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第2回 安全性は必要性を考える上でのひとつのファクターに過ぎない【たてきの語ろう農薬】

コラム・マンガ

たてきも自動車を持っており、毎日の通勤に利用しています。実は駅から歩いて3分位のところに住んでいて、家の前には大きなスーパーもあるし、無ければ無いでなんとかなるというのが正直なところです。
※web版『農業経営者』2001年7月1日 【たてきの語ろう農薬】から転載(一部再編集)。本文中の役職や肩書き等は2001年7月現在のものです。

自動車は世の中に必要なのか?

たてきも自動車を持っており、毎日の通勤に利用しています。実は駅から歩いて3分位のところに住んでいて、家の前には大きなスーパーもあるし、無ければ無いでなんとかなるというのが正直なところです。しかし、職場までは電車とバスなら45分ですが、車なら20分で行けます。雨が降っても気にならないし、帰り道に買い物に寄ることができるのも良いところです。電車通勤なら片道430円かかりますが、自動車なら100円程度のガソリン代で済むのも見逃せません。もはや自動車なしの生活は考えにくい状況ですが、自動車が日本の庶民に普及したのはここ30年ぐらいの話しで、それだけ短期間で世の中に密着したものになりました。自動車に乗っていない人も、トラックなどの輸送機関によって間接的に生活を支えられています。結論としては現在において自動車は必要不可欠なものであると言えます。

人はなぜ自動車のような危険なものに乗れるか?

一方で自動車を原因とする事故死者は年間1万人います。排気ガスによる喘息や光化学スモッグなどとの因果関係が認められており、地球温暖化の元凶ともいわれる炭酸ガスの排出のうち、2割強は自動車由来です。騒音、振動は人々を悩ませ、暴走族などによる悪用も後を絶ちません。

これほど危険なものになぜ乗れるのか?それは上記したように必要だからです。つまり、ある程度の危険性(リスク)は必要性のためには容認されます。これはリスクがあっても必要性があれば許されるということではありません。リスクを最小限にとどめる努力をしていれば、最小限のリスクはやむを得ないということです。それは免許制度であるとか、より安全性の高い新型車の開発など、物心両面から行われるべきことです。

つまり、人が物事に関して必要性を認めるかどうかにあたり、安全性は色々なファクターのうちの一つに過ぎないということがわかります。安全性は最も重要なファクターの一つですが、それはコストや必然性などと同レベルのものです。また、人間は気まぐれや流行によって左右される点も見逃せません。それらについて各人のバランス感覚によりそのものの必要性が決定されます。

安全性論議から必要性論議へ

・農薬が安全かどうかの議論がやめて、必要かどうかをみんなで議論する
・農薬の使用目的は食糧の増産ではなく、人類の幸福な発展である
・農薬を使った方があなたにとって得なのか損なのか?
人類にとって得なのか損なのか?
・安全性は必要性を考える上で、たくさんあるファクターの一つに過ぎない

移動手段は自動車だけではない

今、自動車について考えてみたわけですが、移動手段は自動車だけではありません。例えば札幌から東京へ行くことを考えた場合、飛行機を使うのが普通ですが、安全性だけ考えれば電車の方が良いでしょう。しかし、そこに利便性のファクターやコストや気まぐれが入って来て、実際には多様な交通機関が住み分けています。自動車の話しをし出すと自動車の話にばかり目が行きますが、排気ガスを問題にして討論するならば、そもそも車自体がどんなに改善しても電車に勝てるはずが無いという結論を出すのがもっとも良いのです。そもそも自動車の安全性についての論議のきっかけば、移動手段としての価値についでであったはずですが、いつのまにか自動車は良いか悪いかという細かい議論にはまりこんでしまっています。

農薬は世の中に必要なのか?

以上の自動車での話しをふまえて考えてみましょう。農薬の安全性を話すときには、まずは話し相手と自分自身が「安全性は必要性を考える上での一つのファクターに過ぎない」ことを理解してお<必要があります。そのことを抜きに安全性の話しを始めるとリスクゼロが理想だという間違った結論にしか到達しません。リスクゼロは理想ではありません。リスクを出来るだけ下げつつ、その他のファクターも考慮して、最も人間社会に役立つ方法を考えるのが理想です。

こういう視点で農薬というものを考えた時にはどうなるのでしょうか?まず言えることは農薬は必要であるということです。食料生産量の確保、質の向上、生産労力の低減、コストダウン、以上の4点は誰しも認める農薬の効用です。このことは消費者にも比較的理解されやすいでしょう。

また、農薬使用についてのみ議論しても仕方がありません。農薬使用を前提とした農業、あるいはその農業を前提として成り立っている現代社会について考えてみる広い視点が必要です。無農薬でやれば野鳥や蛍が帰ってくるとかそういうレベルの話は細かすぎます。たとえばトキが減ったのは農薬が主因ではありませんが、農薬も影響していたことは確かです。しかし、だから農薬は悪いとは言い切れません。一方で社会に対して多大な貢献をしているのです。トキが減るマイナーな要因を取り除くために現代社会が失うものは何か? そういった点に目を向けたいし、向けさせたいところです。

バランス感覚は百人百色、しかし…

一方で無農薬を指向する農家もいます。これは農作物の質というものの捉え方の違いです。より商品価値の高い生産物を作る方策であり、そのかわりにコストや労力をかけるというその人なりのバランス感覚です。100人いれば100のバランス感覚があるので単純にどれが正解とはいえません。

農薬使用に関して一定のガイドラインを作るとすれば、多様なバランス感覚のうち最大公約数を取ることになるのは仕方がありません。もちろん、そこに科学的な裏付けも必要です。こうして出来たのが使用基準であったり登録基準です。そういう性格であるから、それらを認めない人も当然出てきます。これは当たり前のことです。

しかし、実際のところは大多数の消費者はスーパーなどで特に残留農薬など気にせずに買い物しており、それで困っていることもありません。つまり、最大公約数として現在の日本の農薬行政や技術は間違っていません。この点は自信を持って良いと思います。

消費者と農家のバランス感覚はなぜずれるのか?

農薬に関するベネフィット(便益性)を消費者は実感することがありません。これが消費者と農家のバランス感覚がすれる最大の要因です。農家は農薬の安全性を語るより、むしろ便益性をもっとアピールした方がよいでしょう。

ベネフィットの情報が少ない

農薬の談義では、リスクの話が多くベネフィットの話が少なすぎる

・リスクの話から入る分野が他にあるか?
・収穫増の話は今の日本では説得力がない
・農家の健康や作業軽減をもっと評価
・安定生産の重要性を説く
・農業は趣味ではない
・農家にとって作物は命だということ

筆者

西田 立樹(「農薬ネット」主宰)
企業で農薬の研究を行いつつ「正しい農薬の知識を身につけるページ」をネットで公開中。著書に「気になる成分・表示100の知識」「ダイオキシン100の知識」(いずれも東京書籍)など。

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