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Vol.1 これでいいの? 有機給食の生物学【東大名誉教授 Dr. 唐木の生物学講義】

東大名誉教授 Dr.唐木の生物学講義

はじめに

有機農産物(オーガニック)とは、化学農薬と化学肥料を原則として使用せずに栽培された、遺伝子組換えではない農産物です。その安全性と栄養価は、多くの研究によって、慣行栽培の農産物と変わりがないことが分かっています。それでは有機農産物のメリットは何でしょうか。それは、化学農薬と化学肥料を使用しないことによる環境負荷の低減、生物多様性の保全、そして土壌劣化の防止といった、環境保護のメリットです。他方、遺伝子組換えの禁止は「安全」のためではなく、「安心」のためです。

農林水産省の調査では、そのような有機農産物を年に一度でも給食に利用した自治体は278 市区町村、全国1,740市区町村の16%に相当します。その背景にあるのが、給食とは一見無関係の、「みどりの食料システム戦略(みどりの戦略)」です。2021年に、環境問題の解決を旗印に制定されたこの国の方針は、2050年までに化学農薬の使用量を50%低減し、化学肥料の使用量を30%低減すると同時に、有機農業の取組面積を耕地全体の25%に当たる100万ヘクタールに拡大するという野心的な目標を掲げています。なぜみどりの戦略と学校給食が結びついたのでしょうか。それは子どもにとってどのような意味を持つのでしょうか。そこには「目的のためには手段を選ばない」という大きな問題が存在します。

第1章 「肥料ショック」という日本の脆弱性

政府が急激に、そして強引に「減化学肥料」を叫び始めたのは、環境意識の高まりといった理由より、もっと差し迫った「肥料が入ってこない」という現実があります。日本の農業は、その生命線である肥料原料のほぼすべてを輸入に依存しています。この構造的な脆弱性は、まさに日本の安全保障上の「アキレス腱」と言っても過言ではありません。

肥料の三要素である窒素、リン酸、カリウム。これらは日本ではほとんど産出されません。食卓に並ぶ野菜や米は、実質的に海外の鉱物資源によって育てられているのです。2022年のロシアのウクライナ侵攻は、この危うい均衡を崩し、世界の肥料市場を未曾有の大混乱に陥れました。世界最大級の肥料輸出国であるロシアとベラルーシからの供給が、制裁や物流の混乱によって滞り、世界的な価格高騰と供給不安を招いたのです。

さらに深刻なのが、最大の肥料供給源の一つである中国の動向です。中国政府は、リン酸や尿素の事実上の輸出禁止措置を断続的に発動し、これが日本にとっては「兵糧攻め」に等しい打撃となっています。こうして日本の肥料価格は一時期、平年の1.5倍から2倍、品目によってはそれ以上にまで跳ね上がり、農業現場では「金を出しても肥料が買えない」という悲鳴が上がりました。

「みどりの戦略」において化学肥料の低減が掲げられた真の理由は、まさにここにあります。政府が恐れているのは、地球環境の悪化よりも、台湾有事のような地政学的リスクが現実化し、海上交通が封鎖されれば、日本の農業が即座に壊滅するというシナリオです。つまり、政府が急ぐ「化学肥料の低減」とは、環境にやさしい社会を目指す以前に、「輸入肥料が途絶えても国民を飢えさせないための国家防衛策」なのです。具体的には、下水汚泥や家畜排せつ物を堆肥として利用し、輸入化学肥料を代替すること、そして過剰な化学肥料の使用を見直すことが計画されているのです。

第2章「有機拡大」の役割

一方、「有機農業の拡大」という目標は、縮小する国内市場に見切りをつけ、海外市場へ活路を見出すための「産業政策」です。政府は2030年に農林水産物・食品の輸出額を5兆円とする目標を掲げています。しかし、主要な輸出先であるEUや米国では、環境や人権に配慮した製品でなければ市場から排除されます。これはいわゆる「非関税障壁」として機能し、日本の農産物がどれほど高品質でおいしくても、有機認証などがなければ、現地の高級小売店やレストランのサプライチェーンに入ることができません。

