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もしも農産物の”規格”がなくなったら
農産物には品質やサイズによって分けられる「規格」が存在する。消費者のなかからは規格をなくしてしまえば「規格外品」がなくなり、生産段階で廃棄処分されずに済むなどの声が挙がる。いわゆる規格外品ビジネスを志向する人たちからもよく聞く意見だ。果たして規格は消費者や生産者にとってどれほど重要で、本当に必要なものなのか。X(旧twitter)界隈農業インフルエンサーでもある中部地方の露地野菜農家・SITO.氏が検証的に解説する。
規格緩和論の中身を解説
現役農家が肌感覚で実感するのは、消費者は基本的に「より安く、かつ良いモノ」を買うということだ。生産者である農家自身も、栽培していない農作物を消費者の立場で買うときは大半が同じ品質ならより安いものを選ぶ。
実際のところ、消費者は農産物の「規格」の重要性など考えたこともないと思う。規格があるくらいは知っていても、規格を決定する具体的なルール等の知識がある一般消費者は皆無だろう。だとしてもスーパーに行けば同じサイズ、同じ品質のものは一律の価格で売られている。これはひとえに「規格」あってこそ。つまり「規格」の知識がなくても、消費者はその恩恵を確実に受けている。
この前提を踏まえて「現行の規格を見直し、今後を見据えたルールを作るべきだ」という主張を深掘りしていく。主張の論旨は、正品やA級品、秀品といった「最も品質の優れるもの」と、B級品との境界があまりにも厳しいというもの。具体的には
- 見た目が悪いだけで味は同じ
- A級品同様、手間暇をかけて育てた野菜
- 海外では規格外も正規の値段が付く国もある
- 日本は物価高、肥料の高騰、災害の頻発、農家不足、食料不足
といったもの。これらの事情から規格を緩和してA級品の範囲を広げて流通させた方が良いという主張だ。
「A品でなくとも見た目が悪いだけで味は同じ」というのは、農産物の規格外ビジネスではお決まりのフレーズ。ふだん店頭に並ぶA品を食べている消費者は認識しづらいだろうが、大抵の農産物は見た目が綺麗なほど食味も良い。とくに形が悪いのは作物が順調に生育できなかった証で、味は同じというのは無理がある。極端に小さかったり大きかったりしても食味は悪くなる。
左は4玉(4kg)、右は9玉(500g)。どちらもA品規格
そうはいっても、消費者には形状による「食味」の変化はそこまで大きな差異とは感じられないことも多々あるようで、私も変化については一般消費者よりは感じとれるものの、食べられないレベルのB級品や規格外品と遭遇するのは稀。少し味が薄かったり、繊維がこわばって固かったりはしても普通に食べられるものがほとんどである。
生産者がこぞって反対する理由
実際に規格が緩和されるとどうなるのか?
