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第46回 有機農業の歴史と、汚泥肥料のある未来【分断をこえてゆけ 有機と慣行の向こう側】

コラム・マンガ

首都圏土壌医の会が主催した、下水汚泥についての研修会に参加することができた。
ゲストスピーカーに国交省担当者と東京農業大学の後藤逸男名誉教授を迎え、司会進行は久松農園の久松達央さんが務めた。

下水汚泥には、窒素やリンも大量に含まれているため、有効に再利用すれば、輸入依存が問題となっている農業用肥料として国内で循環させることができる。

久松さんは下水汚泥を「宝の山」「未利用資源の本丸」と表現するが、その大半はコンクリに混ぜられるか埋め立てられていて、肥料利用等の割合は約14%に過ぎない。
食料安保や資源循環型社会の重要性がこれだけ叫ばれているにもかかわらず、汚泥に含まれる窒素やリンのほとんどが無駄になっているのが現状だ。

普及が進まない背景にはインフラや技術面の障壁に加え、下水汚泥という言葉のイメージ、事業排水に含まれる重金属のリスクを不安視する声、さらにはそうした課題に向き合うことを避けてきた国や行政の消極的な姿勢がある。

汚泥利活用の価値と課題が紐解かれるなか、後藤教授からは日本の有機農業を「有機物活用型農業」と呼び替えてはどうかという提案もあった。

現状では、汚泥肥料の製造には化学的処理が必要なため、有機JAS認証を受けることができない。
だが、持続可能な資源循環型社会を実現していくためにはより大局的な視点から有機農業の定義を拡大し、汚泥肥料を使えるようにして、その上で「みどりの食料システム戦略」に含めて支援していくべきではないかということだ。

重要な問題提起だと感じる一方で、有機農業の定義を広げるという方法については、あまり前向きな気持ちにはなれなかった。
その理由を考えてみようと思う。

原理主義と市場化のはざまで

有機農業の歴史は、常に原理主義と市場化の相剋にさらされてきた。

現在、国内で販売される農産物に有機(オーガニック)と表示するためには、原則的には有機JAS認証を取得する必要がある。
だが実は、有機JASに対して複雑な思いを抱く生産者は少なくない。

日本の有機農業運動は、戦後農業の過度な近代化・工業化と、それによる環境汚染などを懸念する生産者と市民の連帯から生まれ、1970年代前半に各地でスタートしている。

周囲の生産者から変人扱いを受けて孤立しながらも、産消提携という形で市民と直接つながり、支え合い、生協の発展や自然食品店の登場とともに少しずつ社会に認知されていった。

いわば経済効率偏重に傾きすぎた社会に異議申し立てをおこない、自然環境や人間性の回復をうたうカウンターカルチャーとしての性質を包含してきたと言える。

その後、市場の拡大にともない、定義のあいまいな表示や偽装が横行する事態に至り、2000年には有機農産物の規格を公的に定めた有機JAS認証制度が開始される。

これにより、草の根から有機農業を広めてきた生産者であっても、コストをかけて認証を取得しなければ有機/オーガニックを公には名乗れないということになり、当時から関係者の異論が噴出した。
この不満はかたちを変えて今も燻り続けている。

有機JASさえ本物の有機ではない?

では、認証コストの問題がクリアになれば不満が解消されるのかと言えば、そうではない。

有機JASはあくまで商取引を前提とした国際規格に準じており、それ自体は有機農業運動の原点であった地域資源循環や環境保全、生産者と消費者の協働といった理念を一切担保していない。
純粋に農薬等による汚染や混入がないことを保証するのみであり、当然ながら食味の良さにも直接は関係しない。

いわば本質の抜け落ちた、単なるビジネスに換骨奪胎されてしまった、という批判がここで可能になる。
資材を多用して大規模に展開される有機農業を指して「慣行農業化している」と表現されることさえある。

