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第34回 斎藤幸平さんの帯文取り下げについて 【分断をこえてゆけ 有機と慣行の向こう側】

コラム・マンガ

河出新書から刊行される山田正彦氏の新刊『子どもを壊す食の闇』の帯に寄せられた推薦文が、発売を目前に取り下げられるという出来事があった。推薦文を寄せていたのは、『人新世の「資本論」』が45万部を超える大ヒットを記録して一躍、時の人となった若手の哲学者・経済思想家の斎藤幸平氏だ。その顛末に迫りたい。

斎藤氏が寄せた推薦文は、元々このようなものだった。

「命の根幹である食が危ない。子どもたちの健康と日本の未来を守るために書かれた現場からの警告と改革の書」

あの斎藤幸平さんがそこまで言うなら、と思わず手に取る人もいるだろう。
読者層を広げる上での影響力、知名度は申し分ない。

だが、山田正彦氏といえば実際には、農業関係者のあいだではきわめて評判が悪い。
わずか3カ月で退任した元農林水産大臣の肩書を今も使用し、農薬や種苗などについて根拠のない情報を発信し不安を煽る人物として知られている。

もちろん斎藤氏は、そんな現場の声はつゆも知らなかったのだろう。

巧妙なミスリード

帯には推薦文だけではなく、出版社が書籍の内容をもとに作成したと思われるリード文が列記されている。
① 「なぜ発達障害児が20年間で40倍に増えたのか? なぜ日本だけ、がんやアレルギーがこんなに多いのか?」
② 「農薬/食品添加物/遺伝子組み換え・ゲノム編集食品――このままにはできない!」
③ 「学校給食を起点に日本の食を変える 元農林水産大臣・法のスペシャリストによる魂の提言」

帯全体の印象としては、どう見ても食への不安をかき立てるようにできているのに、各センテンスが切り離されてレイアウトされているため、直接の断言は巧妙に避けられている。
その気になれば、例えば「別に農薬のせいでがんが増えたとは書いてない。読み手が勝手にそう受け取っただけ」と言い逃れができるようになっている。

これはこれで高度な職人技なのかもしれないが、あまりに姑息でリスペクトする気持ちは全く湧かないし、できれば子どもたちに見せたくない、と思う。

発達障害が増加した原因を農薬や食品添加物だと決めつけるような言説には、反農薬運動の内部からさえ科学的にも道徳的にも疑問視する声が上がっているし、がんやアレルギーが日本だけ多いという事実もない。

2月7日、4月4日

筆者が確認した限り、2023年2月7日時点で本書は「学校給食有機化(仮)」というタイトルで、4月26日の発売を予定していた。

次に、4月4日に河出書房の公式サイト上で確認した際には、タイトルが「子どもを壊す食の闇」に変更されており、発売は5月26日に延期されていた。

この時点で、公式サイトの内容紹介は「農薬や食品添加物の規制緩和、種苗法廃止――日本の食卓はかつてない危機にさらされている。元農林水産大臣が指し示す、学校給食のオーガニック化を起点に、食の安全を守る方法。」と書かれており、タイトル変更後も引き続きオーガニック給食を主題としていることがわかる。

個人的に、このような子どもの健康をダシに不安を煽るタイトルはひどく品性に欠けると感じるが、一般的に本のタイトルを決めるにあたり著者には決定権がない場合も多々あるので、これ自体は山田氏の本意ではなく、出版社側の意向が強く働いた可能性も残されている、という点には一応留意しておきたい。

(ちなみに、「種苗法廃止」という一語だけをとっても、この本がいかにずさんに作られているか窺える。種子法は廃止されたが、種苗法は廃止などされていない。名前が似ているだけの、全く違う法律だ。)

5月31日

問題の帯文に気づいたのは、5月31日にAmazonで掲載されている書影を見た際だった。この時点で発売予定日は6月16日。また延期されているが、約二週間後に迫っていた。

正直なところ、出版社が作成した前述のリード①②③それ自体は、ひどいものではあるが想像の範囲内だった。
これまでの山田氏の著書、言動、市民活動から考えれば、むしろ予定調和といっていいくらいの紋切り型の内容だ。

