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Vol.3 恐怖と不安を煽る「自然派ビジネス」の生物学【東大名誉教授 Dr. 唐木の生物学講義】
はじめに
日曜日の朝、柔らかな日差しが食卓を照らしています。キッチンでは、母親が「コープ自然派」から届いたばかりの箱を開けています。中には泥付きの有機野菜、添加物のない調味料、そして「国産小麦100%」と大きく書かれたパンが入っています。彼女はパッケージの裏を確認し、そこに「グリホサート不使用」のマークを見つけると、安堵の表情を浮かべます。
「やっぱり、ここの商品は安心ね。スーパーの安いパンなんて、怖くて子供には食べさせられないわ」
そうつぶやきながら、朝食の支度を始めます。彼女の心の中には、ある「物語」が定着しています。それは、スーパーやコンビニは危険な毒で満ちており、コープ自然派という聖域だけが、自分と家族の健康を守ってくれるという物語です。しかし、その安心は本当に科学的なものなのでしょうか? 巧妙に作られた「恐怖」の裏返しではないでしょうか?
コープ自然派のチラシやウェブサイトを見ると、グリホサートは単なる農薬ではなく、あたかも人類を滅ぼす「悪魔」のように描かれています。「発がん性」「発達障害の原因」「腸内細菌を破壊する」「欧米では禁止されているのに日本だけが緩い」……。これらの言葉は私たちの感情を強く揺さぶります。特に、小さな子どもを持つお母さんにとって、「子どもの発達に影響する」という言葉は、理屈抜きで恐怖を感じます。コープ自然派は、その恐怖心に寄り添うようにして、「だから私たちはグリホサートを排除します」「検査体制を強化しました」と宣言します。
グリホサートを危険とする根拠は、主に以下の二つの事実です。WHOの専門機関であるIARC(国際がん研究機関)が、グリホサートを「発がん性の恐れがある物質」に指定したこと。米国で、グリホサートを使用してがんになったと訴える人々が裁判を起こし、製造販売企業に対して巨額の賠償命令が出たこと。
一見すると、これらは反論の余地がない強力な証拠に見えます。「世界的な権威が危険だと認め、裁判所もそれを認めた」のですから、これを信じるのは当然です。しかし、物事には必ず「表」と「裏」があります。そしてこの件に関しては、その「裏」にこそ、驚くべき事実が隠されています。これからお話しするのは、その「隠された事実」です。それは、科学データの書き換え疑惑、ビジネスのために国際機関を動かす法律事務所、そしてコープ自然派自身が抱える、説明のつかない巨大な矛盾についての物語です。
第1章 グリホサートとは何か?
1.1 奇跡の除草剤
批判の対象となっているグリホサートですが、それは世界中で広く使われている除草剤「ラウンドアップ」の主成分です。それでは、ラウンドアップは、なぜこれほど広く使われているのでしょうか? それを知ることが、この問題を冷静に考えるための第一歩です。以下、商品名の「ラウンドアップ」ではなく成分名の「グリホサート」と記載します。
グリホサートは、1970年代にアメリカのモンサント社(現在はドイツのバイエル社が買収)によって開発されました。その最大の特徴は、植物だけが持っている酵素である「シキミ酸経路」の働きを止めることで、草を枯らすという点です。ここが重要なポイントです。人間や動物には、この「シキミ酸経路」という仕組みが存在しません。したがって、グリホサートは人間に対して毒性を発揮しようがないのです。この画期的な安全性から、グリホサートは「世紀の発明」とも呼ばれ、世界中の農業を変えました。
1.2 環境への意外なメリット
「農薬=環境破壊」というイメージがありますが、グリホサートには環境に優しい側面もあります。それは「不耕起栽培」を可能にしたことです。雑草を取り除くために、トラクターで何度も畑の土を掘り返す必要があります。そして土を掘り返すと、土壌が流出しやすくなり、地中の炭素が空気中に放出されて、地球温暖化の原因にもなります。グリホサートを使えば、土を掘り返さずに雑草だけを枯らすことができるため、土壌を守り、トラクターの燃料も削減でき、温暖化対策になるのです。コープ自然派の「自然派」という名前からは、環境保護への強い意志が感じられます。しかし、皮肉なことに、彼らが敵視するグリホサートを排除し、昔ながらの耕す農業に戻ることは、土壌流出やCO2排出のリスクを高めることにもつながりかねないのです。