一方で、有機農業の外側も1970年代以降大きく変化してきた。
有機農業運動も大いに貢献したであろう結果、社会の意識とルールは変化を続け、農薬を使用することの安全性は当時に比べて幾重ものセーフティーネットにより、科学的にも制度的にも厳重に担保されるようになった。
環境負荷も大幅に低減されてきた。
地域資源や緑肥の活用による減化学肥料、IPM(総合防除)を通じた減農薬も着実に普及している。
給食等を通じた地産地消の取り組みも市民権を得た。

果てしない排他と差別化

このような時代変化のなかで、単に1970年代の価値観を引きずって、農薬や化学肥料の有無によって「善なる有機農業/悪の慣行農業」といった線引きをおこなうことは、確実に形骸化している。

それは本来、なんら有機農業の持つ価値を損なうものではないのだが、前述の通り、有機農業運動を担ってきた人々のなかには市場が広がることに対してさえも矛盾した思いがある。
マーケットの成長に「時代が追いついてきた、私たちは正しかった」と胸を張る一方で、「そんなものは本物の有機とはいえない」という原理主義が常に顔を出す。

だが、「我こそは本物」という名乗りや、「有機以外は危険」とするロジックは、やがて彼ら自身にも牙を向くようになる。

有機JASでも使用できる農薬があるので、信用できない。
動物性肥料を使わない農法こそ安全であり、動物性肥料を使う有機は危険。
無肥料の自然栽培こそ本来の味であり、肥料を使うこと自体が劣っている。

時代が変わってもコンセプトを変えられないなら、とにかく「毒」と考えるものを排除する、といった方向にエスカレートしていかざるを得ない。
あきたこまちR反対運動における、なかば強迫観念に近い安全性への不安もこれらの成れの果てだ。
「私たちこそ、本当の、純粋な、本物である」という排他と差別化はどこまでも果てしなく続くように思える。

汚泥と有機の相性は

このような背景を考えれば、仮に国が「有機物活用型農業」を有機農業に準ずる循環型農業と認め、枠組みを創設したとして、強い反発が起きることは想像にかたくない。
より「自然で、純粋」なものを食べたいという価値観と下水汚泥は、あまりに相性が悪い。

下水汚泥に含まれる重金属リスクを(実態と乖離していたとしても)大きく取り上げて糾弾する未来は容易に目に浮かぶ。
すでにそのような動きは観察されている。
「日本の野菜は農薬・添加物まみれ!」という罵声に、「下水汚泥・重金属まみれ!」が加わる日が来るのかもしれない。

「どうしても嫌だという人を納得させることに過剰なコストをかける必要はない(そんな時間もリソースもこの国には残されていない)」と久松さんは言う。
ゾーニングさえできれば、買いたくない人は買わなければいい。

実際、下水汚泥に含まれる重金属は全て検査されており、基準を上回れば肥料には利用できないようになっているため、適正に使用する限り土壌汚染や健康被害の問題は考えにくい。

ふつうの、これからの農業を考える

とはいえ「有機物活用型農業」という名称は、やはり有機農業との混同・混乱を消費者におよぼす可能性が無視できない。
目指しているのは持続可能な循環型社会であることには相違ないのだから、どうせなら有機農業のお株を奪うくらいの新しいネーミングを、有機とか自然という言葉を使わずに提案できないだろうか。

オーガニック給食運動に代表されるようなカルト的な言説、陰謀論、反医療ビジネスやマルチビジネスの侵入による有機農業の乗っ取りを、農水省や地方行政が黙認してしまうのであれば、全く別のところでコンセプトを立ててしまうのも悪くはない。

安全・安心をめぐる不毛なモグラ叩きから解放され、かつ資源循環、生物多様性保全などの仕組みが担保された「ふつうの、これからの農業」をどう定め、呼称していくのが良いか、いろんな人のアイデアを聞いてみたい。

いつまでも「本当の有機農業」を奪い合ったり、その都度ばらまかれる風評と戦い続けるよりは、ずっと建設的で、子供達に胸を張れるのではないか、と思う。

参照

首都圏土壌医の会

国土交通省 下水汚泥資源の肥料利用

久松農園

※記事内容は全て筆者個人の見解です。筆者が所属する組織・団体等の見解を示すものでは一切ありません。

 

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