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第4回 原告の主張と敗訴の理由【ラウンドアップ米最高裁判決】
原告が訴え続けたテーマ
「EPA(米国環境保護庁)が安全と判断した農薬について、それでも企業責任を問うことはできるのか。」
これが今回の最高裁判決で、原告側が最後まで訴え続けたテーマだった。
原告側は、たとえEPAが発がん警告を求めていなくても、企業には独自に利用者へ警告する義務があり、それを怠った以上は州法に基づいて責任を負うべきだと主張した。
一方、最高裁は7対2でこの考え方を退けた。それは原告側の主張を軽視したからではない。「科学的根拠に基づく国のルール」と「州法による企業責任」が衝突した場合、どちらを優先すべきかという、より根本的な問題を判断したからである。
今回の最高裁判決に対し、最も多く聞かれた疑問がこれだった。ラウンドアップ訴訟では、長年にわたり「企業は発がんリスクを十分に警告しなかった」として、多くの原告が損害賠償を求めてきた。実際、陪審裁判では原告が勝訴し、巨額の賠償命令が相次いだ時期もある。それにもかかわらず、最高裁は7対2という大差でバイエルを支持した。それは、原告側の主張に合理性が全くなかったからではない。
最高裁が、それ以上に重視すべき法原則があると判断したからである。
シンプルな主張と原告側の法的ロジック
原告側の主張はシンプルだった
原告側が裁判で訴え続けたことは、一言で言えば「企業にはもっと警告する義務があった」ということである。EPAが発がん警告を義務付けていなくても、企業は独自の判断で利用者へ警告すべきだった。そして、その義務を怠った結果、利用者が健康被害を受けたのであれば、企業は州法に基づいて責任を負うべきだ。
これが原告側の一貫した主張だった。
その根底にある考え方は、「行政による規制」と「民事訴訟」は役割が違うというものである。EPAは社会全体に適用される最低限のルールを決める。
一方、裁判所は、個々の事件について企業が十分な注意義務を尽くしたかどうかを判断する。だからこそ、たとえEPAが農薬登録を認めていても、個別の被害については裁判所が企業責任を認定できる──。これが原告側の法的ロジックだった。
なぜ陪審は原告を支持してきたのか
実は、この考え方は決して特殊ではない。
ウンドアップ訴訟では、これまで複数の陪審が「警告義務違反」を認め、バイエル側に巨額の損害賠償を命じてきた。
陪審が重視したのは、「企業はより慎重に利用者へ情報提供すべきだったのではないか」という点である。つまり、陪審は科学論争そのものより、「企業責任」の観点から判断していたのである。
その意味では、原告側の主張にも一定の説得力があった。だからこそ、この問題は全米で十万件を超える訴訟へ発展し、州裁判所と連邦裁判所で判断が分かれる事態となった。
今回の判決で最高裁は、原告側の「被害者救済」の重要性を否定したわけではない。しかし、それ以上に重視したのは、連邦法に基づく全国共通の規制制度だった。判決は、「EPAが科学的審査を経て承認したラベルとは異なる警告を州法で義務付けることは、FIFRA(連邦農薬法)が禁じる『追加的または異なる表示義務』に当たる」と判断した。
メーカーはEPAの承認なしにラベルを変更することはできない。それにもかかわらず、州法で「別の警告を表示すべきだった」と責任を問われれば、企業は連邦法を守っても州法違反となり、州法を守ろうとすれば連邦法違反となる。
最高裁は、このような矛盾した法的義務を企業に課すことはできないと結論づけた。
つまり今回の判決は、「企業を守る判決」というより、全国共通の規制制度を守る判決だったのである。
少数意見は何を主張したのか
もっとも最高裁の裁判官全員がこの考え方に賛成したわけではない。ジャクソン判事とゴーサッチ判事は反対意見を表明した。反対意見は、EPAによる農薬登録と州法による損害賠償請求は、本来両立し得ると考えた。EPAが登録を認めたことは、その農薬を販売できることを意味するにすぎず、それだけで企業の民事責任まで免除したことにはならない。
企業には、行政が定める最低基準を満たすだけでなく、利用者に対して十分な警告を行う責任がある。もし企業がその義務を怠ったのであれば、州法に基づいて責任を問われる余地は残されるべきだ──。これが少数(反対)意見の基本的な考え方だった。
つまり、多数意見が「規制制度の統一」を重視したのに対し、少数意見は「被害者救済の機会」を重視したのである。
「企業免責」の判決ではない
今回の判決について、「最高裁は農薬メーカーを免責した」という受け止め方も見られる。しかし、それは正確ではない。
最高裁が判断したのは、「警告義務違反(Failure to Warn)」という一つの法的類型についてである。製品設計上の欠陥、製造上の過失、虚偽表示、不正行為など、別の法的論点による請求まで否定したわけではない。
また、これまでに成立した和解や確定判決が覆るわけでもない。今回の判決によって最も大きく変わるのは、今後の「警告義務違反」訴訟の取り扱いである。
今回の最高裁判決は、ラウンドアップをめぐる科学論争に決着を付けた判決ではない。一方で、「科学的評価を誰が行うのか」という点については、一つの明確な答えを示した。
それは、農薬の安全性評価は、専門機関が科学的データに基づいて判断し、その結果として定められた全国共通のルールを尊重すべきだという考え方である。
もちろん、科学は固定されたものではない。新たな知見が得られれば、EPAが登録内容を見直すこともあり得る。
しかし、その変更は科学的根拠に基づく行政手続によって行われるべきであり、州ごとの陪審評決によって左右されるべきではない──。
今回の最高裁判決は、その原則を改めて確認したものだった。
次回予告
連載最終回では、「日本はラウンドアップ最高裁判決から何を学ぶべきか」と題し、この判決を日本の農薬行政やリスクコミュニケーションの視点から考える。IARC評価をめぐる混乱、科学と世論の乖離、そして農業デマの拡散など、日本にも共通する課題を踏まえながら、この歴史的判決が投げかけた意味を考察する。
最終回へ続く〉〉
筆者浅川芳裕(農業ジャーナリスト、農業技術通信社顧問) |



