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第3回 時代の流れと環境ビジネス【フェイクを見抜く-「危険」情報の読み解き方】

食と農のウワサ

偽情報、誤情報、デマ、不正確な情報、偏った情報……。複雑化する情報社会を生き抜くための実践書『フェイクを見抜く』(唐木英明・小島正美、ウェッジ)では、その舞台裏を詳細に記している。ここではその一部を編集してお届けする。第3回は、時代の流れと環境ビジネスについてお送りする。

環境団体とオーガニックビジネス

第二次世界大戦が終わり、先進国では経済が成長し、生活は豊かになった。しかしその暗い面として化学物質公害が発生し、反公害運動や反化学物質運動が起こった。1970年代から環境運動が盛んになり、多くの環境団体が生まれた。それらの多くは寄付金で活動しているが、寄付を集めるために分かりやすい攻撃目標を設定し、実力行使まで行う団体も出てきた。捕鯨船に体当たりして批判された反捕鯨団体はその典型だが、GM作物は多くの団体の攻撃目標になっている。

彼らの手法は、GM作物が危険であるようなフェイクを大量に拡散することだ。一部のネット住民は「バズる」ために陰謀論などのありえない話を好んで拡散する。GM危険論もまた面白い話として世界に広がった。そんな虚偽を真実と勘違いする人が多いことは、トランプ元米国大統領やプーチン・ロシア大統領が発する明らかに事実に反する言動を信じる国民が一定数いることからも理解できる。

環境団体と一体となって反対運動を進めるのがオーガニックビジネスだ。反GM、反農薬で両者は協力し、反対運動が広がるほどオーガニックの売れ行きが上がり、それが運動資金になる。こうしてGM危険論はネット社会では「常識」になり、現実社会では農薬と並んで環境保護の最大のターゲットになり、GM反対は大きなビジネスになった。

すると反GM運動を支持する政治家が出て来る。彼らの働きでできたのが日米欧のオーガ ニックの定義だ。それは化学的に合成された肥料や農薬を使用しないことと、GM技術を利用しないことを基本としている。化学肥料と農薬の使い過ぎが環境問題を引き起こすことから、その使用制限は多くの人が共感する。しかしそこにGM不使用が加わったのは、GM反 対運動が広げた「GMは危険」「GMは環境を破壊する」「GMは世界規模の大企業による農業支配」などのフェイクニュースが浸透したためである。

国連が持続可能な開発目標(SDGs)を策定し、世界がその方向に動いているときに、環境問題と食糧問題の解決に不可欠なGM技術を排除することの不合理についての議論を活
性化することが必要だが、GM反対派はそのような動きを封じ込める手段として、セラリーニ氏のような研究者と手を組んだのだ。

多くの人にとって「科学論文が発表された」というインパクトは大きい。それが間違い論文であっても、その内容が衝撃的であれば取り扱うニュースは大きくなり、信じる人も多くなる。そして、論文に対する批判はニュースとして取り上げられることはほとんどないし、もし取り上げられたら「大企業の陰謀だ」と騒ぐことができる。セラリーニ論文は再掲載され、多くの人が真実と信じ、GM反対運動の支柱になり、日本のGM反対派もセラリーニ氏を招待して講演会を開催している。

こうして人々が「GM作物は危険」を忘れないようにタイミングよくキャンペーンを行っているのだが、彼らの真の目的は決してGM食品をなくすことではない。もしGM食品が世界から消えると、GM反対ビジネスも消えざるを得ないからだ。

安全観は人それぞれ

確かに、GM作物の反対運動にとって、「敵」の存在は歓迎すべきターゲットだ。米国の旧モンサント社はその象徴的存在だった。しかし、旧モンサント社が2018年にドイツのバイエル社に買収されたことで、これまで悪の象徴とされてきたモンサントという名称は使えなくなった。「バイエルは悪魔だ」とは叫びにくくなったわけだ。旧モンサントはベトナム戦争で使われた枯葉剤や、人への健康被害が発生したポリ塩化ビフェニル(PCB)の開発者として過去に糾弾された悪いイメージが付きまとう。これに対し、ドイツのバイエルは環境意識の高いドイツの企業としてのイメージが強く、さらにアスピリンなどの医薬品を製造販売するメーカーとして世界に知られており、特に悪いイメージはない。その意味でモンサントという名前が消えたことで、反対デモのプラカードに「モンサントは悪魔」とは書けなくなる。それで幾分反対の矛先が鈍くなったようにも感じる。

ところが、である。モンサントという悪の象徴がなくなり、そして反対運動の理論的リーダーだったセラリーニ氏の実験が科学的検証に堪えるものではなかったと分かったいまでさえ、反対運動が完全に下火になったかと言えば、そういう兆しは見られない。むしろ、セラリーニ氏はいまだにGM作物反対派から絶大の信頼を得ている。

GM作物の世界的な普及によって、農薬使用量の削減が実現し、土壌の炭素固定(地球温暖化防止)も増え、生産量の大幅な増加を通じて食料安全保障の確保(飢餓の撲滅)にも役立っているというのに、いまだに先進国を中心にGM作物反対の運動が吹き荒れている。筆者(小島)にとっては魔訶不思議な怪現象にしか見えない。

なぜ、セラリーニ氏の信頼性は失墜しないのだろうか。それにはいくつかの理由が挙げられるだろう。一つは、人それぞれの安全観が異なるという点である。

筆者(小島)は食の安全や環境問題などに関して1980年代から年近くにわたり、 様々な人たちに取材をして記事を書いてきた。その結果、つくづく思うのは、人それぞれの安全観、世界観、価値観は皆異なるという厳然たる事実だ。1億人がいれば、1億通りの価値観、安全観が存在するのだ。1億人が納得する客観的な安全性を示す指標はないという実感である。

