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Vol.5 彼女が野良発酵にハマった理由~後編~【不思議食品・沼物語】
科学的根拠のない、不思議なトンデモ健康法が発生する現象を観察するライター山田ノジルさんの連載コラム。前回、前々回に続き、Vol.5も、驚くべき言説で広まる不思議食品にハマった家族の悲喜劇を、物語の形式でお届けします。一家の運命はいかに。
※この物語は、フィクションです。実在の人物・団体・事件などとは関係ありません。また作中に登場する言説は現実に存在しますが、一般的な育児法・情報ではありません。
娘のアトピーが改善しないのは感謝不足!?
約1年にもおよぶ、早紀の発酵祭りは、突如として終わりを迎えた。
今日、夫の恭一は残業で遅くに帰ってきた。娘の美雪はぐっすり寝ている。早紀は温めなおした夕飯を並べ終えると、思い出したかのように市販のパック入り納豆を添えた。すぐに気づいた夫は、パッと目を輝かせ「タレつきぃ!」と声を上げる。「いつもの手作りもおいしいけど、やっぱりたま~にこの味が無性に食べたくなるんだよね」と言い訳のようにまくしたて、夢心地な表情で納豆をかきまぜている。そんな姿を眺めながら、早紀は久々に飲むビールのプルトップを開けた。
「美雪のアトピーがいつまでもよくならないのは、感謝の心が足りないからって言われて……」
堰を切ったように、早紀はこの間の出来事を話し始めた。
育児サークルの勉強会で発酵食品の素晴らしさを知り、そこからさらに開運発酵マイスターなる人物の発酵ワークショップにも通うようになったところまでは、恭一も把握している。早紀を失望させたのは、その後の出来事だ。徐々にワークショップの主催者が行っている個別セッションへも度々参加するようになり、発酵生活を続けても、美雪のアトピーが改善されないことを相談してきたという。
「実践しているのに、全然よくならない? 美雪ちゃんは、母乳を飲んでいないのも関係しているかもね。私が過去何百人も見てきた肌感では、人工乳で育った赤ちゃんって体が弱いのよ」
「発酵させているとき、ちゃんと菌に話しかけてる? 菌と気持を共鳴させることも、すごく大切なのよ。市販の発酵食品には本物じゃないものもたくさん含まれている。工業的に作られたものは、細胞が喜ばないから。本物って何かって? 考えないで、もっと感じて!」
「大手メーカーの液体粉せっけんで洗濯!? わたしのショップで、洗濯用の発酵液も売っているの、知ってるよね? どちらが環境にいいか、セミナーに参加していたらわかるでしょう。今が便利ならいいって利己的な考えも、子どもの体調に影響してくるんですよ。あなたはもっと、地球全体の事も考える姿勢が大切。まわりまわって、ようやく効果が表れるんです」
毎回そうしたご高説を賜りながら、作り方や食べさせるタイミング、あれこれ工夫しても、全然よくならない。よくならないどころか、肌がジュクジュクして悪化している感じさえする。そう訴えると「感謝の心が足りないから」と言われたのだという。
「結局、最後は精神論なの? それとも親の因果がどうこうって霊感商法? ツボも発酵も一緒くた? だったら免疫とか栄養とか、言わないで欲しいわよ」
恭一は「うん、うん」と頷きながらも、「いや、波動とか言ってる時点ではじめから気づけって」と苦笑している。
「でもまあ、塩麹のドレッシングは絶品だったよ。甘酒風呂は、ぜひ永久に封印してほしいけど(笑)」
そういってくれる恭一と、ふたりで力なく笑った。
取り戻した以前の日常
翌日からは、やるべきことが山積みだった。まずは美雪の皮膚科受診を再開し、キッチンからあふれ出て、リビングへも侵入しつつあったおびただしい数のペットボトルを処分した。そして家中を拭き掃除して、アルコール除菌。特殊清掃員かダンシャリストか。謎菌たちの立場からみれば、楽園を破壊しにきた災厄かもしれない。
