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Part3 有機農業が唯一の解決策ではない みんなが食べ続けていくために選択の自由を守る【食と農 安全・安心を考える】

食と農のウワサ

まき散らされる「食の危険情報」。不安が煽られる。そんな時代のなかで 「リスクコミュニケーション」をいかにとっていくか。
私たちは、かつては「口」で食べ物を食べていた。その後「目」で食べる時代になり、現在は「頭」で食べている。それに伴い農家の役割も、以前のように国民のための食料生産から、消費者の「頭で食べる」欲求を満たすための農産物の生産に変わった。そのため農産物は、マーケティング優位で情報を添えて語られるようになった。
日本に暮らす私たちは、「生きるため」ではなく「楽しむため」に食べる豊かな生活を送ることができている。それにも関わらず、食に関する危険情報がインターネット上にはあふれ、不安に陥っている人が後を絶たない。選択肢が増え、豊かな時代になったのに、自らなぜ選択を狭めてしまう行動を取ってしまうのか? この状況に対して、私たちは何ができるのか?

座談会

唐木 英明氏 公益財団法人食の安全・安心財団理事長 東京大学名誉教授
森田 満樹氏 消費生活コンサルタント 一般社団法人Food Communication Compass(フーコム)代表
久松 達央氏 株式会社久松農園代表取締役
聞き手・まとめ 紀平 真理子

農家は自分の農業を自信をもって発信して!――求められる農薬理解

紀平 私たちは、メディア以外にも身近な人からの情報にも影響を受けます。影響力があるであろう農家のなかにも、消費者に対しては照れなのか農薬に関してネガティブな発言をする方たちがいるように思います。日々勉強して、新しいことにも取り組んでいる農家の方たちであっても、です。その話を聞いている消費者の顔を見ると、「農家がいうなら、やっぱり農薬は危険なんだ」という表情をします。そのような農家の方たちには、自信を持って農薬について説明してほしい、ともどかしいときがあります。

久松 たしかに。慣行農業をしている少なくない普通の農家が、「本当は農薬を使いたくない」とかいっちゃいますね。堂々としていればいいのに、「自分が食べているものには、農薬を使いたくない」とか卑屈になったり。逆に「悪いものだとわかってるけど、使わないと仕方ない」と開き直ったり。どちらも、農薬の中身や適正な使用方法を正しく理解していないからではないかと。

私は農家出身ではないので、就農する前は、農家は正しい身体的な勘を持った人たちだと思っていました。植物と会話をし、生育状況を感覚的に捉えられる人たちだろうと。実際には、農家は物事を正しい知識をもとに判断していないことも多く、わりといい加減です。

農業の担い手たる農家自身が、農薬について正しくロジカルに理解をしていないことも、社会に誤ったメッセージを伝えている原因だと思います。そこは、農家側が責められるべきところです。

また農家の立場として、農薬が危険だと発言する農家は理解が浅いと思います。両方の立場からとことん議論しているところを見て立場を決めたわけでもなく、ゴリゴリの有機農業の書物を読んでもいないし。ゴリゴリ→違う→混乱を経ていれば議論になりますが、どちらも浅いんです。ある程度消費者に影響を与える立場としてどうかと思います。バイアス以前に浅いのが嫌です。議論にならない。

ただ栽培技術や規制などいろいろなルールも、農家の経営単位が零細小規模家族であることを前提として作られています。産業構造が変わっているのに、規制が対応できていません。本質を変えないと。

座談会メンバー座談会メンバー

同調バイアスのメカニズム――拠りどころをもつ安心感

紀平 私たちの価値観の変化と、メディアや身近な人からの偏った情報で「食の不安」を感じてしまうのですね。お母さんコミュニティにおいては、これが顕著かもしれません。とくに初めての子育てで不安な状況にいると、「皆と同じであること」に安心する傾向があり、私もとても理解できます。

食ではないですが、ある集落に住むお母さんたちが、集団で子供に予防接種を受けさせないという話も聞いたことがあります。

唐木 社会生活を営む人間には「同調バイアス」というものがあります。周りの人と同じにしないと、のけ者にされるという思いです。そうなると、リスクに関する教育がないことが問題です。リスクとメリットの計算ができ、自分で判断できるかどうかです。