みどりの食料システム戦略の数値目標は、EUの「農場から食卓まで」戦略のコピーです。もし日本の目標がEUより低ければ、日本は「環境後進国」と見なされ、国際競争力を失う恐れがあります。ということは、「有機農業の拡大」は、日本の有機農産物をEUに輸出するための「パスポート」なのです。

「有機農業25%」という目標を達成するには、生産された有機農産物を消費する巨大な市場が不可欠です。大きな成功を収めているのが緑茶で、他の野菜や果物では全体の1%をはるかに下回る量しかないのに比べて、6.6%が有機です。通常の緑茶に比べて、価格が1.5倍から3倍もする有機緑茶の生産が伸びている理由は、国内だけでなく、欧米をはじめとする海外市場への輸出の道を開いたからです。他方、緑茶以外の有機農産物の生産が低迷している理由は、長引くデフレと実質賃金の低下により消費者は価格に敏感で、高価な有機野菜を日常的に購入できる層が限られていることです。そこで目を付けられたのが学校給食です。

学校給食は、自治体や教育委員会が食材の調達先やメニューを決定でき、子どもたちに選択権はありません。つまり、行政の一存で、確実に一定量の有機農産物を消費してくれる「安定した巨大な販路」を強制的に作り出せるのです。これを「官製需要」と呼びます。本来、給食は「安価で栄養バランスの取れた、安全な食事」をすべての子どもに提供する場であるはずが、いつの間にか「有機農業振興のための出口戦略」にすり替わり、価格競争力のない農産物の「最終処分場」になろうとしているのです。

第3章 予算のゼロサムゲームと質の低下

有機食材は、手間がかかる分、慣行栽培の食材に比べて1.5倍から2倍、あるいはそれ以上の価格になります。しかし、自治体の給食予算や、保護者が負担する給食費には限りがあります。限られた予算の中で、単価の高い有機野菜を使おうとすれば、どうなるでしょう。当然、どこかを削らなければ収支が合いません。東京都品川区のように、潤沢な予算で差額を全額補填し、無償化とセットで進めることができるリッチな自治体もありますが、その原資は結局のところ区民の税金です。その税金を、あえて高コストで供給不安定な有機食材に使うことが、調理員の待遇改善や、より栄養価の高い食材の確保、あるいは食育指導員の配置よりも優先されるべきでしょうか。費用対効果の検証は置き去りにされたまま、「有機=善」というイメージだけで突き進んでいるのが現状です。

高温多湿な日本において、農薬を使わずに害虫を防除することは至難の業です。そのシワ寄せは有機給食の調理現場を直撃しています。宮城県仙台市では、年間で200件を超える異物混入が発覚し、その中には虫などが含まれていました。奈良県奈良市では、減農薬米を導入した給食で、ご飯にコクゾウムシなどが混入する事案が発生、市内7校に影響が及び、大量の廃棄と保護者への謝罪に追い込まれました。「有機給食先進地」を目指している茨城県つくば市では、小中学校4校で、和え物にカメムシ、スープにアブラムシが混入する事案が発生しています。

「安心・安全」を謳って導入されたはずの有機給食から、虫が出てくる。これは感受性の強い子どもたちにとって、トラウマです。「農薬を使っていない安全の証拠だから、虫を取り除いて食べなさい」などと言ったところで、虫の入ったスープを喜んで飲む子どもがどれだけいるでしょうか。むしろ、野菜や給食そのものを嫌いになってしまう可能性があります。

調理現場で、虫を一匹残らず取り除くために洗浄回数を増やせば、水の使用量は増え、作業時間は延び、野菜の栄養価や風味は損なわれます。現場の調理員は、虫を見落とせばクレームの嵐となるプレッシャーの中で、疲弊します。有機給食の推進は、皮肉にも「衛生管理の崩壊」と「給食嫌い」を生み出し、「食育の敗北」に繋がるのが現実です。

