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第5回 日本はこの判決から何を学ぶべきか──科学・規制・農業デマへの教訓【ラウンドアップ米最高裁判決】
「米国の最高裁判決だから、日本には関係ない」
そう考える人も少なくないだろう。しかし、それは大きな誤解である。
今回の判決が投げかけたのは、「ラウンドアップは安全か危険か」という個別の問題ではない。「科学的根拠に基づいて規制当局が安全と判断した製品について、社会はその判断をどこまで信頼するのか」という問いである。
これは、日本にもそのまま当てはまる。
除草剤ラウンドアップをめぐる議論では、日本でも長年にわたり、「世界では禁止されている」「発がん性がある」「危険な農薬だ」といった情報がインターネットやSNSで繰り返し拡散されてきた。
しかし、日本の農薬登録制度では、食品安全委員会や農林水産省、厚生労働省が科学的データを評価したうえで登録の可否を判断している。
この規制システムはEPA(米国環境保護庁)と基本的には同じ。もちろん、科学は絶対ではない。新しい知見が得られれば、評価は更新される。だからこそ、農薬行政では一度登録した農薬についても、定期的に再評価を行う。
重要なのは、科学的知見が更新されたから評価が変わるのであって、世論やイメージによって安全性評価が変わるわけではないということである。
「IARCだけ」を見てはいけない理由
ラウンドアップ論争では、2015年にWHOの外部研究機関である国際がん研究機関(IARC)が除草剤ラウンドアップの有効成分グリホサートを「ヒトに対しておそらく発がん性がある」(グループ2A)」と分類したことが、大きな転換点となった。
この評価だけが独り歩きし、「WHOが危険と言っている農薬」というイメージが世界中に広がった。
一方、EPAをはじめ、欧州食品安全機関(EFSA)、欧州化学品庁(ECHA)、カナダ、オーストラリア、日本など、多くの規制当局は膨大な科学的データを再評価した結果、「適正に使用すれば発がんリスクは認められない」と結論付けている。
つまり、世界の規制当局の評価は「発がん性なし」で概ね一致している。
にもかかわらず、「IARCの評価だけ」が繰り返し引用されることで、「世界の科学は割れている」という誤解が生まれてきた。
アグリファクトでもこれまでに繰り返し取り上げてきたように、この問題は単なる科学論争ではない。科学的評価をどのように社会へ伝えるかという、リスクコミュニケーションの問題でもあるのだ。
科学・規制・司法、それぞれの役割
今回の米最高裁判決を一言で表せば、「科学・規制・司法、それぞれの役割を整理した判決」といえる。
科学は、実験や疫学研究などの客観的データを積み重ね、安全性を評価する。規制当局は、その科学的知見をもとに、社会全体に適用されるルールを定める。
一方、司法は、そのルールの下で個別の紛争を解決する。本来、この三者は互いに補完し合う関係にある。しかし、ラウンドアップ訴訟では、その境界線が曖昧になった。
陪審は個別事件の判断を超え、事実上、EPAが科学的審査を経て定めた全国共通の表示ルールを書き換える役割を担った。それに対して最高裁は、司法の役割を超えていると判断したのである。
日本でも問われる「科学を信頼できる社会」
日本でも近年、農薬だけでなく、食品添加物、ゲノム編集、ワクチンなどをめぐって、科学的評価と社会的イメージが乖離する事例が少なくない。
インターネットやSNSでは、「危険だ!」「大変だ!」など不安をあおる情報ほど拡散されやすい。
一方で、規制当局がどのような科学的根拠に基づいて判断しているのかは、十分に伝わっているとは言い難い。その結果、「危険であることが証明されていないだけではないか」「専門家も信用できない」といった不信感が生まれ、科学的評価そのものが疑われる構図が繰り返されている。
しかし、科学的評価は、多数決や印象で決まるものではない。新たな科学的知見が得られれば見直される一方、現行の知見が変わらない限り、評価も変わらない。今回の最高裁判決は、その当たり前の原則を、法制度の面から改めて確認したともいえる。
ラウンドアップ裁判が残したもの
ラウンドアップ訴訟は、一企業を相手にした巨額訴訟として語られることが多い。しかし、その本質は、ラウンドアップという一つの農薬を超えたところにある。
- 科学に基づく規制を社会はどこまで尊重するのか。
- 行政と司法は、それぞれどこまで踏み込むべきなのか。
- そして、科学的事実と社会的イメージが対立したとき、私たちは何を判断の拠り所とすべきなのか。
米最高裁が示した答えは明快だった。科学的知見は、専門機関による透明な評価と手続を通じて社会のルールとなり、そのルールは州ごとの陪審評決によって容易に覆されるべきではない。
もちろん、この判決によってラウンドアップをめぐる議論が終わるわけではない。科学は今後も新たな知見を積み重ね、規制当局も必要に応じて評価を見直していくだろう。
しかし、その見直しは科学によって行われるべきであり、イメージや感情によって左右されるべきではない。今回の最高裁判決は、その原則を改めて社会に問い掛けた歴史的判決だったのである。
次回予告
最高裁判決によって、ラウンドアップ訴訟は本当に終わったのか。
第6回は「最高裁判決で訴訟は終わるのか──集団訴訟6万件超のゆくえ」と題し、既に成立した和解、係争中の訴訟、そしてバイエルが進める残存訴訟の整理戦略など、「判決後の法廷」で実際に何が起きているのかを詳しく解説する。
第6回へ続く〉〉
筆者浅川芳裕(農業ジャーナリスト、農業技術通信社顧問) |



