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Part2 有機農業が唯一の解決策ではない みんなが食べ続けていくために選択の自由を守る【食と農 安全・安心を考える】
まき散らされる「食の危険情報」。不安が煽られる。そんな時代のなかで 「リスクコミュニケーション」をいかにとっていくか。
私たちは、かつては「口」で食べ物を食べていた。その後「目」で食べる時代になり、現在は「頭」で食べている。それに伴い農家の役割も、以前のように国民のための食料生産から、消費者の「頭で食べる」欲求を満たすための農産物の生産に変わった。そのため農産物は、マーケティング優位で情報を添えて語られるようになった。
日本に暮らす私たちは、「生きるため」ではなく「楽しむため」に食べる豊かな生活を送ることができている。それにも関わらず、食に関する危険情報がインターネット上にはあふれ、不安に陥っている人が後を絶たない。選択肢が増え、豊かな時代になったのに、自らなぜ選択を狭めてしまう行動を取ってしまうのか? この状況に対して、私たちは何ができるのか?
座談会
唐木 英明氏 公益財団法人食の安全・安心財団理事長 東京大学名誉教授
森田 満樹氏 消費生活コンサルタント 一般社団法人Food Communication Compass(フーコム)代表
久松 達央氏 株式会社久松農園代表取締役
聞き手・まとめ 紀平 真理子
科学と社会の価値の橋渡し――科学者が果たすべき役割
紀平 インターネットでの情報で、食への不安が広がっている一つの理由として、科学と社会的価値が混同されていることも、正しい情報が伝わりにくい原因のように感じますがいかがでしょうか。EFSAのウール長官もグリホサートに関するアメリカの裁判について、「エビデンスにもとづく科学の領域と、価値にもとづく政治を区別していないことが間違い」とも述べています。
久松 一般の方が、食の安全情報を信じられないのは、科学や行政そのものが人々の信頼を勝ち得ていない背景もあると思います。科学的に間違った情報があふれている状況を、当の科学者は野放しにしていいのでしょうか。食の安全や農薬に関する怪しげなニセ情報に、科学者は反論しなくてはいけないのではないでしょうか。
唐木 科学者と技術者は違います。科学は「何かの役に立つ」といった価値とは無関係で、原理を調べます。新たな技術を開発してその社会的な価値を考えるのは、本来は技術者。ただ大学の先生はみんな自分を科学者だと思っていて、世俗のことには関わらないんです。そうなると技術者がきちんと発言しないといけませんが、中立の立場とみなされる技術者がいないことも問題です。やはり企業や政府に属していると、その発言が色眼鏡で見られてしまいます。
ではどうするか? 科学者が社会的な価値について発言しないといけませんが、そうする人は少ない。科学者としても、反省しなくてはいけません。私は科学の世界を飛び出して、新たな技術の価値についての発言を続けて叩かれてますが、もっとこのような人が多く出なくてはいけません。
「食の危険」に目が向く理由――変わった社会と変わらない人間
紀平 今までのお話から「食の安全」は科学により担保されているにも関わらず、食に関する不安情報や危険情報が、インターネットを中心に増え続け、不安に感じている人がいることがわかりました。なぜ人は「食の危険」に目が向くのでしょうか。
唐木 オーギュスト・コントの社会発展理論における三段階の法則(参照:図3)では、昔は神学(=想像)の世界でした。その後ギリシャ、ローマ時代に哲学(論理=法律)が作られ、産業革命以降にようやく科学(=実証)ができました。私たちは今科学の世界に暮らしているのですが、しかし人間の考え方や判断はまだ科学のレベルまで至っていません。想像の世界にとどまっているのです。
図3:オーギュスト・コントの社会発展論
出典:唐木英明氏作成
科学の社会になったことで、多くのことが変わっています。食品関係では、(1)リスク、(2)メディア、(3)価値判断の3つが大きく変わりました(参照:下段記事「食品をめぐる近年の状況変化」)。しかし人間の考え方は、まったく変わっていません。だから現在では「新しい社会と古い人間の調整」が必要です。
食品をめぐる近年の状況変化1、リスクの変化食品にするリスクは2種類ある(図4:参照)。古いリスクは食中毒など五感で感じられ確認が容易だった。しかし新しいリスクである添加物や残留農薬などの化学物質は、専門家が科学技術を使って確認するしか方法がない。誰を信じればいいのか? 危険だと思うしかない、という構造だ。危険情報に目を奪われるのは人間の本能として当たり前だが、何か利益があったら人間は危険情報を無視する。最大の課題は「自分なりの判断」をして、解決した体験の結果得られる「先入観」と自分の先入観とは異なる「確証バイアス」である。 2、メディアの変化新聞、テレビ、雑誌などの既存メディアとインターネットメディアの違い、これは公共の利益や社会正義を考慮して行なう編集(フィルター)の有無である(参照:図5)。