森田 やはり教育が大切です。自分の意志で決断できるようになるためには、調べる力と考える力をそれぞれが持つしかない。その考える力と選ぶ力をつけるためには、偏った内容ではなく、科学的に学ぶしかないんです。

久松 世間でいわれている多様性が強まっていることと、同調バイアスに矛盾を感じるのですが。

森田 多様性といっても、人はどこかのコミュニティに属したい気持ちがあるのではないでしょうか。コミュニティを拠りどころとして安心感を得たいので、カリスマ性のある人に引っ張られて、ネットワークを組むように思います。

紀平 どのようなことがきっかけで、ネットワークに所属するのでしょうか。

久松 個人的な体験に結びつく何かがあり、強くフックとなる誰かの発言や記事などがきっかけとなるように思います。

紀平 ネットワークに属していた方たちの考えが変わることはあるのでしょうか。

森田 ネットワークによっても異なるのでしょうが、時間が後押しすることもあるでしょう。例えば、他のリーダーが出てきて主張が変わったとか、子供が大きくなって関心が変わったとかで、忘れ去られることもあるかもしれません。

久松 そんな程度のものなのに強力ですよ。忘却はいいですが、例えば、福島県の農産物の棚が奪われたままの状態での忘却です。数年で忘れる程度のものなのに、実害がありすぎですよ。

唐木 「日替わりリスク」ですね。毎日違うリスクを見つけて、昨日のリスクを忘れて行きます。ただそのなかのいくつかの問題が、長く続いていますね。

久松 農薬、添加物、遺伝子組換えは、ビジネスが絡んでいるので長いですよね。「無農薬」「無添加」「ノンGMO」を謳うことに「風評利益」がありますからね。

「正しい藁」をつかませてあげる方法――食べ物情報に食われない

紀平 「無農薬」「無添加」「ノンGMO」を好む層にお母さんたちがいます。とくに子供の健康や、発達に心配事や悩みを抱えているお母さんたちは、残留農薬や添加物を気にする傾向があると感じています。科学や正しい情報で、このような悩みを持って苦しんでいる方たちに寄り添う方法はあるのでしょうか。

久松 溺れている人は、すがりやすく作っている藁に飛びつきます。どんな藁であるかを見るゆとりはありません。現代はすがりやすい藁が、インターネット上にあふれていて、飛びついてすがることが以前より簡単です。情報を発信する側も読み手側も、ちゃんと考えなくなってきています。

溺れている人の心情に理解がないまま、間違った藁にすがる人を「科学的に間違っている!」と責めることは、コミュニケーションとして有効でないと思います。

嘘を発信する人もたくさんいますが、タチが悪いのは、悪意なく嘘をいう人です。例えばアトピーで困っているお母さんが、それが農薬のせいだと思い込み、「農薬は悪だ」と善意で広めているケースなどは厄介です。素人ならともかく、専門家と称されている人のなかにも「善意の嘘発信」があります。悩んでいる人に正しい藁をつかませるのが科学の役割なのに、それができていません。ただ、嘘に簡単にだまされた人を救ってあげるコストを周りが負うのか?とも思いますね。

唐木 お母さんたちはとても責任感が強いです。例えば子供が自閉症の場合、お母さんは「自分の責任ではないか」と自分自身を責めてしまいます。そのときに、環境中にある除草剤ラウンドアップが自閉症と関係あるらしい、と聞くと飛びつきます。「私の責任じゃなかった」と安心します。

間違った認識と理解ですが、このお母さんたちの心理は理解してあげなくてはいけません。

紀平 そのような方たちに心理的に寄り添いながら、正しい情報を伝えるためには、どのようにコミュニケーションを取ればよいのでしょうか。

唐木 基本的には「なぜそう思ったのか」という情報源と、「なぜそう思うのか」という理由について、じっくり話を聞いてあげることが大切です。まずは信頼をされることが必要です。理解してもらえる関係性を築くと、初めて本音を話すことができます。結局は、心と心の問題。科学の教科書を持ってきて、壇上で話したら終わりなら誰も苦労しませんよ。夫婦や親子関係と同じです。

久松 何を参照して今を見ているか?ということも考慮しないといけないと考えています。今の20、30代は、上の世代とは違うものを参照して物事を見ているので、前提としてわかっているだろうと思い込んでいるとコミュニケーションは成立しません。我々の世代が謙虚にならないといけません。

