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食の不安の受け皿としてのビジネス、その役割と責任:68杯目【渕上桂樹のバーカウンター】
安心して食べるということはとても大切なことなので、農薬や添加物、放射能など、たとえ安全性が担保されているものでも敏感に感じる人は少なくありません。そして、その要望に応えるビジネスもあります。自然派志向の食品を販売する会社などがそうです。先日、東京で開かれたオフ会ではそういう会社の社員さんと話す機会がありました。今回のコラムでは、そのとき感じたことを述べたいと思います。
とあるオフ会で自然派食品の社員と
オフ会には様々な職業の方が参加していました。農業関係者、公務員、フリーランス、ジャーナリスト、出版関係者、農産物のコンサルタントのようなお仕事、そして主婦などです。その中に、自然派志向の食品を販売する会社の社員さんも数名参加していました。その会社は、「より安全な食を提供」と謳い、農薬や食品添加物などをできるだけ使用しない方針で、東日本大震災のあとは放射能が心配な方のために西日本の野菜を多く販売していたことを私も知っていました。
農薬は否定せずも、不安に思う消費者のために
私は率直に尋ねてみました。「会社の人はやっぱり農薬を良くないと思っているんですか?」と。社員さんは「そういうわけではないですよ。農薬を否定するつもりはありません」と答えてくれました。また、東日本大震災のあと、福島から遠い西日本の野菜を扱っていたことについても「放射能の不安を煽るつもりはありません」と答えてくれました。
私はつい、「農薬を否定するつもりがないなら、ほんのりワルモノ扱いしなくていいんじゃないですか? 他のスーパーがそうしているように」と素直な気持ちを投げかけてみました。社員さんは「実は、そのあたりの表現は私も個人的には悩みながらやっている部分はあります」と誠実に話してくれました。その上で、「不安に思う消費者がいるので」と話してくれました。
すると、他の参加者の方が「不安の受け皿になっているのかな」と呟きました。その言葉に、場のみんなが頷き、「不安の受け皿なら社会的に大切な役割だ」という雰囲気になりました。
食の不安情報と反医療思想の果てに
そんな中、一人の主婦の方が口を開きました。「私の姉がまさにそうでした。結婚してしばらくして、食べ物が不安だと言うようになり、無農薬の野菜を買いたいと自然派食品を購入するようになりました。それからオーガニックのサークルに入り、次第に反ワクチンや反医療思想に傾倒していくようになりました。お金もずいぶん使ったようです」
場のみんなは静かにその話を聞いていました。彼女はこう続けました。「ご主人が病気を患ったときも、病院での治療を拒否して効果のわからない代替医療を選択して、病状は悪化して重大な後遺症が残りました。そんなこともあって、家族は本当に大変なことになりました。子供たちはワクチンを全く接種していないのですが、最近は成長してそのことに疑問を感じ始めています。『今からでもワクチンを打ちたいけど、お母さんがそれを知ったら大変だからどうしたらいいかな?』と相談されます。でも、姉とこの話をするとすごい剣幕で怒られるのでどうしたらいいかわからないのです。食べ物を不安に思うくらいならまだ良かったのですが、ここまでくるともうどうしようもありません」
その場にいた誰もが何の返事もできませんでした。食の不安情報と反医療思想はたしかによく一体化していて、反医療ビジネスが「安全・安心な無農薬!」を看板にしているケースは多く見られます。同様の相談は私も何度か受けたことがあるので、全国に多くあるのだと思います。
不安感情に寄り添うことの危うさ
私は社員さんにこう投げかけてみました。「不安を受け止めつつも、不安を解消することはできないんですか? 農薬を否定しないなら、たとえば農薬の安全性や大切さを発信することもできるのでは?」と。社員さんはこんな踏み込んだ話もしっかり聞いてくれて、「たしかにそうですね。ただ、自分では決められないことなので」と答えてくれました。この集まりに来てくれるくらいですから、私たちの考えも理解してくれている人なのだと思います。まずはそのことに感謝しないといけないと思います。そんな人に私は「じゃあAGRIFACTとコラボしましょうよ」などと言って困らせてしまったわけで、そこは反省する必要があります。
この会社の社員さんは、農薬を悪く思っているわけでも、不安を煽ろうとしているわけでもありません。会社の方針も踏まえたうえで、表現の仕方について悩みながらも、顧客の不安に誠実に向き合っている印象を受けました。ただ、不安を抱える消費者の気持ちに寄り添うあまり、「より安全」「できるだけ使用しない」という伝え方が、結果として「普通の食品は少し危ない」という印象を少しずつ強めてしまう可能性はあると思います。そして、そうした不安が徐々にエスカレートし、反医療思想など他の領域にまで広がってしまうリスクを、ビジネスとして認識しておく必要があるのではないでしょうか。
主婦の方の切実な話は、その危うさを静かに、しかし強く教えてくれました。食の不安から始まった選択が、家族の健康や子供たちの未来に深刻な影響を及ぼす事例は、残念ながら決して珍しくありません。そして、農産物販売の視点で言うと、安全を謳うのであれば科学的根拠をしっかり示し、「安全」と「安心」を曖昧にしない伝え方が求められます。これは自然派食品の会社だけが特別に負う責任ではなく、野菜を実際に作っているプロの人たちが日々当たり前に実践していることなのです。
不安の感情は敏感で、決して軽いものではありません。だから、寄り添う側の役割も責任も重いのです。
筆者渕上桂樹(ふちかみけいじゅ)(農家BAR NaYa/ナヤラジオ) |



