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ゲノム編集食品の展望と課題【「ゲノム編集食品」として初めて届け出されたゲノム編集トマトのこれからを占う】

特集

DNAの狙った場所を変異させるゲノム編集技術による食品として、ゲノム編集トマトが国内で初めて届出を行なった。原理は突然変異育種と同じで、個体の中で自分の遺伝子を変異させるため、異種の遺伝子を組み入れることはない。異種を組み入れることが多い遺伝子組換え技術とはその点が異なる。したがって、ゲノム編集でできた食品は一般社会で抵抗が少ないことが期待されるが、果たしてどうなることか。今回は、ゲノム編集トマトの開発と周辺事情の両面から未来に迫ることにした。


ゲノム編集技術を応用した国産初のトマトがいよいよ今年5月に登場する。果たして消費者は受け入れるのだろうか。初動でつまづけば、次に控えているゲノム編集食品が世に出ることはなくなる。それだけに国産第一号のゲノム編集トマトの行方は極めて重要である。その成否を占うカギが何かを考えてみた。

「苗の無料配布」で驚きの戦略

2020年12月、筑波大学発のベンチャー企業「サナテックシード」(東京都港区)と筑波大学は、ゲノム編集技術で誕生したトマトの販売・流通を厚生労働省と農林水産省に届け出た。このトマトは、血圧を下げ、心をリラックスさせる成分の「ガンマ-アミノ酪酸」(アミノ酸の一種で「ギャバ」と呼ぶ)を多く含む。商品名は「シシリアンルージュハイギャバ」。ゲノム編集食品の国産第一号である。

会見でサナテックシード社の竹下達夫会長は「インターネットでの申し込みを通じて、苗を無料で希望者に配る」という驚きの戦略を公表した。

通常の野菜であれば、生産者が種子を買って栽培し、その収穫物であるトマトが店舗で販売されるという流れになるが、このゲノム編集トマトでは、まず「消費者が家庭菜園で育てて体験する」というマーケティング手法が採用された。共同通信社は会見の最中に「苗の無料配布」を速報で伝えた。苗の無料配布はそれくらい大きなインパクトを持つ戦略だった。

その狙いはずばり当たった。すでに5000人を超える申し込みがあるという。私の予想をはるかに超える人気ぶりだ。しかし、まだ消費者の栽培が始まったわけではない。通常の商品なら、事前に人気があれば、市場に登場した段階で確実に売れるだろうが、このトマトは特殊な作物である。事前の人気だけでは今後を予測することは難しい。

遺伝子組換え作物は受難の歴史

なぜかといえば、遺伝子組換え食品の苦い歴史があるからだ。

GM作物の輸入は1996年に始まったが、すぐさま反対運動が起きた。同年には愛知県農業総合試験場が米国の旧モンサント社(現在はドイツのバイエル社に併合)と共同でGM大豆を研究開発しようとしたが、市民団体の強い反対に遭い、3年後にはあっけなく研究が中止になった。研究開発自体が反対され、市民団体の勝利に終わるという結末だった。

さらに、2000年には米国から輸入された飼料用トウモロコシから未承認のGMコーンが見つかり、イメージは一気に悪化した。当時、私は毎日新聞社生活報道部で記者をしていたが、反対する市民団体は一気呵成に責め立てていた。

自治体が市民運動を後押し

そういう状況の中、市民の気持ち、感情に敏感な地方の自治体が次々にGM作物の栽培を実質的に禁止する条例を制定し始めた。2005年に北海道を皮切りに、岩手、宮城、新潟など、GM作物の栽培を実質的に禁止する条例が全国の自治体に広がったのだ。

もちろん、GM作物を日本でも栽培しようとした生産者たちもいた。その代表的存在である「バイオ作物懇話会」は、除草剤をまいても枯れないGM大豆を栽培したいとの願いから、茨城県などで試験栽培を試みていた。ところが、茨城県内の畑が反対派によってショベルカーでつぶされ、栽培しようとする農家の活動は息の根を止められてしまった。