1.3 「残留」という名の亡霊
コープ自然派が特に問題視しているのが、輸入小麦などに含まれる「残留農薬」です。彼らは、パンや麺類から微量のグリホサートが検出されることをもって、「毒が入っている」と主張します。しかし、毒性学の父と呼ばれるパラケルススは言いました。「すべてのものは毒であり、毒でないものはない。量だけが毒となす」。
水でさえ、一度に10リットル飲めば水中毒で死にます。塩もコップ一杯飲めば死にます。逆に、猛毒とされるボツリヌス毒素も、極微量であればシワ取りの美容医療(ボトックス)に使われます。日本の食品安全委員会や世界の規制機関が定めた「残留基準値」は、動物実験で全く影響が出なかった無毒性量の、さらに100分の1といった極めて安全なレベルに設定されています。コープ自然派が「検出された!」と騒いでいる量は、この安全基準値を下回っているのです。もし基準値を超えた食品が見つかれば、それは法律違反ですから、直ちに回収・廃棄になります。「基準値以下でも、長期的に摂取したらどうなるか分からない!」と彼らは反論するかもしれません。しかし、その「将来の不安」に対して、世界の科学者たちは膨大なデータを積み重ねて、「心配ない」という結論を出しているのです。
第2章 歪められたIARCの評価
コープ自然派の主張の最大の拠り所である「国際がん研究機関IARC」。彼らは2015年にグリホサートを「ヒトに対しておそらく発がん性があるグループ2A」に分類しました。この発表が、世界中を巻き込む大騒動の引き金となりました。しかし、このIARCの評価プロセスそのものに、深刻な疑惑があることをご存じでしょうか? 日本のメディアやコープ自然派はほとんど触れませんが、海外では「IARCゲート」とも呼ばれる一大スキャンダルとなっています。
2.1 ロイター記者が見た「消された真実」
2017年、ロイター通信の敏腕記者、ケイト・ケランド氏は、衝撃的なスクープ記事を発表しました。彼女は、IARCがグリホサートの評価をまとめた報告書「モノグラフ112」の「草案」を入手することに成功し、それを最終的に公表された報告書と比較したのです。すると、そこには信じがたい痕跡が残されていました。
草案の段階では、動物実験の結果について「発がん性は認められなかった」と明確に書かれていた箇所がいくつもありました。しかし、最終版では、その記述が削除されたり、あるいは真逆の「発がん性の証拠がある」という表現に書き換えられたりしていたのです。その変更箇所は、少なくとも10カ所に及びました。例えば、あるマウスの研究では、実験を行った病理学者が「腫瘍は見られなかった」と結論づけていたにもかかわらず、IARCの最終報告書ではそのコメントが削除され、統計的に意味のないわずかな変化を無理やり「がんの兆候」として解釈していました。
ケランド記者が「誰が、なぜ、この変更を行ったのか?」とIARCに問い合わせても、彼らは「守秘義務」を盾に回答を拒否しました。科学の世界において、都合の悪いデータを隠したり、結論を後から書き換えたりすることは、最も恥ずべき行為の一つです。それが、IARCで行われていた疑いがあるのです。
2.2 隠された決定的証拠
さらに疑惑は深まります。当時、IARCの評価部会の議長を務めていたアーロン・ブレア博士という人物がいます。彼は、アメリカ国立がん研究所の研究者でもありました。ブレア博士は、当時進行中だった「農業健康調査」という大規模な疫学調査のデータを持っていました。この調査は、実際に農薬を使用している数万人の農業従事者を長期間追跡したもので、グリホサートの安全性に関して最も信頼性の高いデータとされていました。その最新の解析結果では、「グリホサートの使用とがんの一種である非ホジキンリンパ腫との間に関連はない」という明確な結論が出ていました。
