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第35回 昔の人参は栄養が40倍? バックラッシュとしての「専門家に殴られる問題」【分断をこえてゆけ 有機と慣行の向こう側】
科学的見地を持った専門家の発信が反発の対象となることがある。その内容が誤りであるならまだしも、言葉つきや姿勢といった違う土俵でいさかいを起こしている。健全ではないこうした状況の解決が望まれる。
「専門家は専門知を振りかざすな」
という訴えを目にする機会が続いている。
「知識でマウントを取らないで」
「ファクトで殴られた」
など、その時々で言い回しは異なるが、意味はだいたい同じだ。
「自分の考えたことを、自分の持たない専門知識によって、一方的に否定された」と感じた側からの反発、として使われる。
そこでは、取り上げられた専門知識の内容よりも、それを伝える専門家の口ぶりや態度、コミュニケーション方法が批判の対象となることが多い。
シチュエーションの影響も大きい。
もし専門家が個人的にそっと耳打ちして「それは違うよ、正しくはこうだよ」と教えてくれたなら、反発のかたちは、あったとしても違うものになるだろう。
だが今日、こうした応酬の多くはSNS上で、すなわち公衆の面前で行われる。
専門家によって晒し者にされたという恥の感情が、なんとか一矢報いたいという対抗意識につながる。
かといって、大抵の場合は同じ専門知識の土俵では議論が難しいため、口ぶりや態度への批判に加え、「科学を盲信している」「一般市民の気持ちがわかっていない」など、権威主義への疑問というかたちをとることになる。
また、「科学だって後になって覆ることがある」「科学は利権や陰謀によって歪められている可能性がある」などと科学自体の正当性を疑問視することで、「どっちもどっち」的な話に持ち込もうとする感じもよく見られる。
最近では、朝日新聞記者の藤えりか氏がTwitterに『素朴な異論や懸念を「わかってない!」と封じ込める光景にTwitter等でよく遭遇します』と投稿し、悪い意味で話題になった。
東日本大震災の後には、放射性物質に不安を感じる人々に対し、頭ごなしに科学的事実を押し付けるような態度をとった専門家が多くの市民の反感を買うことになった。
専門家と市民のディスコミュニケーション、それ自体は別に新しい話題ではない。
にも関わらず、専門知を提供する専門家への不満・反発は、今も解決されることなく、社会のところどころで噴出し続けている。
突然の「放射線米」騒ぎ
農業分野ではつい先日、科学ジャーナリストの松永和紀氏による『「ヤバイ」ではなくすごいコメ コシヒカリ環1号の実力』という記事が話題になった。
放射線の照射を用いて育種され、重金属カドミウムの吸収を抑えることに成功した「コシヒカリ環1号」というコメの新品種が、ある日突然、反農薬運動家やホメオパシー団体により、危険な食品として槍玉にあげられたことが発端だ。
従来にない危険なコメが流通しようとしている、市民が声をあげてこれを防がなければならない、としてSNS上では「放射線育種米」や「放射線米」などと呼ばれるようになった。
放射線照射による農産物の品種改良は古くから行われており、特に危険性も認められていない技術にも関わらず、なぜ突然このような批判の声が大きくあがったのかと、農業関係者のあいだには戸惑いが広がった。
松永氏の記事はこの状況に呼応して書かれたものだった。
まず議論の前提として「コシヒカリ環1号」の開発の背景や、そこで用いられた放射線照射の最新技術について丁寧に解説をおこない、その上で記事のむすびで、不当な批判や誤解に対してひとつひとつ応答するかたちをとっている。
記事全体を通して「コシヒカリ環1号」や放射線育種について、科学的な理解が得られるように構成されており、単なる反論記事の領域をこえて有益な内容となっている。
トーンポリシング
ところが、思わぬ角度からこの記事への反発があった。
農学博士の篠原信氏が個人ブログで「記事内容は科学的に妥当でわかりやすいが、不安を表明する人たちを見下す気持ちが文面からあふれ出ているのが気に入らない」として批判を展開した。
そこでは「専門家が科学的に正確な知識を持たない大衆と接する態度を誤ることで、かえって反発が生まれかねない。専門家と市民の間に上下関係はない」といった意味のことが述べられているのだが、なぜか騒ぎの発端となった反農薬運動家らへの批判は省略されている。
一般論としては、篠原氏が記事中で提示する問題意識には共感するところもある。
私自身も、あまりに乱暴な言葉や、相手を小馬鹿にしたような態度でおこなわれる「農業デマ批判」を見て嫌な気持ちになることはある。
