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第42回 なぜ、映画『タネは誰のもの』を上映してはいけないのか【分断をこえてゆけ 有機と慣行の向こう側】
ごく最近、とある都内のカフェで映画『タネは誰のもの』上映会が企画されたことを知り、少し驚いた。いまだにそれが上映される会場があるとは思っていなかったからだ。
映画が公開されたのは2020年11月。
当時国会で審議されていた種苗法改正案がテーマのドキュメンタリーとして制作されている。
ウェブメディア「ビジネスジャーナル」では、今も公開当時の取材記事を読むことができる。
そのタイトルは「多国籍企業が種を独占し農家が破綻する懸念…映画『タネは誰のもの』種苗法改定案に警鐘」。(※1)
記事中、プロデューサーの山田正彦氏は「日本の農業を取り返しのつかない禍根を残す可能性がある(原文ママ)」と述べ、改正反対の姿勢を打ち出している。
タネが危ない、という物語
種苗法改正については過去に何度も取り上げてきたので詳細な説明は省くが、映画制作サイドの採用するストーリーラインを要約すれば、以下のようなものだ。
日本政府は種苗法改正を通じて、農家が自家採種(種とり)することを全面禁止し、違反した農家には厳しい罰則を設ける。
そのため、これから農家は全て種を毎年企業から新しく買わなければいけないようになる。
だが改正により、種の権利は資本力にものをいわせたグローバル企業によって奪われ独占されていく(伝統的な在来種も含めて)。
そうなれば種の値段は高くつりあげられ、農家は苦しめられ、グローバル企業の支配が完成し、次は遺伝子組み換え作物が入ってくるようになる。
こうして日本の食の安全は、目先の利益しか考えない政治家たちによって今まさに、海外の巨大資本に売り渡されようとしている・・
このストーリーに影響された有名俳優が突然SNSで「改正に反対」「タネを守ろう」の声を上げるなどして、種苗法改正は急速に社会的注目を集めることになり、2020年の通常国会では予定されていた審議が見送られるまでの事態に発展した。
これらの反対運動が拡大する過程では山田氏のほかに、東大教授の鈴木宣弘氏、ジャーナリストの堤未果氏、反農薬運動家の印鑰智哉氏らが先頭に立ち、オピニオンリーダーの役割を担った。
混迷を極めた種苗法改正
だが反対派の盛り上がりとは裏腹に、総じて生産者や育種の現場に近い専門家ほど、冷静に改正への理解を示す声が多数を占めていた。(※2)
さらに有機農業の生産者や、種子問題の研究者からさえも「反対運動の主張には大きな誤りとミスリードを含み、陰謀論めいている」として批判の声が上がるようになり、一般市民からは「どちらが正しいのかわからない」と混乱を訴える声も聞かれた。(※3)
岸本華果氏が書いた2020年のnote『陰謀論を真に受けていた私が冷静になって種苗法改正について考えたこと』には、そんな当時の混迷した空気感がよく反映されている。
こうした騒ぎを受けて種苗法改正は政局にも利用されることになる。
多くの野党が山田氏の主張をほぼそのまま採用するかたちで、これを与党への攻撃材料に使った。
長い時間をかけて改正内容が検討されてきた経緯があるにもかかわらず、「コロナ禍の中、安倍政権が火事場泥棒的に進めた」「どさくさ紛れ」の改正、などと言われのない罵声じみた批判を浴びることもあった。
関係者らの心労はいかばかりであったかと思う。
その後、国会で成立した改正種苗法は2021年4月の一部施行を経て、翌2022年4月に完全施行された。
その時点で社会の関心はすっかり薄れており、メディアやSNSはもとより、当時苛烈に反対した野党ですら、もはやこれを話題にあげることはなかった。
危機は訪れたのか、答え合わせの時間
それから2年近く経った今、果たして映画『タネは誰のもの』で描かれた危機は現実のものと化しているのだろうか。
グローバル企業の参入による種苗代の値上がり、品種の権利が奪われる、農家が訴えられる・・結論から言えば、そのような事態はもちろん起きていない。どころか、全くその片鱗すら見られない。
改正種苗法の施行後、農研機構や一部の都道府県は、登録品種の自家増殖について許諾制を導入したが、そのなかで許諾を有償としているのは果樹の一部に限られている。
逆に大多数の都道府県は、ほとんどが許諾自体を不要のままとしている。