森田 地方自治体のシンポジウムで、添加物、農薬、輸入食品、遺伝子組換え食品、ゲノム編集食品など食の安全に関する話をする機会があります。そこで安全確保の仕組みを話しても、なかなか伝わりにくいことが実情です。

先日、興味深い経験をしました。ある都市で開催されたシンポジウムのパネルディスカッションのなかで、お母さんであり、食育に関心がある民間資格のアドバイザーの方が「ある食品を食べると必ず気持ちが悪くなるが、それは添加物のせいだ」と発言しました。

私を含めたパネリストたちが、それぞれの立場でさまざまな視点から意見を述べました。そうなると、その様子を観ていた参加者たちは「根拠は何だろう」と考え始めるのです。これがリスクコミュニケーションだと考えています。

科学的におかしいと否定するのはいいのですが、ややもすると、その人のアイデンティティや人格までをも否定することになってしまうケースがあります。一科学に誠実であるほど、「100%安全」といった結論を押し付けることはしないし、そうなると答えが見つからないんです。

私は講演の最後には、「各家庭が食に使える費用は限られています。これは危険! あれはダメ!という食べ物情報に影響を受けて、食の選択が狭まると、食べられるものが限られてしまい、バランスよく食べることが難しくなります。その方が、食のリスクを大きくしてしまいます」とお話ししています。だから「食べ物情報に“食い物”にされないで」とお話ししています。

久松 シンポジウムのようなリアルな場では、インターネットの議論のように頑なになっていないのでしょうか? 以前とあまり変わらないと感じていますか?

森田 そうですね。ときどき極端な厳しい意見をいう方もいますが、参加者は私が一生懸命説明しているのを見て、腑に落ちているのか。最後に集めるアンケート結果が、悪くない場合が多いです。説得しようとするのではなく、一緒に考えようとする姿勢が見えるからでしょうか。そのときどきで参加者も違いますので、一概にはいえませんが。

根気強く長くリスクコミュニケーション――インターネットでも応用

紀平 パネルディスカッションなど、さまざまな意見を客観的に聞けると、問題に対して理解が深まるのですね。ただ最近は、食の不安情報は主にインターネット上にあふれています。インターネットの世界では、この手法は応用できるのでしょうか。

唐木 インターネットの世界での議論は課題ですが、すでに欧米では答えが出ています。議論は大切ですが、反対意見をもつ当事者同士が話すと破滅的になります。「代理の議論」が大切です。もともと科学界では以前から反対意見をもつ人が壇上で議論をして、参加者は会場で聴講し、最後にどちらが論理的で、科学的に正しいかを会場の人が判断していました。アメリカやヨーロッパでは、この手法をインターネットの世界に持ち込んでいます。

例えばアメリカで、遺伝子組換えに関する公開討論が行なわれました。賛成派2名と反対派2名が壇上で議論をしたあとで、会場の参加者の賛成と反対の割合を公開します。さらに、オンラインで観覧した人の賛否の割合も提示します。この1、2時間の白熱した議論を観察することで、参加者は問題点やその根拠について理解できるようになります。この手法のよさは、壇上での議論は客観的だということです。壇上で議論するのを聞くなら、誰も傷つかないですよね。

人間は、説得されたくないと感じることも多く、人の話を聞いて自主的にわかることを望みます。なので、この機会をできるだけたくさん作ってあげることが大切です。7、8割はこれで理解をしてくれます。

紀平 残りの2、3割に対しては、どのように接すればいいのでしょうか。

唐木 心をほぐすために、信頼関係を築かないといけません。長い道のりですが、その努力を惜しんだら、リスクコミュニケーションはできません。その2、3割がインフルエンサーの場合、放置せずじっくりと話し合います。「確証バイアス」に取り憑かれている強固なグループや、ビジネスで風評利益を求めて主張をしているグループに対しては、お互い共感はしなくても理解することはできるようになります。理解ができると、少しずつ行動も変わっていきますよ。