しかし、ブレア博士はこの極めて重要なデータを、IARCの会議に提出しませんでした。理由は「まだ正式に論文として出版されていないから」というものでした。しかし、IARCのルールでは、出版前のデータでも検討することは可能でした。もし、この「がんとの関連なし」という大規模データが会議のテーブルに載っていれば、グリホサートが「グループ2A」に分類されることはまずなかったことを、後にブレア博士自身が認めています。議長であるブレア博士が、「何らかの目的」のために、意図的に情報を隠したのではないかという疑惑。これが「IARCゲート」の核心の一つです。
2.3 「リスクモンガー」が暴いた利益相反
この疑惑には、もう一人重要な登場人物がいます。クリストファー・ポルティエ氏です。彼は、IARCのグリホサート評価会議に、唯一の「招待専門家」として参加しました。彼は投票権こそ持っていませんでしたが、議論をリードし、グリホサートを有害とする結論へ強く誘導した中心人物と言われています。ブリュッセルを拠点に活動する研究者デビッド・ザルック氏、通称リスクモンガー氏は、ポルティエ氏の背景を徹底的に調査しました。そして、驚愕の事実を突き止めました。
ポルティエ氏は、IARCの会議に参加したのとほぼ同時期に、米国の法律事務所と密かに契約を結んでいました。その法律事務所とは、後に述べる「ラウンドアップ訴訟」で、モンサント社を訴える原告側の弁護団でした。つまり、こういう構図です。
ポルティエ氏がIARCに入り込み、ブレア博士と協力して、「発がん性がないグリホサート」に対して「発がん性あり」という評価を「強引に」出す。IARCのお墨付きが出た直後、弁護士たちはそれを根拠にモンサント社を訴える。ポルティエ氏は、その訴訟の「コンサルタント」として、弁護士事務所から少なくとも16万ドル(約2000万円以上)の報酬を受け取る。巨額の賠償金の支払い命令を勝ち取った弁護士事務所は多大の収入を得る。
これは科学的な評価プロセスへの「汚染」以外の何物でもありません。中立であるべき国際機関の評価が、訴訟ビジネスのために利用された疑惑があるのです。リスクモンガー氏はこの構造を激しく批判し、「科学に対する背信行為」と断じました。
コープ自然派は、IARCの評価を「絶対的な真実」として崇めています。しかし、その評価が、データの隠蔽や書き換え、そして裏で動く巨額のマネーによって歪められていたとしたら? 彼らの主張の土台は、脆くも崩れ去ることになります。
第3章 世界から孤立するIARC「発がん性」評価
コープ自然派の資料は、「世界中でグリホサートの危険性が認められ、規制が進んでいる」という印象を強調しています。しかし、事実は全く異なります。IARC以外の世界の主要な規制機関は、すべて「グリホサートは安全である」という結論で一致しているのです。
3.1 世界の規制機関の声
各国の代表的な機関の見解を整理してみましょう。国連機関であるJMPR (FAO/WHO合同残留農薬専門家会議)は「発がん性のリスクは考えにくく、食事からの摂取でがんになる可能性はない」と断定。EFSA (欧州食品安全機関)は、「発がん性や遺伝毒性を示す証拠はなく、IARCの評価は限られたデータに基づいており、より包括的な評価を行った結果では、安全性は揺るがない」と報告。ECHA (欧州化学品庁)は「科学的な証拠に基づけば、発がん性物質としての分類は正当化されず、発がん性表示は不要」と結論。EPA (米国環境保護庁)は、「発がん性があるとは考えられず、発がん性を警告ラベルは虚偽にあたる」として、警告ラベルを義務化したカリフォルニア州に対して警告。日本の食品安全委員会は、「発がん性、神経毒性、繁殖能への影響は認められず、動物実験等の詳細な評価の結果、通常の使用でヒトへの健康影響はない」と報告。PMRA (カナダ保健省)は、「ヒトの健康に対するリスクは懸念されない」と発表しています。このように、まさにIARC は世界で孤立しているのです。なぜ、これほどの食い違いが生まれたのでしょうか?
