれからも規制当局や学術的な専門家と意見交換をしながら、オープンかつ正直に向き合っていきます。
種や苗を販売することももちろん大切ですが、農業界が抱える様々な問題解決をすることが仕事だと思っています。人々が抱えている問題は何なのか、ということをこれからも考え続けたいと思います。
※『農業経営者』2021年4月号特集「『ゲノム編集食品』として初めて届け出されたゲノム編集トマトのこれからを占う」を転載(一部再編集)