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Vol.7 野菜農家が「農業と家庭菜園の混同」問題を語る【農家の本音 〇〇(問題)を語る】
中部地方の露地野菜農家・SITO.です。コロナ禍の影響もあり、近年家庭菜園を始める人が増えています。私たち農家が営んでいる農業と家庭菜園は、「農作物を育て、収穫する」という観点ではどちらも同じです。しかし、それぞれの目的は大きく違います。この目的の違いが見えにくい・周知されないがために、家庭菜園で培った理論や実践経験を農業に当てはめ、現代農業の在り方を批判的に訴える方がSNSでも散見されます。今回は、家庭菜園と農業の本質的な違いを定義しながら伝えていこうと思います。
家庭菜園とは“楽しむ”こと
家庭菜園の目的は育てた作物を「食べる」こと、つまり趣味として“楽しむ”ことです。作物の生育から収穫までの一連の作業を楽しんだり、収穫した作物を実際に食べて楽しむことが主たる狙いであり、それゆえ趣味として価値のあるものとなっているのでしょう。基本的には個人の自由に使えるお金(可処分所得)から投資されるため、コストパフォーマンスはさほど重要視されないことがほとんどです。また、それなりに手間暇のかかる趣味ですので、コロナ禍により自宅で時間を持て余す人が増え家庭菜園が流行るのも頷けます。
農業に比べて栽培面積は小さく、手作業がほとんどで露路栽培の他にプランターを利用して作る場合もあります。作物栽培の専門知識が無くても気軽に始めることができ、失敗しても自分の生活が脅かされることはありません。そのため、独学で色々調べて様々な栽培方法を試すことも可能です。栽培する作物全てにこまめな手入れをすることができるので、収穫量こそ多くないですがこだわりを持って肥料や農薬を使わない「自然栽培」に挑戦する人もいます。
農業とは“稼ぐ”こと
農業の目的は育てた「作物で食べる」こと、つまり生業(なりわい)として“稼ぐ”ことです。サラリーマンが会社に勤めお金を稼ぐように、農家は畑に赴き作物を育て販売することでお金を稼ぎます。生産者によっては栽培を楽しんだり、作った農産物を食べて頂いたお客様の笑顔を見るのが好きだから、といった理由を述べる方もいらっしゃいますが、農作物を売った利益で生計を立てており、それが無くなった場合に成り立たない主義主張はあくまで副次的な目的に過ぎません。農業において、お金を稼ぐことを二の次にするということは即ちボランティアの類になってしまいます。
生業としての農業は何を栽培し、何を肥料に使い、何に設備投資をしてどのくらいの収穫量を予定しどうやって売るか、しっかりと経営計画を立てます。無駄な経費をできるだけ省いてなるべく多く利益を確保することで、仕事として農業を持続可能にすることができます。一般的に家庭菜園と比べると比較にならないほど大きな面積で栽培され、機械化が進んでおり効率よく大量の作物を生産します。農業は天候に大きく左右される職業であり、台風や大雨、干ばつによっては生産量や品質が大きく落ち込んだり、逆に多くでき過ぎて飽和してしまうこともしばしばあります。これが、農業が経済的に安定しない職業だと言われる所以ですが、この不安定な量と質を如何にコントロールして恒常的に利益を出すかが生産者の手腕に問われるところでもあります。どんな綺麗事を並べ立てても、利益を出せなければ生きていけません。
家庭菜園の成果は当てはまらない
家庭菜園と農業の差異に気づかず、家庭菜園での成果をそのまま農業に当てはめて批判する主張が生まれるのには、農業の商売文句にしばしば生産者のこだわりが謳われ、それを目にする機会が多いからというのが考えられます。誰も、そのこだわりによって生産者が利益を得て生計を立てているというところまでは詳らかに発信するはずもありません。これは本来生業として当たり前のことなので敢えて言及する必要はないように思えますが、農業に限っては、採算を度外視できる家庭菜園というカテゴリの存在によって、利益の創出という土台ありきの生産者のこだわりだけに焦点が当てられてしまうという問題があるのではないかと考えています。
人材不足に悩む日本社会の例にもれず、農業においても担い手は限られてきています。その中で農家は最適な栽培方法を選択し、高効率で高品質の作物を作り上げ販売していかなければなりません。その結果が、肥料や農薬を適切に使い生産する「慣行栽培」が農家全体の9割を超えるという数字に表れているのです。
農家にとって自然栽培の失敗リスクは大きい
これに対しよく言われるのが、「家庭菜園で自然栽培ができるのだから、農業でも肥料や農薬を使わなくてもできる」という旨の主張です。これは先に述べた「農産物を食べる」のか「農産物で食べる」のかという違いを見落としているために見方を誤る典型です。生きるための農業は、栽培に失敗した場合の影響が甚大です。成果が生活に直結する状況で「安心・安全」を謳う自然栽培を採用しても、今般の農産物価格の低迷や、自然栽培作物のマーケットの小ささ、不安定な品質と収量など、様々な「不安」要素があるのが実情です。現実に自然栽培で新規就農をした農家が数年足らずで離農していく事例はいくつもあります。反対に楽しむための家庭菜園では、失敗した際のデメリットはその作物が食べられないということくらいです。収穫量も少なくそもそも販売するものではないので品質もそこまで気にする必要がありません。
家庭菜園で作られた農産物と、農業で作られた農産物では、それを評価する人が違います。前者の場合は本人(またはその親類縁者)が食べることがほとんどですので、評価の主体は家庭菜園を営む当事者となります。そこに対価が発生するわけでもなく、あくまで自己満足の域を出ません。大きめの家庭菜園で余剰作物を直売に出したりする場合は話が違ってきますが……。後者の場合は栽培者本人の評価もさることながら、最終的には農作物を購入して食べる消費者の評価が全てとなります。不特定多数の人に評価を得なければ、農業を生業として続けていくことはかないません。
農業と家庭菜園を混同する先にあるもの
家庭菜園での成果を農業に代入することが如何に非現実的なのかはご理解頂けたと思います。その上で家庭菜園の知識で農業を語ってしまうと様々な「勘違い」が生まれてしまいます。よく言われるのが、
・慣行農業は化学肥料や化学農薬を大量に使い不健康な農作物を作っている
・使わなくても良い肥料や農薬をメーカーやJAが農家に使わせるように強要している
といったような主張です。消費者にとって家庭菜園は限りなく身近な趣味ですが、農業は近そうに見えて実は存外遠い存在であることを理解していないと、このような言説が家庭菜園での経験から確たる事実であると誤解しがちです。
実際には肥料や農薬を使用して作られた作物が人体に有害であるという客観的なデータはなく、メーカーやJAにその使用を強制されている事実もありません。このような誤解が、農薬や農薬メーカー、JAや果ては政府まで悪者とする極端な思想を助長する可能性は否定できないと考えます。
私自身、農業を営みながら趣味で色々な作物を家庭菜園で育てています。採算度外視でそれこそ農薬を使わない、肥料を使わないといったこだわりのある栽培方法に挑戦していますが、そのやり方を全面的に本業に導入しようとは露ほどにも思いません。農業と家庭菜園は、工業製品とDIYとの違いくらいに差のあるものなのですから。