寄付 問い合わせ AGRI FACTとは
本サイトはAGRI FACTに賛同する個人・団体から寄付・委託を受け、農業技術通信社が制作・編集・運営しています
最終回 農薬は人類にとって必要なのか、必要でないのか?【たてきの語ろう農薬】
本連載も早いもので今回が最終回となりました。5回にわたって、安全性の考え方や危険性と利便性をバランスよく考えること(リスクとベネフィット)、そして実際の農薬の安全性評価などについて触れてきました。では、それらをふまえた上で、結局農薬使用についてどう考えればいいのか結論を出していきたいと思います。(農薬ネット 西田立樹)
※web版『農業経営者』2001年10月1日 【たてきの語ろう農薬】から転載(一部再編集)。本文中の役職や肩書き等は2001年10月現在のものです。
現在の農薬使用に問題はないのか
この連載のいままでの説明で、現在の農薬使用にはなんの問題もないという風に受け取られたかもしれません。果たしてそうでしょうか? そんなことはありませんね。農薬散布者である農家の方々には、死なないまでも軽度の中毒や気分が悪くなった経験がある人も少なくないでしょう。また、農薬により川に魚が浮いたとか、ペットが死んだといった経験をお持ちの方もおられると思います。さらには自殺や事件などもあり、農薬による死者が年間1,000人程度は毎年出ているのです。近隣からクレームが来たという例も多いですね。
自動車と農薬をまた比較してみましょう
例えば排気ガスを全く出さない自動車があり、運転者教育を完璧にして交通事故が今の千分の一になったとしましょう。それで自動車は完全な乗り物といえるでしょうか? そんなことはないでしょう。騒音や振動などの公害は起こるでしょうし、交通事故はもっと少ない方が良いし、中には約束を破って事故を起こしたり、あるいは暴走行為をするものもいるでしょう。
同じように農薬の毒性が今よりさらに千分の一低くなって、農家に対する農薬教育を完璧に行ったとすれば農薬問題はなくなるのでしょうか。そんなことはありませんね。毒性は低ければ低い程良いけれど、事故や自殺や近隣住民とのトラブルはゼロにはならないでしょう。
つまり、少しでも問題を減らすために自動車や農薬を改良していくことは重要なことですが、それだけでもないということです。
毒性だけが問題ではない
旧来行われてきた農薬論議では、農薬を援護する側の意見として「毒性は低いし、実際に事故は起こっていない。だから問題ないじゃないか」という結論をよく聞きます。しかし、残念ながらこの答えは不十分です。農薬の問題点は毒性だけではないのです。よくあるのが、近所の農家が農薬をまくので不安だ、あるいは臭いとか洗濯物が汚れるなどの苦情。あるいは、ウチは有機栽培を指向しているので地域で集団防除をやられては困るとか、隣の農場がまいた除草剤でウチの作物が枯れたといった農家同士の問題。そして、廃農薬や未使用農薬の処理の問題なども頭の痛いところです。毒性が低ければ問題ないというのは農薬問題を矮小化しています。
農薬は道具、使うのは人間
農薬自体の毒性は低くなり、農薬を散布する装置や製剤も改良され使用方法は楽になっています。そして事故も確実に減っています。これは道具の進歩です。では、散布する人(農家)や散布される人(農家・消費者など社会全体)は進歩したでしょうか?残念ながら道具の進歩について来れていないのが現状です。つまり、新しい道具をきちんと使いこなせていない、道具の力を引き出せていないのです。「いや待て、俺は新型の農薬を用法を守って使っているぞ」という方もおられるでしょう。それは個人的には正しく使っているわけですが、社会的にはどうでしょうか。せっかくの低毒性農薬も旧来の農薬とひとくくりにして語られてしまっています。減農薬基準などではどの農薬を使ったかは話題にならず、単純に散布回数で決まってしまったりしているのがなによりの証拠です。
今、私たちが考えなければならないのは農薬という道具を正しく使いこなすための方法論なのです。そして、その目的は多くの立場が異なる人たちが認めるところは認め、反対するところは反対し、話し合いを深めた上で民主的な決定を見ることが望まれます。
リスクコミニケーションをはじめよう
消費者など非農家と農薬について話し合うときは、現在の農薬は完全ではないことを自覚しましょう。道具として見た場合は十分に進歩していることを説明し、その道具を使いこなすのは人間であることを納得してもらいましょう。そして、どのように使えばいいのかを立場が異なるもの同士で語り合うのです。これこそがリスクコミニケーションの考え方であり、農薬は毒だとか、有機栽培はしんどいとか、そういうことを言い合っていても不毛なだけです。
十分には進歩したが完全ではない道具、そしてそれを扱うのは完全ではない人間達。事故やミスや苛立ちやストレスが生まれて当然なのです。そのものにどう対処するか、そしてどうやって減らしていくかが課題なのです。このことは自動車を例に考えてみればすぐにわかりますね。
ところが、一部の農家は近隣住民の声に耳を傾けようとしない、消費者はリスクを学ぼうともせずイメージやマスコミに左右される、反農薬団体は農薬の事故事例を集めてきて鬼の首でも取ったように騒ぎ立てているだけ、農薬メーカーなどは「農薬の安全性は高まっています」と呪文のように唱えるだけ…こんな現状からはなにも生まれてきません。
あきらめも肝心
あなたの目の前で私がリンゴにおしっこをかけて、それを洗って、「おしっこは毒性ありませんよ、ちゃんと洗いましたよ。だから安心して食べてください」と差し出したらどう思われますか? もしかすると怒るかもしれませんね。あるいは「毒性とかそういう問題ではないだろ」と指摘するかもしれません。一部の消費者にとって農薬はこの場合のおしっこと同じなのです。では、そういう人にはどう説明すればいいのでしょうか。まずは、この連載で示したことを話してみて、農薬はおしっこではないということを説明します。それでもダメならあきらめます。日本国民全員の理解を得る必要は必ずしもありません。大多数の人にわかってもらえばいいのです。どうしても嫌いな人の考えを無理に変えさせる必要はありません。平行線をたどる議論を続けると、それを聞いている他の人からの印象が悪くなります。常に周囲の目を気にしながら話すことです。たとえ、まわりに誰もいなくてもケンカしてはダメです。
語ろう農薬
農家は農薬について聞かれることが多い。そんなときにどう答えていますか?下の図に書いてあるようなことを言っていませんか。これでは自分で自分の首を絞めるばかりです。農家はほんとにイヤイヤ農薬をまいているのでしょうか?散布作業は疲れるし楽しくないしイヤイヤかもしれませんが、農薬使用自体は、増収のため、よりきれいな作物を作るため、楽をするため、消費者に食料を届ける責任を果たすため、積極的に行っているのではないですか。この本の読者は単なる農家を越えた農業経営者を指向する皆様方。農業を経営する上で病害虫・雑草をコントロールすることは非常に重要なことであり、そのために用いている道具についてお客様にきっちり説明できる能力を身につけることは必須であると思います。ぜひ、この連載を活用していただいて、農薬の使用というものは単なる必要悪ではないことを語って欲しいと願います。そして、人類社会を支える根本に農業があり、それを支える農家がおり、それを助ける農薬という道具があることを広めて欲しいと願って、この連載を終わることにします。ありがとうございました。
筆者西田 立樹(「農薬ネット」主宰) |
コメント