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第20回 有機農業50年の歴史から考える「なぜ怒りを手放せないのか」【分断をこえてゆけ 有機と慣行の向こう側】

コラム・マンガ

有機農業に関する講演の機会を得た間宮さん。その内容を要約して紹介します。


日本の有機農業50年史を50分で振り返る、というテーマで講演の機会をいただいた。
1年あたり1分しかない。

客層としては若い方が多く、必ずしも有機農業事情に精通していない。
そういう人にも、2022年の自分たちの立ち位置が見えるようなまとめ方をしてほしい、ただし安易にキラキラした希望を語らず、シビアな現実を突きつけてほしい、とのオーダーだった。

後者はともかく、前者はなかなかの無茶ぶりである。
そんなテーマなら僕よりふさわしい話し手がいるでしょう、と何人かのお名前を挙げたのだが、イデオロギー的な偏りのないフラットな話が聞きたいのだ、と主催者に押し込まれて、結局引き受けることになった。

基礎知識のない方でも全体像をぼんやりとつかめるよう心がけたが、詰め込み感は否めなかった。
まだまだ工夫の余地があったのではないかと悔やんでいる。

3つのフェーズ

当日は、まず日本に有機農業運動が誕生する背景となった海外の潮流や国内事情を踏まえた上で、大きく3つのフェーズに分けて、その歴史を紹介した。

1、 世界と日本 有機農業誕生の背景
2、 日本有機農業の誕生(1970年代)
3、 拡大と混乱(1980〜90年代)
4、 法制化と産業化〜あらがう流れ(1999年以降)

こうした大きな流れについての認識自体は、有機農業研究一般においても、おおむね合意されているところと思われるし、何も目新しいものではない。

ただ、あらためてしみじみと実感したのは、日本の有機農業は社会運動と不可分のものだった、という歴史的事実だ。

抵抗運動としての有機農業

千葉商科大学准教授の小口広太氏は2015年の論文「有機農業のこれまで・いま・これから ―改めて「地域」の視座から考える―」のなかで、「有機農業の性格は、その成り立ちを見てもわかるとおり、農業の近代化とそれを支えた体制に対する根底的な否定から始まっており、それは戦後農政に対する社会的挑戦であった」と書いている。

1961年の農業基本法成立から推し進められた急速な農業近代化や、水俣病をはじめとする様々な公害問題を背景に、有機農業は単なる農法のひとつではなく、「あるべき人間的な社会や生活」を体現するための抵抗運動として展開されたものだった。

そのため、単体の運動というよりは、当時の学生運動や開発反対運動などとの深い思想的な連帯によって成り立っていた側面がある。

有機農業でかなえる理想の社会像

運動の中心にあったのは、草の根からの「提携」だ。
1971年に日本に有機農業という言葉を生み出した有機農業研究会(現・日本有機農業研究会)は、「提携」の本質を「人と人のつながり」であるとし、「有機農業の共通の理念に向かって、農家(生産者)と都市生活者(消費者)が共に学び支え合う相互協力・信頼関係」と定義した。

これまでの連載では「有機農業は手段であって目的ではない」と度々書いてきた。

だが、有機農業の実現が限りなく「目的」そのものだった時代は、確かにあったのだ。

現に当時の有機農業運動の当事者たちには、提携こそ理想の社会像と考える向きもあり、農産物を商品として扱うことに忌避感を持っていたという。
実際、その後有機農業の市場が広がり産業化していくことに対しては、常にある種の反発を示している。

本来の目的は何か

一方、現代の話としてはやはり、有機農業を自己目的化するべきではない、と言い続けたい。

確かに、環境負荷をできるだけ下げ、土壌や周辺環境の生物多様性を回復させるポテンシャルを持った技術体系として、有機農業には発展させていくだけの十分な価値があると思う。

だがそれは、有機農業さえ広まれば何かが解決する、という意味ではない。
社会全体の持続可能性を高めるために考えられる、たくさんの方法のうち一つの選択肢だと言っているにすぎない。