3.2 「ハザード」と「リスク」の決定的な違い
食い違いの最大の原因は、すでに述べたように、IARCの評価に不正があった可能性です。もう一つの理由は、IARCが行っているのは「ハザード評価」であり、その他の機関が行っているのは「リスク評価」という違いです。この二つは似て非なるものです。ハザード(有害性)とは、その物質が、どんな条件であれ(たとえ現実離れした大量摂取であっても)、害を及ぼす「能力」を持っているかどうかですが、リスク(危険性)とは、私たちが普段の生活で実際に摂取する量で、害が出る「確率」がどれくらいあるかです。
分かりやすい例え話をしましょう。「ライオン」は人間を殺す能力を持っています。つまり、ライオンは「ハザード(有害)」です。しかし、動物園の檻の中にいるライオンは、私たちを襲うことができません。つまり、動物園にいる限り、ライオンの「リスク」はほぼゼロです。IARCは「ライオンには人を殺す能力があるから危険だ!」と叫んでいるのですが、各国の規制機関は「檻(使用基準や残留基準)に入っているから、私たちにとって危険はない」と判断しているのです。
コープ自然派は、この「ハザード」と「リスク」を意図的に、あるいは無知ゆえに混同させ、「ライオンが街に放たれた!」かのように消費者を脅かしているのです。
第4章 アメリカの法廷という劇場
コープ自然派がもう一つの根拠とする「アメリカの裁判」の実態はどうなっているのでしょう。「モンサントに数千億円の賠償命令!」「裁判所が発がん性を認めた!」というニュースは、確かにセンセーショナルでした。しかし、ここでも「法的な勝利」と「科学的な真実」を混同してはいけません。
4.1 陪審員裁判の罠
アメリカの民事訴訟、特に「不法行為」に関する裁判は、科学者ではなく一般市民から選ばれた陪審員によって裁かれます。想像してみてください。法廷には、末期がんを患い、余命いくばくもない患者が原告として登場します。その横には、雄弁な弁護士が立ち、こう訴えかけます。
「巨大企業モンサントは、自社製品に発がん性の疑いがあることを知りながら、それを隠して利益を貪り、この哀れな被害者に警告すらしなかった!」
一方、被告企業(バイエル/モンサント)側は、大量の科学論文や統計データを持ち出し、「統計学的に有意差はなく……」「疫学調査では……」と難解な説明を繰り返します。
感情を持った人間である陪審員が、どちらに共感するかは明らかです。アメリカの裁判における巨額の賠償金は、科学的な事実認定ではなく、巨大企業に対する「懲罰」や、被害者への「同情」から導き出されることが多いのです。
4.2 争点は「警告表示」
裁判の争点は、実は「グリホサートががんの原因であると科学的に証明されたか」ではありません。「企業が発がん性の『リスク』があることを知りながら、ラベル表示で消費者に『警告』を怠ったかどうか」が問われているのです。もちろん政府機関であるEPA(環境保護庁)は、「グリホサートには発がん性がないのだから、ラベル表示は不要」としています。ところが、カリフォルニア州は「ラベル表示が必要」という独自の法律を作っていたのです。これに対してEPAは、「発がん性がない製品に『発がん性あり』という警告ラベルを貼ることは、虚偽表示にあたり違法である」と明言しています。
そのような中で、原告側の弁護士は、IARCの「発がん性」評価や、モンサント・ペーパーと呼ばれる社内メールの一部を切り取って、「企業はリスクを知っていたのに隠した」という物語を作り上げました。陪審員はこれを信じて、「企業は警告を怠った」として有罪評決を下したのです。つまり、判決は「グリホサートには発がん性がある」という科学的真理を確定したものではなく、「疑いがあるなら表示すべきだった」という法的判断に過ぎません。
4.3 潮目の変化とバイエルの逆襲
しかし、最近になって風向きが変わりつつあります。バイエル社が裁判で連勝し始めているのです。その鍵となっているのが「連邦法の優先」という法理です。連邦政府機関であるEPAは、「グリホサートには発がん性がない」と断定し、「発がん性がない製品に『発がん性あり』という警告ラベルを貼ることは、虚偽表示にあたり違法である」とまで明言しています。
バイエル側の主張はこうです。「連邦政府であるEPAが『ラベルを貼るな』と命じているのに、州の裁判所が『ラベルを貼らなかったから有罪』とするのは矛盾している。連邦法は州法に優先するはずだ」。この主張は極めて論理的であり、一部の控訴審や州裁判所で認められ始めています。現在、その判断は最高裁に移っていますが、もしこの理屈が最高裁で確定すれば、現在行われている多くの裁判が、一斉に終了する可能性があります。