ヨーグルトメーカーをジモティーに出そうとしていたら、「それくらいはいいのでは」と恭一に止められた。そもそも、衛生面さえ気を付けていれば、手作り発酵食品が悪いわけではない。過度な期待と、健康問題に素人が無責任なアドバイスをすること。考えの偏ったコミュニティと、安くはない金銭が伴うサービス。さらには資格商法や布教。そしてそれらに伴う、家族生活の制約が問題なのだ。高い勉強代だったという有り体な落としどころで自分を納得させるしかないが、今は美雪の体調を観察しつつ、少しずつ市販の駄菓子やキャラグッズなど、多くの子供が楽しむものに触れさせてあげたい。
夫に打ち明けられて初めて知ったことだが、実は恭一の母親も、マルチ商法に手を出していた過去があるという。子どもの頃家には市販の菓子がなく、おやつに食べてよしとされていたのは、母の手作りおやつだった。ペースト状のプルーンを練りこんだ謎の飴や、プロテインで作ったという、ボソボソしたおこしみたいなもの。それがいやで、食にこだわらなさそうな自分に好意を抱いて結婚を決めたようだ。
「自分ももっと積極的に育児に関わるべきだったし、何千万とマルチにつっこんだ自分の母親に比べれば、早紀の発酵活動がまだマシに思えてしまう。怪しいものへの耐性があるのも、いいのか悪いのか……」
恭一は早紀の発酵暮らしをそう振り返っている。
発酵沼にとどまる人々
朝方に目が覚めた早紀は、番茶をすすりながらスマホでぼんやりとSNSを眺めていた。
――ナツさん、また発酵投稿してる。
ナツさんは自然育児サークルで仲良くなり、共に開運発酵マイスターのワークショップに行ったママ友だ。発酵ワークショップで感銘を受け、120万円かけて認定講師の資格を取り、育児サークルでも小規模セミナーを開催したようだ。
早紀が「発酵生活をやめる」と正直に伝えたときも、事情は理解してくれた。今はたまに公園で会えば立ち話をする程度の距離感になっている。
「私たちのグループを嫌いになっても、発酵は嫌わないでください!」
某アイドルのモノマネをしながらそう訴えてくる楽しい人柄は変わらずで、距離が出来たことを少し寂しく感じた。でもきっと、これくらいがちょうどいい。同じコミュニティに属さなくなったせいか、いろいろなことを以前より赤裸々に報告しあえるようになった。
ナツの話によると、認定講師は発酵の技術を磨くよりも、感情に訴えかけるトークの仕方や、ブログの更新頻度がいかに大切かということ、自分のブランディング。認定講師の発信をシェアしあう義務、有名人との人脈づくり、コラボ企画で読者をシェアしあう努力……そうしたことばかりがレクチャーされ、さらに認定講師を名乗り続けるには毎年更新代がかかるという。そしてそれでも辞めないのは、HPに写真が載ってそれっぽい資格名が記されていることで、一部には、それなりの箔として通用するからだと。
その後発酵セミナーの認定講師たちは、SNSでたまにバズり、早紀の目にも飛び込んでくる。手作りへのこだわりを暴走させ「手作り目薬」なるものをアップして袋叩きにあっていたり、市販のベビーフードをディスって顰蹙を買ったり。SNSで見かけるばかりで、実社会で活躍している人は、ほとんど見かけない。
発酵ドリンクの株を分け合った「ご腸内」から発生した別グループでは、特殊な菌を配合した市販のサプリメントをバラし、発酵ドリンクに加えて増やして「マンモススムージー」として販売したことで、サプリメントのメーカーから訴えられていた。にもかかわらず、「アースマルシェ」みたいなネーミングのイベントでは、未だにほそぼそと販売されている。美雪と遊びに行った公園の一角でも見かけたが、売っている人たちは間違いなく善意からで、「いいものを広めたい」という気持が伝わってくる。だが、怪しいセミナーを体験してきた早紀は、その危うさを知っている。
いろいろと恨み言はあるけれど、子どものためにという気持から、発酵をはじめとする自然派育児に奮闘した時間そのものは、大切な思い出にしておきたい。昔の知り合いに会って引き止められないうちにと、その場をそっと離れた。芝生エリアにシートを広げ、美雪にお昼を食べさせなくては。今日は美雪が楽しみにしている、月に一度のハッピーセットの日だ。
筆者 |