賛成派にとっても反対派にとっても、ある意味では肩透かしのような、静かな変化しか起きていないというのが実情だ。
例えば、「ビジネスジャーナル」では劇中の一場面としてサトウキビ農家の嘆きの声(自家増殖を禁止するのは農業をやめろというのと同じ、等)を紹介しているが、品種の育成者権を保有する農研機構、沖縄県のいずれも改正後、自家増殖にあたり許諾は不要としている(鹿児島県も同様)。
しかもその方針は、そもそも改正前からすでに説明がされていたものだ。(※4)
改正の背景とその後の動向まで含め、最も網羅的かつ批判的に紐解いているのは新潮新書から刊行されている『誰が農業を殺すのか』(窪田新之助、山口亮子 著)だろう。
ウェブメディア「スマートアグリ」では、同じく山口氏の記事『改正種苗法の完全施行で、変わったものと変わらないもの』で、完全施行直後の変化がコンパクトにまとめられている。
反対運動ではなく種苗法そのものに本当に関心があるのなら、ぜひ読んでみて当時騒がれていた内容との落差を噛み締めてほしい。
なぜ、映画『タネは誰のもの』を上映してはいけないのか
いま現在、映画『タネは誰のもの』を上映することには二重の意味で問題がある。
1点目は、当時としても明らかに誇張された、根拠のない誤情報や陰謀論に基づいて作られていた映画であること。
2点目は、仮に当時の懸念に何らかの正当性があったとして、すでに制作時期から4年が経過し、作中で描かれている法改正の問題点・懸念点について十分に答え合わせが可能な時期になっていること。
今もこの映画を特に注釈もなく肯定的に上映するということは、何も情報をアップデートしていない、する気もないと自白しているに等しい。
監督の原村政樹氏は「ビジネスジャーナル」記事中で「『種苗法を改正しない方がいい』というプロバガンダ映画にはしたくなかった」としてエクスキューズしているが、それでは農水省の回答場面をカットして「山田正彦氏の鋭い追及に、言葉に詰まる担当者」という編集をおこなった正当性を、どう説明するのだろうか。
この件について私は当時の農水省担当者にも、直接確認をとっている。
これでは、「賛否両方の声を知る機会を提供する」「議論を喚起する」という役割さえ十分に果たせない。
種に関心を持ち、守られてほしいと願うことに悪意はないだろう。
だが最初の課題設定が間違っていれば、正しい答えには永遠に辿り着けない。
それを観た人の善意は空転し、消費される。
そして社会は何も変わらないどころか、善良な生産者にかえってダメージを与えている可能性さえある。
大切にしていたこと
私がかつてカフェの仲間たちと「タネ」のイベントを企画していた頃、大切にしていたことがある。
①著名人ゲストは招かず、あくまで生産者と農産物(タネ)を主役にすること。
②タネが危ないといった不安を煽る情報は扱わず、生産者と農産物の個性に触れて、五感で前向きに楽しめる場をつくること。
それは何も普段のカフェ営業と切り離された特別なコンセプトではなくて、オーガニックを扱う飲食店の在り方としてたどり着いた、自分なりのひとつの回答を体現するものでもあった。
だからこそ、たくさんの地域の仲間や慣行農家が分け隔てなく関わって、一緒にイベントを楽しんでくれた。
義憤に酔える気持ちのいいストーリーに頼らなくても、種の多様性に触れ、慈しみ、守り育てていく方法は、いくらでもある。
※1 当時一般的には「種苗法改正案」という呼称で報道されていたが、これは断じて改「正」ではないと主張する反対派によって「種苗法改定案」という独自の呼称が用いられた。
※2 【特集】種苗法改正 賛成51%、反対24% 本誌アンケートで徹底解剖 農業経営者 №295(2020年10月号)
※3 例えば、日頃近代的な品種改良を批判し、固定種のタネだけを扱う「野口種苗」の野口勲氏(そのものずばり『タネが危ない』という著書もある)でさえ、種苗法改正による自家採種禁止はデマと断じている。
※4
農研機構育成の登録品種の自家用の栽培向け増殖に係る許諾手続きについて (農業者向け)
種苗法改正に伴う沖縄県登録品種の自家増殖等の取り扱い
種苗法改正に伴う登録品種の自家増殖の許諾の取扱い 鹿児島県農政部
※記事内容は全て筆者個人の見解です。筆者が所属する組織・団体等の見解を示すものでは一切ありません。
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