第4章 「農薬は毒」の裏にある「堆肥のリスク」

有機農業で利用する、家畜ふん堆肥が「未熟」、つまり発酵が不十分な状態であれば、そこには腸管出血性大腸菌O157やサルモネラ菌といった、命に関わる病原菌が生き残る可能性があります。これらが野菜に付着し、それを生で食べた場合、深刻な食中毒を引き起こします。この懸念が現実になったのが、2018年に発生した食中毒事件です。埼玉県、東京都、茨城県、福島県の高齢者施設や飲食店で、O157による食中毒が相次いで発生し、被害者は20名を超え、死者も出る惨事となりました。原因は葉物野菜「サンチュ」で、堆肥から汚染した可能性が強く示唆されました。加熱をしないサラダなどで有機野菜を使用することは、集団給食に「致死的なリスク」を持ち込むことになるのです。

残留農薬の基準値は、一生食べ続けても健康に影響がないレベルに厳格に設定され、急性中毒を起こすことはありません。一方で、O157はわずか100個程度の菌数でも、子どもや高齢者を死に至らしめることがあります。「微量の残留農薬のリスク」よりも「病原微生物のリスク」の方がはるかに即効性で致命的であることは無視できない事実なのです。

有機給食は、子どもたちの価値観や社会性に影響を与えます。「有機給食がいい」と教える行為は、裏を返せば「有機ではない慣行栽培の野菜は、安全ではない」というメッセージを刷り込むことになります。日本の食卓の99%以上を支えているのは、農薬や化学肥料を適正に使用し、安定生産に努めている慣行農家です。学校教育の場で「農薬は悪」というイデオロギー教育が行われれば、農家自体が「毒を作っている」かのような歪んだ視線を向けられ、地域社会に無用な分断と対立を生みかねません。

第5章 遺伝子組換えとゲノム編集の問題

さらに問題は続きます。それは、有機給食が遺伝子組換えに対する誤解を子どもたちに植え付ける可能性です。日本は遺伝子組換え作物の安全性を認めて、栽培を許可しています。しかし、反対の声があるため、商業栽培はしていません。ところが、食料の自給率が低く国民の需要を満たすことができないため、海外から遺伝子組換え作物を多量に輸入して、食用油脂や家畜飼料に利用しています。このような事実とその根拠を、子どもたちに正しく伝えることが重要なのですが、有機給食の推進が科学的に間違った「遺伝子組換え危険論」につながることが懸念されます。

おわりに

世界の飢餓人口は6.7億人と言われています。この問題を解決するのは、収量が少なく価格が高い有機農産物ではありません。有機農産物は、有名ブランドの高級バッグと似た存在で、環境意識と収入が高い一部の消費者のためであり、環境とビジネスのための存在価値が認められています。またみどりの戦略の「2050年までに有機25%」という目標は、国家安全保障や産業政策の理念としては一定の合理性を持ちます。一部の消費者の要求に応えるため、あるいは輸出拡大のために有機農業は必要です。だからと言って、有機農産物を学校給食という「逃げ場のない場所」に政策的に押し付ける手法は、子どもの利益、安全性、経済合理性、農業の持続可能性のいずれの観点からも、大きな問題があると言わざるを得ません。深刻な問題は、有機給食を推進している人たちが、当然のことながら、それが子どもたちに「良いこと」と信じていることです。そしてその根拠は、農水省がこの動きを全面的に支持し、予算面で支援していることです。有機給食に向けた農水省の「正しい」説明が求められます。

編集部註:この記事は、唐木英明氏のnote『東大名誉教授の生物学講義』 2026年1月22日の記事を許可を得て、一部編集の上、転載させていただきました。オリジナルをお読みになりたい方は『東大名誉教授の生物学講義』をご覧ください。

 

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筆者

唐木英明(食の信頼向上をめざす会代表、東京大学名誉教授)

 

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