コープ自然派は、初期の「メーカー敗訴」のニュースは大きく取り上げますが、最近の「メーカー勝訴」のニュースや、その背後にある「EPAの強力な安全性支持」については、組合員にほとんど伝えていません。これは情報の「つまみ食い」と言わざるを得ません。
第5章 ベーコンとハムとソーセージの矛盾
コープ自然派がいかに「IARCの評価」を絶対視し、それを根拠にグリホサートを攻撃している状況を見てきました。「WHOの専門機関が『おそらく発がん性があるグループ2A』と言ったのだから、排除するのは当然だ」という論理です。ならば、ここでコープ自然派に問わなければならない、致命的な矛盾があります。
5.1 IARCの発がん性リスト
IARCの発がん性分類リストを、確認してみましょう。「ヒトに対して発がん性があるグループ1」には、ハム、ソーセージ、ベーコンなどの加工肉、アルコール、太陽光、タバコ、アスベストがあります。「ヒトに対しておそらく発がん性があるグループ2A」には、グリホサートのほかに、赤肉(牛・豚・羊の肉)、熱い飲み物(65℃以上)などがあります。驚くべきことに、私たちの食卓に並ぶベーコン、ハム、ソーセージなどは、タバコやアスベストと同じ、最高ランクの「グループ1」に分類されているのです。IARCは、「毎日50グラムの加工肉を食べると、大腸がんのリスクが18%増加する」と具体的な数字まで挙げて警告しています。さらに、「牛や豚などの赤肉」そのものも、グリホサートと同じ「グループ2A」に分類されています。
5.2 コープ自然派のカタログにあるもの
では、コープ自然派のカタログを開いてみましょう。そこには何が載っているでしょうか?「自然派Style ポークウインナー」、「自然派Style バラベーコンスライス」、「放牧豚のロースハム」、「産直牛のステーキ肉」、美味しそうな写真と共に、これらの商品が大きく掲載されています。そこには「無塩せき(発色剤不使用)」というアピールはありますが、「IARCにより発がん性が指摘されています」という警告文は一切ありません。さらに、「自然派Style 有機純米料理酒」まで販売しています。これは一体どういうことでしょうか?
グリホサートは世界の規制機関が安全を確認しています。このグリホサートに対して、「発がん性がある!排除せよ!」とヒステリックに叫び、不買運動まで展開する一方で、IARCが明確に「発がん性あり」と判定した「グループ1」の加工肉と、グリホサートと同じ「グループ2A」の赤肉に対しては、「安心・安全・美味しい」と言って積極的に販売し、子どもたちに食べることを推奨しているのです。さらに、「グループ1」の酒まで販売しているのです。
5.3 ダブルスタンダードの正体
もしコープ自然派が、「IARCの評価に従って、わずかでも発がん性のリスクがあるものは排除する」という高潔な原則を持っているのであれば、論理的には以下の措置を取らなければなりません。
- ハム・ソーセージ・ベーコン、酒の販売を即刻中止する(グリホサートより危険なランクなのだから当然です)。
- 精肉パックに「発がん性の恐れあり」のシールを貼るか、販売を取りやめる(グリホサートと同じランクなのだから当然です)。
しかし、それをしていせん。なぜなら、それをすれば「商売にならない」からです。組合員はハムやソーセージやベーコンが大好きですし、美味しいお肉を食べたいと思い、たまには酒も飲みたいと思っています。それらを「発がん性物質」として売り場から撤去すれば、客はいなくなるでしょう。
一方で、グリホサートはどうでしょうか? 消費者の目には見えません。味がするわけでもありません。そして何より、「農薬=悪」というイメージはすでに定着しています。だから、グリホサートを攻撃することは、誰の機嫌も損ねず、むしろ「私たちのために戦ってくれている」というヒーロー像を演出し、組合員の結束を強めるのに最適な材料なのです。この矛盾こそが、コープ自然派の活動が「純粋な科学的リスク管理」ではなく、「都合の良いデータだけを利用した販売戦略」であることを雄弁に物語っています。彼らは科学を尊重しているのではなく、科学を「つまみ食い」しているだけなのです。
第6章 「正義」の暴走と消費者の不利益
6.1 善意が生む学校給食の混乱