しかし、この件に関しては市民の間で自然発生的に不安が広まったわけではなく、恐怖を煽るストーリーを恣意的につくりあげた明白な発信源が特定されている。
大前提としてその発信源の悪質性を問うことなく、松永氏の「言い方」だけをとりあげて批判する様は、単なるトーンポリシングのように映りかねない。
悪意ある誤情報の発信源にこそ、問題の根源があるという前提を最初に共有し、松永氏と目線を合わせた上で、その伝え方や表現について議論を促すようなやり方もあったのではないかと、残念に思う。
固定種のニンジンはF1種よりも栄養が40倍
最近もうひとつ印象に残ったのは、Yahoo! JAPANに掲載された『山田孝之&松山ケンイチ/裸足になって京都の田んぼで手植え 自給自足に挑む二人の目指すもの』という記事をめぐるやり取りだ。
記事中では俳優の山田&松山ペアが「田舎で農(作)業を実践している」という喜びをご機嫌に語りあっているのだが、会話のところどころに農業関係者が聞いたらひっくり返るようなデタラメが差し込まれている。
これを読んだ土壌学者の藤井一至氏が「二人が言っていることは怪しさ満載で悲しいレベル」とTwitterに投稿し、いくつかのファクトチェックを添えたところ、「科学マウント」だとする反発が幾つも挙がった。
山田孝之か松山ケンイチ本人からの反論ならともかく、無関係のギャラリーから藤井氏に批判の矛先が向けられる展開は、なんだか理不尽だ。
例えば対談中に「固定種のニンジンはF1種の市販のニンジンよりも栄養が40倍あるとなったら、食べる量は1/40でよくなる」という発言が出てくる。
これは例え話として触れられ、根拠は特に示されていない。
おそらく「効率優先で農薬を多用し工業化した農業のせいで、野菜の栄養価が昔より激減している」というありがちな都市伝説や、漠然とした伝統野菜への憧れが、なんとなく本人のなかでミックスされているのではないかと思うが、もしかしたら彼の周囲に本当にこういうことを言う人がいる可能性もある。
農業の話くらい別に、という見くびり
この場合、一番の問題はどこにあるだろうか。
① 昔の野菜は栄養が40倍あったという誤解を広めた発信源
② それを真に受ける山田孝之
③ 山田孝之の発言をフィルターできない編集者とYahoo! JAPAN
④ それを真に受ける読者
⑤ その誤りを指摘する専門家
社会的影響力という観点では②山田孝之氏にも大概勘弁してほしい気持ちはあるが、より問題が大きいのは①③ではないだろうか。
少なくとも⑤ではないはずだ。
発信源については言うまでもないが、見落とされがちなのは③の要素だ。
何も編集者に、農業リテラシーを万全に備えろと要求する気はない。
でも、「栄養が40倍」と聞いてとりあえず「ん?」と固まってみる、さすがにそれは要確認ではないかとフリーズしてみるのも、編集者の役割のひとつではないのだろうか。
気持ちよく喋っているうちに、うろ覚えの知識を組み合わせてなんとなく言ってしまったという程度のことかもしれない。
そっと耳打ちしてあげるか、本人らが恥をかかなくて済むようカットしてあげることもできたはずだ。
それを今回、そのまま右から左に流してしまった編集者は「コンテンツプロデューサー」の肩書も名乗り、遠くを見つめる風のモノクロポートレートと共に「出版、web合わせて約30年のキャリア」と自己紹介を掲げている。
これがもし犯罪やスキャンダルに関わるような話題だったら、モノクロポートレートの編集者も事務所側も、全力で世に出ないよう止めたはずだ。
農業の話くらい多少間違っていたって別に、という見くびりが、そこには潜んでいないだろうか。
要するに、舐められているのではないだろうか。
バックラッシュを防ぐために
オーガニックの世界に様々な期待や幻想を抱いた結果、おかしな情報をそのまま信じてしまう人がいることまでは仕方がない。
だが生産、流通、小売、メディア、さらには行政や法律に至るまで、どの段階にも、これをフィルターする機能が担保されていない。
そういう状況を見かねて、個人名でリスクを引き受けて声をあげている松永さんも藤井さんも、どう考えても、責められる側ではないはずだ。
社会のなかで本来しかるべき責任を果たさなくてはいけないセクターはどこなのか、誰に対して問題解決を求める圧力をかけていくのが適切なのか。
その議論を置き去りにしたままで、専門家へのバックラッシュをこれ以上、大きな流れにしてはいけない。
松永さんや藤井さんの側に石が飛んでくるような世界を私は望まない。
※記事内容は全て筆者個人の見解です。筆者が所属する組織・団体等の見解を示すものでは一切ありません。
筆者 |