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Vol.9 彼女がマルチ食品を食べる理由~後編~ 【不思議食品・沼物語】

コラム・マンガ

科学的根拠のない、不思議なトンデモ健康法を取り巻く現象を観察するライター山田ノジルさんの連載コラム。今回の3回シリーズは、ネットワークビジネスで出回る食品にハマった女性たちの悲喜劇を、物語の形式でお届けします。マルチ食品にはまった母親の遥に平穏な日々は訪れるのでしょうか。
※この物語は、フィクションです。実在の人物・団体・事件などとは関係ありません。また作中に登場する言説は現実に存在しますが、一般的な健康情報ではなく、マルチ商法を推奨する意図もありません。

ママ友の勧誘者がマルチ商法の新会社を立ち上げ

「今月までなら特別に第1期メンバーに登録できるから。こんなチャンス滅多にないわよ」

ママ友の貴子さんが、新たなネットワークビジネス、すなわちマルチ商法の会社を立ち上げるのだと熱量の高いラインを送ってくる。

子供の幼稚園を通じて仲良くなった貴子に手作り味噌のワークショップへ誘われて、遥がマルチ商法の会員となったのはもうずいぶん昔の話だ。目標とする夢などはなかったが、親しくしていた彼女の売上に貢献できるならと、長年プロテインやフルーツエキスを購入して、それらを活用した料理を楽しんでいた。ところが、急に貴子が脱会したという。そのマルチ商法の会社は、マルチの中では優等生的存在だと言われていたが、何かトラブルがあったようで業務停止命令を出されてしまったのだ。

すると貴子は断捨離するかのごとく手元の在庫を格安処分し、サクッと脱退した。それなりの地位にいたように思えたのに、その行動力と決断力。スピード感ある動きに、圧倒される。LINEではその経緯も説明されており、先に脱会していた仲間と新たなネットワークビジネスを始めるのだという。前から準備は整っていて、抜けるタイミングが来るのを待っていたのかもしれない。

次はどこそこの大学で研究されている、まだ世に知られていないアンチエイジング素材を使った美容ドリンクを主力商品にした会社なのだとか。

「子供も大学を出たことだし、そろそろ私たちも老後の資金を本格的に準備しなくちゃね」

「人生100年時代というけれど、インナーケアをしっかりして健康寿命も延ばさないと」

「これからは予防医学の時代!」

「今までは私から商品を買うだけだったけど、ずっともったいないと思っていたのよね。遥さんは、絶対才能ある。次は美容商品だから、説得力もあるわよ。あなたキレイだもの」

「お金、健康だけじゃなくて人脈という財産を、子どもに残すこともできるから最幸のビジネスだと思う」

こんな誘い文句のおまけのように、第1期のメンバーはバックマージンの割合が高く、幹部は身内同然の仲なので厳しいノルマはないと、特典の説明が延々と続く。

なんとまあ、マルチの海を上手に泳ぐ人なのか。彼女はきっと一般的な仕事だったとしても、飛びぬけた成果を出せる人だろうなと感心する。それと同時に、自分は貴子のようなエネルギーも稼ごうという情熱も持っていないことを、改めて思い知る。どうせ買うなら、彼女の利益になるものを。家族の健康を考えた料理を。そんな動機だったから。

カフェでマルチ仲間との愚痴り合い

コロナ禍の不安から健康を意識する人が増え、健康食品を扱うマルチ業界全体の業績は悪くないという。とはいえ、マルチ商法は基本的に風当たりが強い。マルチはマルチでも、うちのマルチはきれいなマルチ。一部の会員が暴走して目立っているだけ。そう信じていても、マルチというだけで距離を置かれることにも、少し疲れてきたところだった。

新規参入は断り、貴子がいなくなったことで、遥も果物エキスのマルチ会社から退会した。

もうひとつ、長年マルチ系アロマにハマっていたママ友が、肝臓を悪くして入院したという話にもジワジワと怖さを感じていた。自分が長年取り入れていたプロテインや果物エキスとは別モノとはいえ、トータルの摂取量を考えると、偏りがあったかも、過剰だったかもと不安になってくる。

そんな近況報告をする相手は、子供の学校の保護者としてつながるママ友、愛子だ。彼女は別のマルチ商法会社の会員で、長年アロエジュースを愛用している。業務停止命令のニュースを目にしたからか、久しぶりにお茶に誘われた。

「ハナちゃんのお母さん、入院ですって? 心配ね。子どもたちが小学校の頃、私たちも一緒になって、溶かしたチョコにオレンジのアロマたらせば高級チョコの味! とかやってたわよね……」

「アロマ入りの手作りドレッシングもよくいただいてたわ。医療グレードだからこのアロマは食べても問題ない!って言ってたけど、やっぱり量が多かったのかしら。彼女の入院、アロマが直接の原因じゃないといいわね。ハナちゃんも心配だわ。私のアロエとか、おたくの果物エキスとかは、一般的な食べものだからまだ安心だけど」