衝撃を受けたのはあくまでも、斎藤氏の推薦文が帯に掲載されていた点だ。
幅広い世代に大変な影響力がある若手論客が、よりにもよってこの本に、と膝が崩れ落ちるような思いをした。
その影響力の行使に、もっと慎重であってほしかった。
その皺寄せが及ぶ先に、想像力を馳せてほしかった。

そんなことをぼそりとTwitterで呟くと、やはり同じタイミングでこれを問題視したAGRI FACTコラムニストの渕上桂樹さんや、ご自身も発達障害の当事者である「発達障害のニュース」さん、著書に『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』などがある社会学者の橋迫瑞穂さんなど、多くの方がそれぞれの言葉で問題提起を行ったことで、小さな波が起きていった。

農業関係者だけではなく、発達障害への差別・偏見につながる表現を問題視した当事者や学者・研究者の方たちからも疑問の声が上がり、その反響は特定のクラスタに限定されない、重層的な広がりを見せた。
単に科学的な因果関係やエビデンスの話ではなく、もっと社会的で倫理的な問題であるという認識が広がったのだ。

6月1日

その後の対応は早かった。
わずか一日後、6月1日の夜に、斎藤氏は自身のTwitterで推薦文の取り下げを発表した。

「今回の帯は発達障害激増の原因が農薬や添加物にあるかのような誤解を与え、不安を煽る結果、傷つく方もいらっしゃることに考えが十分に至っておりませんでした」
「日本も食料自給率や有機栽培の割合を高め、安全で安定した食糧供給を確保していきたいという強い想いが扇動的なものになってしまった」

というのが撤回の理由として説明された。
本当の経緯については知るよしもないが、ひとまず言葉通りに受け止めるのであれば、多くの人々から指摘された問題点に斎藤氏も概ね同意したと読むことができる。

帯全体にまで斎藤氏の責任があるとは思えないが、そういう本に安易に推薦文を寄せてしまった反省の表明ということだろう。
理由はどうであれ、推薦文を迅速に取り下げた斎藤氏の対応は敬意を持って受け止めている。
なかなかできることではないと思う。

そしてこの発表があった直後、問題の帯文を使った書影はAmazonから削除され、発売日は7月26日へと、三たび延期された。

読む前からトンデモ本と決めつけていいのか

ところで、この件に関して「発売前の書籍を、読む前からトンデモ本と決めつけるのは不誠実ではないか」という指摘を目にした。
一般論としては、全くもって正しい指摘だと思う。

躊躇いはあったが、本書に関しては、これまでの山田氏の言動や著作、今回のタイトルや帯文から総合して考えれば、こちらの予想を覆す見込みは限りなく低いと判断した。

また、いたずらに不安をかき立てる品のない販促パッケージは、本文の内容にかかわらず、それ自体が独立して批判に値するものだ。

さらに正直に言えば、そのようなものをどこまで一般の書籍と同じように敬意を払うべきなのかは、ずっと迷いがある。

これまで見てきた限り、農と食に関して根拠の薄い不安を煽るような書籍の多くは、校閲はおろか校正すらまともに行われていないのではないかと疑いたくなる、ずさんな出来のものが決して少なくない。

山田氏に関して言えば、著書の末尾に示されている参考文献の多くが自著や自身のブログで占められていた、というブラックジョークみたいな過去もある。

いわゆる「トンデモ本」を出すコストと、それをチェックし批判するコストは、あまりに非対称的だ。
こちらが倫理的に誠実であろうとすればするほど、「トンデモ本」の検証と批判には否応なく時間がかかり、本質的に後手にまわる。

彼らはその間にも高速で嘘を喋り続け、本を売り捌き、批判は無視するか、その場限り頭を下げて、別の場所ではまた同じことを喋り続けている。
誠実であろうとする側ばかりが消耗し続ける。

どんな本であれ、表現の自由は厳に守られなければならない。
それはわかる。

だが、伝統ある出版社までがその巨体を維持するために、目先の利益を求めてタガが外れた「トンデモ本」を量産し続けるのであれば、そのことと引き換えに、私たちの社会は何を失っているのだろうか。
皺寄せを食うのはいつだって、弱い立場の人々なのだ。

斎藤幸平さんは、そういう小さな苦しみの声を聞き取ることができる人だと信じたい。

 

※記事内容は全て筆者個人の見解です。筆者が所属する組織・団体等の見解を示すものでは一切ありません。

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