まずそれまで市場に流通していなかった分の農産物がスーパー等に並ぶようになり、流通の絶対量が増加するため価格は安くなるだろう。短期的には確かにメリットがある。
半面、消費者からは見えにくい大きなデメリットがいくつもあり、これは生産者だけでなく消費者、双方をつなぐ流通過程にも重大な影響を及ぼす。消費者が規格緩和に賛成し、事情を知る生産者がこぞって難色を示すのは彼らがそのデメリットを理解しているからに他ならない。
規格緩和によるデメリットを列挙する。
流通の絶対量が増えるため需要と供給のバランスが崩れ価格が下落する
農産物の価格下落は消費者には良いものでも、生産者には所得の減少を意味する。日本の総人口は年々減少しており、国民の胃袋が着実に減っていく状況で、農作物の流通量を増やしても供給過剰となり在庫がダブつく。
流通の絶対量と消費量が比例しないためフードロスが増加し、A品の価値が下がる
増加した流通量の余剰分が不良在庫になればまだ良いが、農産物は日持ちしないので結果的に廃棄量(フードロス)を増やす。しかも消費者に形が悪くても味は同じとの認識がある場合、B・C・規格外品が売れ、捨てられるのがA品という事態になりかねない。規格が緩くなればなるほど、A品の価値が下がる。
生産者の栽培技術向上意欲を削ぐ
最高品質であるA品の価値が下がるため、生産者が高品質な農産物を栽培する理由が希薄になる。肥培管理や病害虫防除によって健全に成育した農産物の方が往々にして食味に優れているため、様々な生理障害が発現し、虫に食われ病気に侵され、収穫適期の外れた農産物はA品にかなわない。にもかかわらず、その境界をなくす規格緩和後に高いクオリティを求めるインセンティブは働かない。
輸送・管理コストが増加、ロスも増加する
例えば現状のキュウリの場合、しばしば程よい大きさで真っ直ぐのものがA品としての価値を持ち、大きすぎたり曲がったりして形の悪いものがB品とされる。真っすぐなキュウリのA品は段ボール箱に理路整然と収まるため効率的な輸送が可能になっている。この境界が緩和されると、真っすぐなキュウリと曲がったり大きさの不揃いなキュウリを同じ段ボール箱に混ぜ、箱の容積を十分に活かせない状態で運ぶことになるため輸送コストが増加する。
また、形の悪いものや不揃いのものは最高品質のものより日持ちしない傾向がみられる。そのため管理コストが増加し、流通に乗せた場合のフードロスが増加する可能性を否定できない。
各コストの上昇分によって売価が上がり、結果的に消費者が損をする
流通量の増加に消費の増加が追いつかずフードロスが増え、輸送と管理コストも余計にかかるため、各コストの上昇分は価格に転嫁されることになる。最悪の場合、規格緩和により農作物全体の品質が落ちても、価格は据え置かれること。誰も得をしない。
プロ農家にとって品質とサイズを揃えることは至上命題
A品割合の高いプロ農家から生産者と消費者へ
規格の緩和は生産者の栽培技術向上意欲を削ぐと述べたが、これは見方を変えれば栽培技術の確立していない未熟な農家であっても、生産物を歩留り良く流通に乗せられることを意味している。高い生産技術を持つ農家の地位を無理やり引き摺り下ろすわけだ。生産者の一部が規格緩和に賛成する理由がここにある。これによりもっとも影響を受けるのは物流と小売で、輸送・管理コストが余分にかかる上、農産物全体の価値は下がっているのだから、消費者からのクレームも必然的に増えるだろう。
農業は産業の一部であり、物流に乗って小売される以上は商品(農産物)が一律の品質であることが望ましい。その意味で工業的な農業はより高度な栽培技術を必要とし、生み出される農産物の品質が均質で優れてはじめて、生産効率の高い儲かる農業となりえる。
自分の場合、収穫物の規格割合は95%がA、5%がBでCと規格外に相当するものは収穫する時点で圃場(農場)廃棄している。高い栽培技術を駆使して品質の良い農産物を出荷している身としては、生産者が規格の厳しさを訴えることに強烈な違和感を覚える。
誤解を恐れずに言えば、「栽培に失敗してB品だらけになっちゃった。でも見た目がちょっと悪いだけで味は同じ! でもA品よりかなり安い……規格ってそんな重要なの?!」という思惑が透けて見えてしまう。
A品割合が9割を超えているような農家は、規格の緩和について言及すること自体がリソースのムダ。しかしその声が消費者に届くと、日本の「もったいない文化」も相まって礼賛を受けてしまいがち。現状のルールを変えろと声を上げる前に、己の技術不足を棚に上げず研鑽に励むのが先だろう。
消費者のみなさんも、規格をなくすルール変更は「悪貨は良貨を駆逐する」そのものなので、実はメリットなどないことを理解していただきたい。
*本記事はSITO.氏のブログ 【論考】#13 農産物の”規格”は本当に重要なのでしょうか。をAGRI FACT編集部が再構成した。
筆者SITO.(露地野菜農家) |