長年それぞれの会社の健康食品をふんだんに摂取してきた自分たちも、実は体に負担がかかっているかもしれない。そんな不安を飲み込んで「私たちのは一般的な食材だから大丈夫!」と励まし合った。健康不安もあるが、長年資金をつぎ込んだものを否定するのは辛いことだからだ。

現在子どもたちは皆、社会人だ。世間を知って知識もボキャブラリーも親を上回った女子たちのツッコミは、今や誰よりも厳しい。マルチ会食品への不満も度々ぶつけられる。その愚痴を共有できるのも、違う会社といえどマルチ仲間ならではだった。

「うちの娘ったら昨日もこんなこと言うのよ。勧誘活動しないなら必要ないのに、毎食毎食デモンストレーション級のうんちくが鬱陶しかったって。栄養とか安全とかより、ごはんはおいしいかどうかで食べたい、ですって」

「大きな病気もしないで大きくなったのは、その食事のおかげかもしれないのにねえ。体は、食べたものでできているんだから。うちの子も、妊娠中からアロエドリンク飲んで、念願のアロエベビーで産んだから、成績優秀で大企業にも入れた部分があると思うのよ。なのにコレ言うと、アロエのおかげじゃなくて私の努力なの! だって」

「アロエベビー」とは、アロエジュースの栄養を母体経由で受け取った赤ちゃんが「優秀で育てやすい子になる」というマルチコミュニティの謳い文句だ。遥にそれを信じることはできないが、きっと自分の知らないエビデンスがあるのだろうと思い、突っ込むことはしない。それぞれが勉強してきたことを尊重しあうのは、このコミュニティのお作法だ。ひと段落した子育ても含め、お互いの健闘をたたえあった。愛子はいまが商機だと、まだまだマルチを続けるという。帰り際は「いつものだけどよかったら」とアロエジュースの1リットルボトルを手土産に渡された。

束の間肩の荷を下ろす

カフェにいる間、遥のスマホは一度も通知音が鳴らなかった。マルチ料理をSNSにアップしていた頃は、同じグループの仲間からセミナーなどの情報がひっきりなしに来て、ピコンピコンピコンと1日中煩いくらいだったのに。いつも強調されていた「ご縁」は、退会した瞬間に蒸発するのだろうか。

そういえば、ケチャップとシャンプーを切らしていた。家に向かう途中で買い物を思い出し、近所にあるが今までほぼ利用したことのない業務スーパーへ寄ってみた。すると、こんなに安く買えるんだ……と驚く。と同時に、信頼できるのか? 添加物や農薬は? という不安な気持も湧き上がる。今まで買っていたマルチ会社の食品は、それがいかに素晴らしく、安全安心かが十分にプレゼンされていた。それに引き換え、市販の激安商品は誰も「体にいい」と断言してくれない。それらを使うことに、不安と罪悪感がとまらない。

長年いろいろなセミナーで健康情報をインプットしたせいか、知人が病気を患えば「そういえばあそこの家、浄水器をつけていなかった」と考えてしまうし、落ち着きのない小さな子供を見かけると「栄養不足」なんて思ってしまう。

スーパーで商品のラベルを眺めながら、今までマルチのセミナーでインプットした情報がぐるぐる頭を駆け巡る。勉強すればするほど、何が正しいのかよくわからなくなる。これまでいかに勉強しているという安心感と、力強く断言してくれるリーダーについていけばいい心地よさに浸かっていたかが身に沁みる。各種商品が少々割高だったのは、品質のよさだけでなく、そうしたものの値段だったのかもしれない。

一般的にも「買い物は投票だ」と言われているけれど、何かを吟味して選ぶのはとても大変だ。いっそ自給自足の暮らしを目指すか。いや、そもそもどうして自分ひとりだけが、家族の健康と空腹を心配しているんだろう。肩に食い込むアロエジュース入りエコバックも何もかも、放り出してしまいたくなる。

食事は栄養だけではない。文化や思想も一緒に食べている。家に着き(ケチャップとシャンプーは結局買わなかった)、長年一生懸命作ってSNSにアップしてきたマルチ料理の写真を眺めながら、ぼんやりと「だったら私は何を食べてきたんだろう?」と考える。家族の健康を支えるという使命感、仲間と真実の食文化を開拓しているという夢、共感。そしてこれを食べないと病気になるという恐怖も、とびきりの調味料だ。

そんなことをママ友たちに吐き出せば、その不安もまた上手に料理されてしまいそうだ。
とりあえずしばらくは、料理に振り回されたくない。定期便の宅配食が注文できるサイトを、片っ端からブックマークした。もしかしたら、また別のマルチ食品に手を出すかもしれない。先のことはわからないが、しばらくはそんな食生活を送ってみてもいいだろう。台所はピカピカのまま「今日の夕食コレ」と出された宅配弁当を見て、「へえ、珍しい」と家族が笑った。

~前編はこちら~

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