変人と後ろ指をさされながら有機農業に情熱を傾けてきた人が、そこに多くの夢と希望を詰め込みたい気持ちは痛いほどわかる。
でも、だからこそ本来の目的を見失わないように、自ら抑制的でいなければ足元をすくわれてしまう。

自らの正義を過信すると、根拠の薄い情報やデータでも、有機農業にとって有利でさえあれば無防備に持ち上げてしまったりする。

その結果として、化学物質による健康被害への恐怖を煽ったり、有機食品によって病気が回復するなど誤った希望を抱かせるような運動やビジネスが広がりを見せている。
このままでは、かえって社会に分断を生み出す要因になってしまう。

それに対して、有機農業サイドからこそ厳しい批判の声をあげることが必要だと、連載当初から言い続けているのだが、そのような動きは一向に起こらず、状況は悪くなるばかりだ。

オーガニック以外は危険だ、というような解像度の低い農業理解を放置することで何を失っているのか、社会にどんなダメージを与えているのか、ということも同時に考える必要がある。

有機農業運動が遺したもの

有機農業運動の誕生に前後して、1971年には農薬取締法が大幅に改正され、毒性の高い多くの農薬が失効し販売使用ともに禁止された。
背景として、レイチェル・カーソン『沈黙の春』の影響力も大きかったという。
その後出版された有吉佐和子の小説『複合汚染』も社会に衝撃を与え、有機農業運動の存在を広く知らしめた。

当時使われていた農薬の安全性には確かに多大な問題があり、農薬による生産者の死亡事故も毎年40件前後は起きていた(近年はほぼ0件で推移)。
また、主婦を中心とする消費者からも食品安全への関心は高まり、各地に生協が設立されるなど、有機農業運動の広まりには歴史的な必然性があった。

だがその結果、長い年月をかけて農薬の安全性は飛躍的に向上し、法律や制度の変化を通して厳しい基準で管理されるようになった。

それは有機農業運動の確かな成果でもあった。
今では慣行農業であっても、農薬や化学肥料の使用量を最小限に抑える意識は一般的になっているし、土づくりなどの面で有機農業との技術交流も珍しいものではなくなっている。
みどりの食料システム戦略も追い風に、その境目はさらに曖昧になっていくだろう。

浸透する「有機農業的」な理念

また、特に東日本大震災後の傾向として、SNSの普及ともあいまって、単に消費者の都合で食品安全を声高に求めるのではなく、生産者と消費者が主体的にコミュニケーションをとることで「顔の見える関係」をつくっていこうという意識がカジュアルなものになってきた。

直売所の増加もあって、地場の農産物に目を向ける流れも定着した。

当初「提携」を通して世に問われた有機農業の多面的な価値は、そのままの形ではないにせよ、ときに姿を変えながらも、社会のそこかしこに浸透しつつある。

それを成果と捉えるか、骨抜きにされて取り込まれたと捉えるかで、見える世界はまるで変わってくる。

もう戦わなくていい

反農薬運動へのよくある批判として、『沈黙の春』や『複合汚染』の時代から情報や意識がアップデートされていない、というものがある。
実際に農薬が多くの被害をもたらしていた時代の認識に固執して抜け出せていない、ということだ。

当時の怒りは正当なものだったかもしれないが、今や実体のない不安だけが、悪い形で健康ビジネスや陰謀論コミュニティに引き継がれ、利用されてしまっている。

種苗法改正騒ぎのように、本来存在さえしない不安を新たに捻出しなければ保てないような運動であれば、それはもう社会に必要とされていないのだ。

もうその拳を握りしめなくても、新たな不安を血眼になって探さなくても、あなたたちはとっくに勝利しているのだと伝えてあげることが、まずは必要なのかもしれない。

参考

・有機農業大全 持続可能な農の技術と思想(コモンズ)
・日本有機農業研究会 土と健康2021年10月号
日本有機農業研究会 ウェブサイト
有機農業のこれまで・いま・これから ―改めて「 地域」の視座から考える― 小口広太(明治学院大学国際平和研究所)

【分断をこえてゆけ 有機と慣行の向こう側】記事一覧

筆者

間宮俊賢

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