リスクコミュニケーションは、「よくわからないから受け入れられない層」を対象にします。根気よく長く続けることが大切です。食品安全委員会が行なっている「食品安全モニター調査」でも、成果が出ています(参照:図6)。倫理観や正義感に関するトピックについては、リスクコミュニケーションには向きません。また感情や利害とは無関係な、例えば「冥王星は惑星か?」などのトピックは、すぐに対立が解消します。残留農薬や添加物などの食品はその中間ですので、リスクコミュニケーションを長く続ければ効果が出ます。

リスクコミュニケーションの成果図6:リスクコミュニケーションの成果
出典:食品安全委員会「食品安全モニター調査」をもとに唐木氏作図

どちらが正しいかではなく両方とも認める――プロセスとプロダクト

紀平 農業はもともと多様性のある産業で、そこが魅力だと思っています。栽培方法、栽培作物、販売方法も、またその組み合わせも何でもいいわけです。さらに消費者である私たちが、食品を選択する基準も、本来は人それぞれ違います。それなのに啓発と称して、「無農薬」や「無添加」がいい、正しいというような情報、つまり消費者側の選択を制限しかねない情報が多くあると感じています。この傾向が進むと、離乳食の手作り信仰の二の舞になってしまうのではないかと不安です。

離乳食は手作りの方がいい、正しいと主張する方がいて、ベビーフードなどの加工品を使うことに罪悪感を感じてしまうお母さんが多くいるように、無農薬や無添加ではない食品を選ぶことに罪悪感をもつ方が出てきてしまうのではないかと心配しています。

唐木 今の食品問題はすべて「プロセス」の話です。「プロダクト」としては何も変わらない。例えば、加工食と手作り、慣行農業の農作物と有機農業の農作物、昆布出しと旨味調味料などプロダクトとしては変わらないですよね。このプロセスの違いがビジネスになっています。これをどう捉えるか?

それぞれの消費者が選択する理由は「好み」かもしれない。私は好みを認めるべきだと思います。選択の自由を守れることが大切です。対話性がある今の日本社会では、どちらかが正しいではなく「両方とも認める」ことが大切なのではないでしょうか。

新しい視点をもたらすSDGs――食と農を深く考えるきっかけに

紀平 「どちらが正しい」ではなく、「両方とも認める」ことが大切だとわかったと同時に、難しさを感じています。私たちがそれぞれの選択の自由を守り、自分中心の視点ではなく、もう少し広い視点で、農業や食を考えるにはどうすればいいのでしょうか。

唐木 SDGs(持続可能な開発目標/Sustainable Development Goals)は、農業においても考えないといけないと思います。環境だけでなく、栽培している人のことも含めてサステナブル(持続可能)かどうかは重要です。

久松 農業のプレイヤーとして憧れたのは、そういう部分です。今でいう「エシカル」という概念に共感を覚えるのも、有機農業に取り組んだ理由の一つです。有機農業はSDGs的価値に近づく一つの方法論だと思いますが、唯一ではありません。さまざまな要素間でトレードオフもあるので。そもそも一つの方法論で、SDGsを実現できるわけもありません。

森田 SDGsは企業や消費者に、新しい視点をもたらします。企業は自社の取り組みを、SDGsに当てはめて進めるようになり、株主にもアピールするようになりました。

脱プラスチックや食品ロスなどの議論は、消費者団体も関心が高く、積極的に学習会を開いています。SDGsは、私たちの暮らしを考えなおすきっかけになると思います。

そのなかで、食に関しても「どうすれば持続可能なのか」考えてみてはいかがでしょうか。一つの農法がすべて救うわけでもないし、オーガニック食品が救うわけでもない。添加物を使うことで食中毒のリスクを減らして、食品を長持ちすることもできて、たくさんの人を食べさせられます。慣行農業によって、適正価格で多くの食品を選択することもできます。

今消費者運動のなかで光があるのは、SDGsによって、みんなが食を深く考えて、どこに出口があるんだろうと考えるきっかけづくりをすることです。この先、気候変動で農業が困難になり、世界の人口が増えるなかで、みんなが食べていくための技術はなんだろう?と考える。新しい技術が、私たちに何を与えるだろう?と。

科学者は広く伝えることが難しいと思いますが、ジャーナリズムや消費者団体は、この問いかけをしていくことは大切だと思います。

紀平 きょうはどうもありがとうございました。

 

【part1はこちら】

※本記事は『農業経営者』2020年2月号より転載。この座談会は2019年12月に行なわれた。

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