コープ自然派の活動は、店舗だけにとどまりません。彼らは「食の安全を守る」という名目のもと、政治的な活動にも力を入れています。その最たる例が、学校給食への介入です。コープ自然派の会員や関連団体は、地方議会に対して「学校給食のパンからグリホサートを排除せよ、輸入小麦を使うな」という請願を繰り返しています。請願書には、目を疑うような文言が並んでいます。
「グリホサートは腸内細菌を減少させ、子供の免疫力を低下させる。だから新型コロナウイルスにもかかりやすくなる」
ここまで来ると、もはやオカルトの領域です。グリホサートが腸内細菌に与える影響については、通常の食事摂取レベルでは無視できるというのが科学的な見解です。ましてや、コロナウイルス感染との関連など、科学的根拠のかけらもありません。しかし、子どもの健康を心配する保護者にとって、こうした「もっともらしい脅し」は効果てきめんです。結果として、自治体は高価な国産小麦への切り替えを迫られたり、不要な検査予算を組まされます。そのコストは、回り回って給食費の値上げや、税金の投入という形で住民全体に跳ね返ってきます。
6.2 農家を苦しめる「無農薬」の圧力
「グリホサートを使わない」ということは、農家にとって何を意味するのでしょうか? それは、炎天下での過酷な草刈り作業の復活を意味します。除草剤を使えば数時間で終わる作業が、草刈り機や手作業では何日もかかります。高齢化が進む日本の農業現場において、これは死活問題です。コープ自然派は「生産者と共に」というスローガンを掲げていますが、科学的に安全性が確認されているグリホサートを一方的に「毒」と決めつけ、それを使わないことを強要するのは、本当に生産者のためになっているのでしょうか?
結果として生産コストは上がり、その分は商品価格に上乗せされます。コープ自然派の商品の値段が高いのは、「品質が良いから」だけではありません。「非効率な作り方を強いているから」という側面も否定できないのです。
6.3 不安ビジネスに惑わされる消費者
すると、最大の被害者は、皮肉なことにコープ自然派を信じている組合員自身かもしれません。それは、「安全」を買っているつもりで、実は「煽られた不安を鎮めるためのコスト」を払い続けているからです。本来、スーパーで売られている食品は極めて安全です。厳しい残留農薬基準があり、それをクリアしたものしか流通していません。それを食べて健康を害することなど、まずあり得ません。
しかし、コープ自然派の情報を真に受けると、世界が一変します。「あのパンも、この野菜も、全部毒まみれだ」という強迫観念に囚われます。コンビニのおにぎりを買うことにも罪悪感を持ち、外食も楽しめなくなります。そうやって生活の選択肢を狭め、常に「毒」の影に怯えながら生きること。それこそが、化学物質の微量な残留などよりもはるかに大きな「健康被害」ではないでしょうか。
おわりに
長い話の終わりに、もう一度、日曜日の食卓を思い出してください。コープ自然派のパンを食べるお母さんの笑顔。それは尊いものです。しかし、その笑顔が「根拠のない恐怖」の上に成り立っているとしたら、それはとても悲しいことです。
コープ自然派は、ビジネスとして「恐怖」を利用しています。彼らは「安全」を売っているのではなく、「安心」という名の「感情商品」を売っています。そして、その商品を高く売るためには、一般市場の商品がいかに危険であるかを宣伝し続ける必要があるのです。これを「不安ビジネス」あるいは「恐怖ビジネス」と呼びます。ここではコープ自然派を代表例として取り上げましたが、よく似た例は多くのビジネスで見られます。
私たちは、食事をもっと自由に、もっと楽しく選ぶ権利があります。「これを食べたらがんになるかも」と怯えながら食べる無添加のパンより、「日本の基準は厳しいから大丈夫、美味しいね」と笑って食べる街のパン屋さんのクロワッサンの方が、心にも体にも優しいはずです。
「IARCを信じるなら、どうしてこのソーセージには発がん性の警告ラベルがないの?」このシンプルな問いこそが、「作られた恐怖」の魔法を解く鍵になるはずです。真の「食の安全」とは、ゼロリスクを追い求めることではなく、科学的な常識を持って、情報の真偽を見極める力のことなのです。
編集部註:この記事は、唐木英明氏のnote『東大名誉教授の生物学講義』 2026年1月30日の記事を許可を得て、一部編集の上、転載させていただきました。オリジナルをお読みになりたい方は『東大名誉教授の生物学講義』をご覧ください。
筆者唐木英明(食の信頼向上をめざす会代表、東京大学名誉教授) |