これはドイツ生まれの理論物理学者、アルベルト・アインシュタインの相対性理論と似ている。相対性理論では観測者はそれぞれの時空をもっていて、観測者の数だけ時空があるという考えだが、何かに対する安全観も全く同じだとつくづく感じる。

別の言い方をすると、ある食品を安全とみるかどうかは、見る人の価値観や物差し、思考法によって皆違うわけだ。いくら多数の科学者が「それは安全です」と言っても、異なる価値観をもつ人には全く通じない。GM作物反対派の言論を見ていると「私はGM作物を必要とするような工業的な文明社会を拒否したい」といった考えに接することがよくある。GM作物がいくらすぐれた成果を見せても、「農業は家族的な営みが理想で、日本は小農主義で生きるべきだ」という固い信念に基づく反バイオテクノロジーの信奉者にとっては、その考えを変えるだけのインパクトをもたない。科学的な事実が新たに少々分かったくらいでは、人の価値観は変わらないのである。

ただし、実は農薬の使用や労力が少なくて済むGM作物の栽培こそが、家族農業の持続的な経営を可能にする要素をたくさんもっている。途上国の小さな家族農家がGMトウモロコシやナスを栽培して成功しているフィリピンやバングラデシュの状況を見れば、GM作物こそが家族農業に大きな恩恵をもたらすことははっきりと証明されている。その意味では、逆説的ながら、小農主義を理想とするGM反対派こそが、現実を冷静に受け入れて価値観を転換させ、GM作物を採用すべきだろう。

GM反対派が表示の厳格化に反対する不思議

共著者の唐木氏は、もしGM食品が世界から消えると、GM反対ビジネスも消えざるを得ないと述べている。確かにその通りである。この章の最後は、それにふさわしいエピソードを紹介して締めくくりたい。

読者の皆さんもご存じのように、2023年4月から遺伝子組み換え食品の表示ルールが変わった。これまでは食品中に混入している意図せざる組み換え原料の比率が5%以下ならば、「組み換えではない」と事業者は任意で表示できた。ところが、4月以降は「組み換え原料が不検出」(検出できないくらいゼロに近い)に限って、「組み換えではない」という表示を認めることになった。要するに「組み換えではない」と表示できる条件がより厳格になったわけだ。

これまでGM作物に反対する人たちは「『組み換えではない』と表示されているのに、組み換え原料が5%も混じっているのは問題だ」と表示の厳格化を求めてきた。当然の要求なので筆者(小島)も賛成する。それならばと消費者庁は識者の検討会を重ね、「皆さん、もう安心ですよ。これからは、『組み換えではない』と表示された食品を選べば、組み換え原料の混入はほぼゼロです。私たちの努力にぜひ拍手してくださいね」といった気持ち(私の推定)を込めて、表示ルールを厳しくした。

これはまさに消費者庁の大英断である。あの進んだEU(欧州連合)でさえ0.9%未満の混入を認めている。それに比べて、消費者庁の新ルールはEUよりも厳しい。世界に誇る
快挙といってもよいだろう。

この消費者庁の英断によって、筆者(小島)はてっきり、「組み換え食品は絶対に食べたく ない」と反対してきた一部生協(生活クラブ生協やパルシステム生協など)の人たちは「これでやっと組み換え原料が含まれていない食品を買うことができます。消費者庁の皆さん、ありがとう」と大歓迎するかと思っていた。ところが、予想に反して、今度のルール改正は「改悪だ」と猛反対したのである。

なぜ反対なのか。その理由を知って愕然とした。

あまりにもルールが厳しくて、「組み換えではない」と表示できなくなるからだというのである。開いた口がふさがらないとはこのことである。表示の厳格化に反対するということは、「組み換え原料が1%くらいなら、混じっていても受け入れます」と言っているのと同じだ。

言い換えると「組み換え食品は絶対に嫌です」と言っている人たちが実は、「少しくらいなら混じっていてもよいし、少しくらいなら食べても問題ありません」と自ら安全性を宣言しているようなものだ。

組み換え作物が絶対に嫌ならば、組み換えではない作物を厳格に分別・管理して海外から輸入し、「組み換えではない」と表示できる加工食品を自ら製造・販売すればよいのに、なぜそうしないのだろうか。不思議でしようがない。

その理由について、いくつかの生協のホームページを見ると、組み換え原料の混入をゼロにするには多額の費用と労力がかかるからだという。日ごろ、「コストや経済的利益よりも命が大事」だと主張しているのではなかったのか。そういう生協だからこそ、たとえ多大な労力とコストをかけてでも、「組み換えではない」と自信をもって表示できる製品をどしどし出してくるのかと思っていたのだが、どうやら違っていた。

代わって、生協が出してきたのは「NON GMO」とか「GMOにNO!」といった表示だ。GMOとは遺伝子組み換え作物のことだ。結局、言いたかったのは「組み換え作物に
ノー」という自分の利益に結び付くビジネス文句だった。一番訴えたかったのはやはり「GMOに反対です」という主張だったのが分かる。敵がいて、初めて成り立つ不安ビジネスの一つが「GMO反対」だったのである。この世からGMOがなくなって一番困るのは、その恩恵を受けている世界中の農業生産者だが、次に困るのはこういう不安ビジネスを展開して利益を得ている事業者なのだろう。

もちろん、組み換え原料が100%の食品でも食べて何の問題もないが、GM作物に反対している人たちが表示の厳格化に反対しながら不安ビジネスを展開している光景は、かえってGM食品の安全性を象徴しているのではないだろうか。

続きは……

 

筆者

唐木英明(食の信頼向上をめざす会代表、東京大学名誉教授)
小島正美(食・科学ジャーナリスト、元毎日新聞編集委員)

 

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