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第8回 ハマスのテロ・襲撃から生き延びたイスラエル農家の証言【浅川芳裕の農業note】
2024年の暮れ、ハマスによるテロ殺戮の標的となったイスラエルの農村地帯を訪れた。
最初に訪問したのは、ガザ地区境界から100メートルに位置するネティブ・ハアサラ協同農場だ。
ネティブ・ハアサラ協同農場
農場はコンクリートの防壁と有刺鉄線に囲まれ、間近で響く爆発音が空気を震わせる。朝の陽光が割れた温室のガラスに反射し、硝煙の匂いが漂う。
取材した農家エヤル・ギラー氏は、2023年10月7日のハマスによるテロ攻撃をこう振り返る。
「早朝、ガザから数百発のロケット弾が降り注ぎ、武装したテロリストがパラグライダーで私の家の庭に降下した。
私は離れたトマト農場で作業中だったため難を逃れたが、近隣住民17人が虐殺された。
農場警備員の友人も戦闘で命を落とした。妻はちょうど子供を幼稚園に連れに出たところで、幸い、一命をとりとめた」
ハマスのテロリストが農場侵入に利用したパラグライダー
ハマスはロケット弾で電力と通信網を寸断した。住民はテロリストの侵入に気づかぬまま、自宅や野外のシェルターに避難した。
そんな中、パラグライダーに加え、陸路で侵入した数十名に及ぶハマスのヌフバ部隊が農業集落を襲撃したのだ。
農場の警備部隊が応戦したが、援軍の遅れによりテロリストの家屋侵入を許した。
「テロリストは車を略奪し、温室を破壊し、果樹園を焼き、農機具も奪っていった。集落の3名がガザに人質として連れ去られた」
取材当時、住民は900人から約100人に減り、農場は荒廃していた。
ガザからのロケット弾で焼かれたイスラエル農家の納屋
「攻撃後、ほとんどの住民が避難したが、私は一度も去らずに残った唯一の農家。種をまくことは抵抗の証。農業をやめればテロリストの勝利だ」
とギラー氏は語る。
元ソフトウェア技術者である彼は、ハイテクを活用した精密農業を実践し、1000種以上の採種用トマトを栽培する。赤、オレンジ、ピンク、紫、緑、黒など多様な色と形状の新品種が数株ごとに植えられている。
試食した数十種は、糖度、酸味、ミネラルのバランスがどれも絶品だった。
その理由をこう説明する。
「世界一ミネラル豊富な帯水層の水と乾燥した気候、水はけの良い土壌が病害を抑え、新品種の試験に最適だ。私の独自技術も寄与している」
農場事務所前の倉庫や温室は、ロケット弾の被害を受けたまま残る。焦げた果樹、損傷したパイプ、弾痕のある倉庫が攻撃の爪痕を示す。
「戦争で取引先の種苗会社社員も農場に来なくなった。君は日本からよく来てくれた。イスラエル農業の闘いを日本の皆さんに伝えてほしい」
とギラー氏は訴える。
農場から住宅街へ向かう道には、ロケット弾を防ぐコンクリート製の避難所が点在する。
国境フェンス付近では若い兵士たちがガザに連れ去られた人質奪還に向け、ガザ突入作戦の準備をしていた。
人質奪還に向け、ガザ突入作戦前のイスラエル国防軍
農場はイスラエル国防軍とハマスとの戦闘の最前線と化した。
(続く)
編集部註:この記事は、浅川芳裕氏のnote 2025年10月8日の記事を許可を得て、一部編集の上、転載させていただきました。オリジナルをお読みになりたい方は浅川芳裕氏のnoteをご覧ください。
筆者浅川芳裕(農業ジャーナリスト、農業技術通信社顧問) |
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