通常なら、仮に私が勝手に他人の畑に侵入して作物を根こそぎつぶせば、刑事事件になり、逮捕されるはずだ。ところが、市民運動が畑をつぶしても、罪を問われなかった。この事件を契機に農家の積極的な動きはほぼ止まった。希望も消えた。

「組換えではない」表示で消費者は洗脳

一方、農林水産省は家畜が食べる飼料用のイネなら、なんとか受け入れられるとみて、GMイネの栽培計画を立てていた。だが、2009年に旧民主党政権が誕生し、計画はすべて白紙に戻った。結局、日本はただ単にGM作物を輸入するだけの国になった。

そして現在、スーパーに行けば、「遺伝子組換えではありません」との表示ばかりが目につくようになった。毎日のように「組換えではない」との表示を見て買い物をすれば、知らず知らずのうちに消費者は「組換え作物は危ないもの」とのイメージを刷り込まれていくだろう。「組換えではない」との表示は消費者をすっかり洗脳したのである。

その結果、日本に輸入されるGM作物(大豆、トウモロコシ、ナタネ、綿)は、表示義務のない食用油、家畜の飼料、清涼飲料の甘味料という目に見えない用途に使われるという悲劇が生まれた。

ゲノム編集食品とGM作物の違いを判定

では、こうしたGM作物の苦い歴史に対して、ゲノム編集食品は、どのように評価したらよいのだろうか。

そこで、消費者に受け入れられるかどうかの判定基準を10項目にまとめ、GM作物とゲノム編集食品を比べてみた(表1参照)。大きな違いが分かるはずだ。現時点では、ゲノム編集食品へのイメージは、GM作物と比べれば、格段によいことが分かる。

表1:ゲノム編集食品とGM作物の違い

注1: 〇印は社会的受容度が高い。▽はどちらとも言えない。×は受け入れが難しい。
注2: GM作物は受難の歴史。初期から反対運動が強く、公的機関の試験も順調に進まなかった。研究自体への風当たりも強かった。訴訟もあった。自治体は条例で禁止。政権交代に不運もあった。
注3:内閣府の戦略的イノベーション創造プログラム

その大きな違いを主に三つ挙げてみる。

まず一つ目は、ゲノム編集食品への表立った反対運動がほとんどないことだ。ごく一部の市民団体がサナテックシード社のビル前でデモをやったりしているが、ニュースにはなっていない。

二つ目は、GM作物は海外の巨大企業が開発・導入したのに対し、ゲノム編集食品は大学や公的機関の研究者が担い手になっていることだ。相手が外資系巨大企業だと「巨大企業の種子支配に反対しよう」と反対しやすいが、純粋な研究心に燃える日本の学者に向かって、「日本の研究者による研究開発に反対だ」とは言いにくい。

三つ目は、GM作物が農薬や労力の削減など生産者へのメリットしか見えなかったのに対し、ゲノム編集食品は消費者へのメリットが目に見えて分かることだ。

こうした消費者のメリットをうたう点はゲノム編集食品に共通する特徴である。すでに国内では、「毒のないジャガイモ」「肉厚のタイ」「高収量のイネ」「(養殖場の網に激突しにくい)おとなしい性格のマグロ」「(花粉症を防ぐ)花粉のないスギ」などが誕生している。国産のゲノム編集食品はいわば研究者の夢が詰まった日本の知的財産である。

農林水産省が多額の予算を投入し、世界に通用する国産ゲノム食品の普及を後押ししている点もGM作物と違って、支援材料となっている。

これらの強み、魅力を消費者に訴えていけば、GM作物のような悪夢は避けられるはずだと私は見ている。

分かりやすい伝え方も必要

とはいえ、ゲノム編集とはどういうものかを分かりやすく伝えていくことも社会的受容には必須である。ゲノムとは、生命の設計図ともいえる全遺伝情報のことだ。ゲノム編集は、読んで字のごとく、生物が持っている遺伝子を効率よく編集(書き換える)する技術だ。