増加するインターネットメディアでは、フェイクニュースや倫理観に欠けるものも含めてすべての情報を公開しており、情報混乱を引き起こしている。既存メディアはこれらの情報に対してファクトチェック等でフィルターをかけ 、一般人の情報選択や解釈を手伝う役割が期待される。 3、価値観の変化2016年のワードオブザイヤー(イギリスにおける日本の流行語大賞のようなもの)に選出された「脱真実(ポストゥルース)社会」という言葉が価値観の変化をしている。脱真実社会(ポストゥルース)とは、客観的な事実より、虚構であっても個人の感情に訴えるものの方が、世論形成に強い影響力をもつことを意味する。 〈脱真実社会の一例〉 ○「ワクチンと自閉症の相関を示す結果は報告されていません」(著名な小児神経外科医) ※上記の対話は、シャーロット著『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』(白揚社)より |
なぜリスクコミュニケーションが必要か――情報の量と質アンバランス是正
唐木 現在流通している情報を分析すると、安全情報が1に対して危険情報が9の状態です。情報量のアンバランスが非常に大きい状態。この状況を改善するのが、リスクコミュニケーション(注)の一つの役割ですが、それには資金と組織力が必要です。国が関与すれば早いのですが、私たちはないので知恵を使うしかありません。
紀平 量だけではなく、誰が発言するかも関係していますよね。例えば、専門家の解説より、一般市民の発言をメディアで取り上げた情報を信じる人が多くいます。
唐木 科学より物語を信じる。それが脱真実社会です。科学者は客観的に事実のみを伝え、物語は好まない傾向があります。そのため事実ではない物語情報が、インターネットメディアに拡散されたり、一般市民に信じられたりしてしまいます。そのような発言に対しても、リスクコミュニケーションをしなければいけません。
久松 たとえ科学的に正しくなくても、人が不安に思うことを他者が責めても意味がないと思います。電磁波が怖い人は、電子レンジを見るだけで頭が痛くなります。その頭痛を取り除いてあげたいのなら、それが現実的に物理空間で起きている現象であるかどうかとは別に、頭痛そのものは認めてあげなきゃ。つまらない何かに騙されているのかもしれませんが、思い込みによって頭痛は起きること自体は、生き物として普通のことです。
注:リスクコミュニケーションとは、社会を取り巻くリスクに関する正確な情報を、行政、専門家、企業、市民などの関係者で共有し、相互に意思疎通を図ることをいう。
伝えるメディアもシナリオありき――物語情報で強力なプロパガンダ
紀平 科学より物語を信じるといえば、ドキュメンタリー映画ですね。その影響を受け、ベジタリアンになる人がいるように、映画もまた何かに傾倒するきっかけになっていますね。農村部から遠く、農業に憧れがある都市部の若い人ほど影響を受けやすいと思っています。
唐木 映画の効果は大きいですよ。遺伝子組換え反対運動は、映画を効果的に使っています。それによって、反対意識を植えつけられた人もいます。
森田 Netflixでアメリカのドキュメンタリー映画を見られますが、作り方が上手ですよね。「夢」「自然」「安全なもの」「身体がよくなる個人の体験」の組み合わせ。映画の効果はすごい。対抗していかないと、ビジネスとお金が注ぎ込まれて、ますます強いプロパガンダが作られてしまいます。
久松 スポンサードされて発信している科学者を相手に、正当な科学者は価値に中立な立場を取るから戦っても勝てない。セラリーニ(注)のような科学者は、お金をもらって主張を広めています。消費者にはそれがわかりません。
森田 以前、ゲノム編集技術について取材を受けました。私は「ゲノム編集技術は持続的な農業を考えるうえでも、さまざまなメリットがある。外来遺伝子が入らなければ突然変異と同じであるが、リスクコミュニケーションが必要である」と話しましたが、結局、ゲノム編集技術に反対して強く規制を求めた消費者団体の意見が取り上げられました。
開発を進める研究者の意見とともに紹介されましたが、消費者は反対している、両論併記でいいとテレビ局は考えたのでしょうね。
唐木 シナリオベースで、それに合った発言しか取り上げない。危険情報は売れますからね。
注:ジル=エリック・セラリーニ、フランスのカーン大学教授。2012年2月に「GMO(ラウンドアップ耐性トウモロコシ)と、ラウンドアップによりラットの乳がんが増加した」という論文を発表し、同月にその宣伝映画である「世界が食べられなくなる日」の上映が開始された。その後論文中の実験内容が不十分だと判断され、ジャーナルへの掲載が撤回されたが、現在も反対運動の引用元に使用されている。
【part3へ続く】
※本記事は『農業経営者』2020年2月号より転載。この座談会は2019年12月に行なわれた。
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