2020年、ノーベル化学賞を受賞した米国とフランスの2人の女性科学者が2012年に発表した「クリスパーキャス9」という手法がゲノム編集技術の代表的な存在だ。ガイド役の分子(クリスパー)が狙った遺伝子のところへ案内し、キャス9(タンパク質)というハサミ酵素がその狙った部分を切断して、動植物に新たな性質(ゲノム編集トマトの場合はガンマ-アミノ酪酸を増やすこと)をもたらすという技術だ。扱いやすく、世界で一気に普及した。ゲノム編集トマトもこの技術で誕生した。

安全性の審査と表示の義務は不要

ゲノム編集食品の最大の特徴は、外部から遺伝子を組み入れていないことだ。ゲノム編集トマトでいえば、もともとトマト自身が持っている遺伝子の組み合わせを変えただけである。

実は、生物自身が持っている遺伝子の組み合わせの変化(突然変異)は、自然界でもごく普通に生じている。太陽光線や宇宙線(放射線)によっても、また人が意図的に放射線を当てたり、化学薬品を与えても、突然変異は起きる。

たとえば、市販されているコメのミルキークイーンは、人が化学薬品で意図的に突然変異を生じさせて誕生した品種である。食べて危ないかと言えば、そんなことはない。

この説明で分かるように、ゲノム編集は、従来の品種改良と変わらない。このため、遺伝子組換え作物と異なり、あえて安全性を審査する必要はないと国は判断した。一方、表示に関しても、従来の品種改良による遺伝子の変異と区別がつかないため、義務化は見送られた。仮に表示を法律で義務づけても、それが嘘の表示かどうかを確かめる方法がなく、取り締まりができないという理由からだ。

事前相談で安全性を確認

では、規制が全くないかというと、そうではない。国は開発者に対して、事前相談と任意の届出を求めている。ゲノム編集トマトの場合、国と企業、学者の間で研究データの精査を兼ねて事前相談が行なわれ、実質的には国が「アレルギーなど有害な物質が生じていない」など安全性を確認している。このことは意外に報道されていないが、重要な点だ。

こうしたハードルを経て登場したのが、ゲノム編集トマトである。その大きな特色は、通常のトマトに比べて、血圧を下げる成分が4~5倍も多いことだ。毎日、2粒程度の小さなトマトを食べるだけで、血圧を下げる効果が期待できる。同トマトを研究開発した江面浩・筑波大学教授は「世界には高血圧による疾患が多い。このトマトは人々の健康向上に貢献できる」と夢を語る。

流通事業者を味方につけることが必須

こうしてみると、ゲノム編集トマトの成否は、苗を栽培した消費者の反応がよいかどうかにかかっている。サナテックシードは苗を栽培するモニターに意見を聴くようだが、モニター以外にゲノム編集トマトのメリットをメディアに語ってくれる「アンバサダー」を任命すべきだと考える。タレントや料理研究家、マスコミの記者、理科の得意な高校生や大学生、野菜に関心の高いブロガーなど、メディアの取材を気楽に受けるアンバサダーが10人いれば、メディアを通じて、よいイメージが作られていくだろう。

もうひとつ、ゲノム編集トマトを販売してくれる流通業者を必ず事前に確保しておくことも絶対に欠かせない。ハワイで流通するパパイヤの約8割はGMだが、日本への輸出はほぼゼロだ。日本のスーパーが反対運動を恐れて扱わないからだ。店に置いてあれば、誰かは買うから、販売店の確保は盲点になっていないか、気になるところだ。

表示に関しては、サナテックシード社は「『ゲノム編集トマト』だと分かる表示ラベル(写真)をつけて販売する」と言っている。こうした消費者の選択に配慮した販売戦略はとても評価できる。

要は、消費者が受け入れてくれそうな空気が醸成されれば、農家は安心してトマトを栽培できる。農家への種子販売は今年夏~秋になりそうだ。今後は、メディアを通じて、消費者の反響をいかによく見せるかの演出力が最も問われそうだ。

※『農業経営者』2021年4月号特集「『ゲノム編集食品』として初めて届け出されたゲノム編集トマトのこれからを占う」を転載(一部再編集)

 

筆者

小島正美(「食品安全情報ネットワーク」共同代表)

 

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